目次
- このお話の登場人物
- 1 ふたりの転校生
- 2 幽霊
- 3 みんなの秘密
- 4 屋上の事件
- 5 世界のこと
- 6 ぎこちない復帰
- 7 決断
- 8 メイ
- 9 秘密の歌
- 10 郊外にて
- 11 ドキドキ学園祭
- 12 覚醒
- 13 鈴音
- 14 見知らぬ場所
- 15 ロンドン
- 16 メイルストロームからの使者
- 17 作戦会議
- 18 兄妹、姉妹
- 19 break the code
- 20 繭
- 21 詩音
- 22 スターライトミンツ
- 23 帰還
- 24 再会、出会い、変化
- あとがき
このお話の登場人物
- 古谷 秋比古 (ふるや あきひこ)
- 主人公。高校二年生。〈スターライトミンツ〉のギタリスト。通称はアキ。
- 山吹 鈴音 (やまぶき すずね)
- 秋比古の同級生。〈スターライトミンツ〉のリーダー。
- 春原 メイ (はるはら めい)
- 秋比古のクラスの転校生。
- 鮎貝 真古都 (あゆかい まこと)
- 高校一年生。〈スターライトミンツ〉のベーシスト。
- 園田 誠太郎 (そのだ せいたろう)
- 高校二年生。〈スターライトミンツ〉のドラマー。
- 三浦 広和 (みうら ひろかず)
- 秋比古の同級生。友人その一。
- 唐沢 孝志 (からさわ たかし)
- 秋比古の同級生。友人その二。
- 古谷 皐月 (ふるや さつき)
- 秋比古の姉。大学三回生。
- アルフレッド・スミス
- 春原家の執事。
- 妹尾 悠 (せのお ゆう)
- 高校二年生。ポピュラー音楽研究部の副部長。
- 妹尾 由里香 (せのお ゆりか)
- 高校一年生。悠の妹。
- 速水 京介 (はやみ きょうすけ)
- ポピュラー音楽研究部の部長。三年生。
1 ふたりの転校生
空が高い。時折吹く風がひんやりしてる。秋だ。筋になって流れていく雲をぼんやり眺めながら、俺は誰もいなくなった放課後の音楽室の窓に腰掛けて、安物のテレキャスターを漠然とつま弾いていた。
中学のときに父さんのお古のレス・ポールを奪ってから高校二年の今に至るまで、ギターには自分なりに真剣に取り組んできたつもりなのだが、腕のほうはさっぱり上達する気配がなかった。敬愛するジョアン・ジルベルトもカート・コバーンもケヴィン・シールズもジョニー・マーも、その背中は地平線の向こうに霞んでる。あーあ。
黄昏れている俺の頭から不意にヘッドフォンがひっぺがされた。バランスを崩して危うく落ちそうになる。オイいきなりなにしやがるコノヤロウ。
「今日はスタジオ取ってるから、って言ってなかったっけ?」
鈴音。いつの間に。
「いきなり引っ張るこたないだろっ。危ないじゃないかっ」
「ん、いいヘッドフォンね」
ぜんぜん聞いてないですね。鈴音はヘッドフォンのプラグを俺のアンプシミュレーターから引っこ抜いて、自分の iPod に接続している。真剣な表情。このままヘッドフォンを持っていかれそうな勢いだ。
「……時間が無いんじゃないのか?」
「あ、そうだった」
鈴音は俺のヘッドフォンを付けたまま流れるように踵を返し、ブーツをゴトゴト言わせながら小走りしていく。背負ってるギターバッグがやたら大きく見える。
「早くしないと真古都がふくれてるよ」
ケーブルを片付けるのにに手間取っている俺に、鈴音は振り返っていたずらっぽい小悪魔の笑みを投げてきた。いつもの風景だった。
*
いつもの風景。俺はまだ、それに違和感を感じてる。
