コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

マッカーシーの今のところ最新作。映画もやってたらしいんだけど、知らなかった。戦争かなんかで生物がほとんど死滅した世界で旅する父子の物語。

ショッピングカートを押して親子が旅するシチュエーションは『子連れ狼』を思わせずにはいられないけれど、拝親子が復讐の旅路なのに対して、『ザ・ロード』の親子はひたすら生き延びるために南へ旅をする。世界の荒れ具合がほんとひどくて、森はどこも焼けて炭だし、空は煤けて太陽は暗く、魚も鳥もいないし、いつも灰色の雨と雪。数少ないらしい生き残った人間の一部は暴徒になって、人間を狩って人肉を食べている。全編これ希望のない鬱道中だ。じっくり読んでるとつらくなってくる。

それでも物語の結末は、今まで4冊読んだマッカーシーのうち、いちばん希望を感じさせる。あんまり適切な言葉じゃないと思うんだけど、人間の善が残っていく希望がある。それが報われないとしても。

マッカーシーはやっぱりすばらしいです。うん。

テッド・チャン『あなたの人生の物語』

Twitterでおすすめされたので読んでみた。すごい人気作家なんだね、知らなかった。SFのいろんな賞を獲りまくってる。かなり寡作らしく、この短編集で2003年までの作品はすべて、それ以降も3、4作短編があるだけだそうだ。

おもしろい。とにかくよくできてる。すごい密度。寡作なのもよくわかる。こんなにネタが詰まってたら、毎回書くのが大変だろう。ハードSF級のネタがホームドラマ的日常空間で展開されたりするあたり、すごい技量。そしてSFで残念になりがちな人間ドラマは、いろんな角度から検証されてて視点がクリアで、非常に公平なものになってる。これはすごい。

でもそのすごさを若干不満に思うのも事実で、明晰すぎ、健全すぎと感じてしまう。贅沢だけど。過剰や欠落のスリルはあまり感じられない。へなへなのインディー・ロックの手触りがない。それが悪いわけじゃないんだけど……。

ジョージ・オーウェル『一九八四年』

ディストピア小説といえばこれ、という歴史的小説、なんだけど読んだことがなかった。イギリスでも「読んだふりをしてる本」のランキング堂々一位だそうで、なーんだみんなあんまり変わらないな! という。ちなみに新訳版。

とにかく徹頭徹尾いやな気持ちにしかならない。中盤の恋愛展開も死亡フラグ立ちまくりで「もう見てらんない」感じなんだけど、第三部の洗脳シーンはさらに上をいくインパクト。子供が親を告発する下りなんかも非常にリアルで寒気がする。子供は狂信的なゲーム大好きですよね。

ビッグ・ブラザー率いる党の支配するオセアニア(南北アメリカとイギリスを合わせた国家)は、ソビエトなんかの社会主義的な独裁全体主義国家を連想させるけど、描かれているのはもっと複雑なシステムだ。原著が出版されたのは1949年で、所々古さを感じさせる部分はあるけれど、それは些細なことだ。権力に対する洞察は強烈に心をえぐってくる。そもそもビッグ・ブラザー自体が、B級SFの独裁者的なそいつを倒せば世界が変わるという、わかりやすい悪役ではない。

劇中で使われる言語、ニュースピークでいう「二重思考」が非常に重要なキーワードになっていて、人間の認知や自己欺瞞への鋭い洞察になっている。オセアニアでは政治状況が変わるたびに歴史資料が全部書き直されるんだけど、その改変を把握したうえで党の公式発表を完全に信じるという、まさに二重の心理を指す。あり得ないと笑っていられないのは、現実にすごい頭のいいインテリが、変な宗教にはまっちゃうなんてことがあるからだ。オーウェルはよくわかってる。

いやになるくらい悲劇なんだけど、ぜひ一読をおすすめ。決して頭でっかちな理屈小説じゃない。

J・G・バラード 『クラッシュ』

その昔、ニューウェーブSFというジャンルがあって、その代表的な作家にあげられるのがバラード、らしい(あんまり詳しくない)。それまでのテクノロジーとか未来とか宇宙っていうテーマから、もっと人間の内面に焦点を移したSFがそう呼ばれていた。一部では「文学かぶれのSF」とか揶揄されてたそうな。

で、この『クラッシュ』。前に読んだ『結晶世界』がきれいめだったので油断してたら、とんだ変態小説だった。登場人物はみんな、自動車事故とその痛々しい痕跡に病的に固執し、性的に興奮するパラノイアばっかり。読んでると背筋に悪寒がするほど詳細な、事故による人体損壊の描写は「もうやめてー」状態。それがいかにセックスと結びつくのか、これまた丁寧に詳細に書かれる。うわあ。SFの役割について、挑戦的でかっこいい序文からは想像もつかない。

ぼくたちを取り巻く文明はすべからく偏執狂的なのじゃ、とか、そういう分析はできるんだけど、そういうのはこの文章の迫力の前には無意味な感じ。ドン引きしながらページをめくって味わうイヤーな感触は、ちょっと他にない。