山吹鈴音は俺の所属するバンドのリーダーだ。二年になったとき転校してきて、初登校の日にそのつんつんはねたラフなショートカットと大きなピアス、年季の入ったマーチンのブーツでいきなりクラスの注目を集めていた。制服のお上品な黒いベストと格子柄のプリーツスカートをヴィヴィアンのごとく着こなしていた(なんて、わかったようなことを言っているが、ヴィヴィアン・ウェストウッドなんて当時の俺は知らなかった)。エキセントリックなファッションとは裏腹におとなしくて人なつこい性格で、すぐにクラスに馴染んでいた。残念ながら大変魅力的であると認めるしかない、実際の身長よりひと回り小さく見える華奢なスタイルとよく動く大きな瞳には、クラスの野郎どもが色めきたった。しかしなぜだか微妙に存在感が薄く、親友というほど仲がよくなるやつはいないみたいだった。休み時間にはひとりでぼんやりしてるときが多かった。嫌われてるとかそういうわけじゃなく、むしろ人気者といってもいいのにおかしな話だった。俺はこういうのが近寄りがたい美人ってやつか、とか思っていた。
それは五月のことだった。俺は放課後にちょくちょく音楽室の備品のだれも使ってないアコースティックギターを無許可でひっぱりだして、ジョアン・ジルベルトのみっともないコピーをしていた。音楽教師はギターはできなかったし、弦は自前で調整も俺がやったのだ、文句はないだろう。音楽系のクラブは別棟で練習してるので音楽室はたいてい無人だった。そのとき弾いてたのは確か『Eu Vim Da Bahia(バイーア生まれ)』だった、と思う。
「あなた、バンドやる気ない?」
思いがけない至近距離でいきなり話しかけられて、俺は椅子からひっくり返りそうになった。微妙に盛り上がって歌まで呟いてた俺は顔面に血が集合するのを感じつつ、声がしたほうを見上げると鈴音がじーっと俺の手元を見つめていた。
「山吹さん、いつのまに?」
そう、このころはまだ名字にさんづけで呼ぶような相手だった。鈴音は口をもぐもぐさせながら、俺の手元から目を離さない。
「秋比古くん、だったよね。ギターは持ってるの?」
焦ってる俺が、ああ、うん、エレキだけど、とか適当な返事を返すと、
「そう。他のメンバー探したらまた声かけるから」
そういって鈴音は立ち去りかけたが、思い出したように立ち止まると、ポケットをごそごそ探ってなにか取り出した。
「これ、あげる」
鈴音が差し出したのは、星模様のミントキャンディだった。そして呆然としている俺に、そのときはじめて見た、あの小悪魔の微笑みを投げかけて去っていったのだった。教室では見たことのないその表情に俺の動揺はさらに深まることになった。鈴音は楽器ができる、というのもそのときはじめて知った。つい肯定的な返事をしてしまったことを後悔したが、ま、俺の腕を確かめて誘うんだからそんな大したもんじゃないだろう、どうせほんとにやるかどうかもわかんないしー、とこの件はとりあえず忘れることにした。
そんな予想は思い切り裏切られることになる。
二週間ほど経ったころ。鈴音はあれ以来話しかけてくることはなかった。その日の授業が終わって、広和、唐沢と帰りにコーヒーでも飲んでくかー、なんて話をしていたとき、後ろからいきなり名前を呼ばれた。振り返ると鞄を持った鈴音がいた。
「明日の放課後、スタジオ取っといたから。これ、練習しといてね」
鈴音はそう言って俺にスコアを渡し、あの微笑みと共に去っていった。広和と唐沢はこのありえない状況を目の当たりにして、しばらく完全にフリーズしていた。こいつらとは一年からの付き合いだが、俺も含めて際立ったところのないその他大勢の一員だった。女子から個人的なプローチを受けるなんて、三人合わせてもはじめてだったはずだ。唐沢が沈黙を破る。
「……おい。どういうことよ?」
緊急事態。俺は駅前のドトールでしつこく尋問されることになった。特に唐沢はしつこかった。鈴音はかなりストライクなタイプだったらしい。絶対おまえに気があるんだそうに違いない羨ましい妬ましい。うん、そういう視点で考えたことはなかったな。俺は適当な返事をしながらアイスココアをかき混ぜ、スコアを眺めていた。スコアはプリントアウトのタブ譜で、手書きで修正が入っていた。几帳面な文字。一緒に渡された CD に入ってた曲は My Bloody Valentine の『When You Sleep』。一九八〇年代の、古いけど好きなバンドだった。こんなの聴くんだな、とか思っていた。俺がその日、必死で練習したのは言うまでもない。
連れられていった練習スタジオではじめて顔を合わせたメンバーは、ギター/ボーカルの鈴音、同じ二年でクラスの違うドラムの誠太郎、一年生のベースの真古都ちゃん、そして俺の四人。
「ま、最初だし、リラックスしてやろうね」
なんて言いながら、鈴音はバッグから相当弾きこまれた、あちこち塗装の剥げてるヴィンテージものらしき白いジャガーを取り出した。眼鏡をかけた犬らしきキャラクター(ドグバート、というらしい)のステッカーが貼られていたが、それもボロボロになっていた。
鈴音のギターはまったく衝撃的だった。うまいやつというのは単純なコードストロークにも説得力がある。リズムに合わせてジャカジャカやってるだけで音楽になる。ぼろっちい備品のコンボアンプから出ているとはとても思えないパワフルなサウンドだった。制服のブラウスにプリーツスカートというスタイルでガシガシストロークする様は実に自然。同じことを俺がやったらさぞかしバカみたいだろう(女装するって意味ではない)。誠太郎は顔色ひとつ変えず黙々とリズムを刻んでいたが、俺と、楽器をはじめて三ヶ月くらいという真古都ちゃんはついていくのが精一杯だった。相当よれよれの演奏のはずだったが、鈴音はいたくご機嫌だったらしく、演奏してるあいだずっと笑顔だった。後半からはマイクをセットして、実は歌詞よく覚えてないのよね、なんて言いながら歌も歌いはじめた。ギタープレイとは対照的な、透明な優しい声だった。
二時間の練習が終わり、俺と真古都ちゃんは疲労困憊、誠太郎は来たときと同じ表情、鈴音は上機嫌でカウンターで次回の予約をしていた。
「じゃあ、これからもよろしくね」
誠太郎はただ頷いて眼鏡を直し、真古都ちゃんはくりくりの瞳を輝かせて鈴音さんすごいですねわたし頑張ります〜なんていってる。そんなわけで俺のバンド生活がはじまったのだった。
それからは少なくて週一、夏休みなんかは週二〜三くらいのペースで練習だった。スタジオ代は鈴音が全部出してくれてたので、悪いような気がしつつも少ない小遣いの心配をする必要がないのはありがたかった。
誠太郎は無口だが、軽快でスピード感のあるタイプのドラマー。スチュワート・コープランドみたいだ。パワー感はそんなにないけど、とにかく無駄な動きが少ない。夏でも涼しい顔をしている。真古都ちゃんはすっかり鈴音になついてて、ベースのほうもめきめき上達していた。おそるおそるって感じだったピック弾きも板についてきてて、これまた結構ヴィンテージっぽいボロボロなサンバーストカラーのプレシジョンベースをヘビーにごりごり言わせていた。俺は、というと−−ま、多くは語るまい。そんな感じで二学期がやってきて、秋の深まりとともに俺の自分の才能に対する苦悩も深まっていくというわけなのだった。口には出さなかったけど。
それにしても不思議なのは、だれも俺の悲惨なギターに文句をつけないことだった。鈴音はいいのいいのとか言ってるし、真古都ちゃんは、え?アキさんのギター個性的ですよ、なんて言うし、誠太郎は真顔でなにか問題が?とか言う。ホントかよ。
そんなわけで、俺は自分の存在の中途半端さを日々噛みしめてるところ。
鈴音の後ろをとぼとぼついて校舎を出ると、秋の風が鈴音の少し伸びた髪とスカートの裾をそよそよひらめかせた。ミントの香り。鈴音はミント中毒で、隙があればいつでもミントキャンディをもぐもぐしている。本人の数少ないコメントによれば、ミント味のスイーツが大好きなだけであってミントだったらなんでもいいわけじゃないらしい。ミントティーは甘食なのかと聞いたら、いっぱいお砂糖入れるもん、との答えだった。
鈴音は普段はあまりしゃべらない。黙ってすたすた歩いていく。それを俺が追いかけるように歩くのもいつもの風景ではあったのだが、その日は違うものが目にとまった。
その女の子は校舎を見上げていた。腰辺りまである黒くて長いストレートの髪が、なめらかに風になびいている。着ているのは、同じく黒いフリルのワンピース。平凡な郊外の街並には、ちょっと似つかわしくない光景だった。女の子がこちらを向く。目が合った。はっとする青い瞳。俺が固まっていると女の子は少し驚いたような表情を見せ、慌てて小走りに立ち去っていった。
「どうかしたの?」
「いや……なんでもない」
「ふうん」
鈴音はまた歩き出した。
*
いつもどおり俺だけ必死な練習が終わったあと、マクドナルドで鈴音が切り出した。
「うちの学校ってね、学園祭でバンドとかアリ?」
「ポップ研は去年やってた」
頬杖をついた誠太郎がぼそっと言う。こいつが二言以上続けて言葉を発したのはいまだに聞いたことがない。
ポピュラー音楽研究部、通称ポップ研は我が校の正式な文化部。その名のとおりポピュラー音楽をやるのが活動内容。ポップミュージックならなんでもいいらしいのだが、事実上ロックバンド部になっている。普通の学校だと軽音とかいうやつ。
「うーん、やっぱりクラブに入ってないとダメなのかなぁ」
「ベース教えてくれた友達、ちょこちょこライブしてるみたいですよー。こないだ対バン探してるとか言ってました」
真古都ちゃんが前髪を払いながら、いつものちょっと間延びした甘いしゃべりかたで言う。真古都ちゃんはしゃべりかたはおっとりしているが、性格は明るくて活発だ。真古都ちゃんがいなかったら、うちのバンドはとっても静かだろう。鈴音も真古都ちゃんがいるときはおしゃべりな女子高生になる。
「なぁんだ、早く言ってよね〜。それなら話は早いかも」
鈴音が笑顔で言う。俺はシェイクをじゅるじゅるしながら思う。ん?ちょっと待て。
「……ライブの話、本気?」
「え?ぼちぼち人前でやってみてもいいんじゃない。楽しいよ」
「わぁ、アタシはりきっちゃいマス」
「じゃあ、そのお友達紹介してもらわなくちゃね」
女性陣がきゃいきゃいしてる横で俺は黄昏れていた。俺が極度の上がり症と知っての所業か。
そんなこんなでとんとん拍子に話が進み、年内に一回はライブすることが賛成多数(賛成三、棄権一)で決定し、俺は次の日重い気分をずるずる引きずって登校することになった。
朝のホームルームはいつもと違う展開だった。担任の藤崎が転校生を連れてきたのだ。今年に入ってふたりめの転校生。珍しい。
「春原メイです。イギリスから来ました。みなさん、よろしくお願いします」
俺は驚いた。流れるような長い黒髪、印象的な深い青い瞳。それは、昨日の女の子だった。白い肌と端整な顔立ちはまるでアンティークドールみたいだ。クラスの女子の中でも間違いなく最小であろう、そのスタイルがますますお人形さん感を際立たせていた。単に背が低いのではなくて、全体のパーツがすべて小さいのだ。まさか同学年だったとは。春原メイはその見た目からはかなりギャップのある流暢な日本語で挨拶し、ペコリとお辞儀した。髪がさらさらと流れる。
藤崎の解説によると、父親が日本人で母親がイングランド人。ロンドンに住んでいたが、両親の転勤が頻繁になったので落ち着くまで日本の祖父母のところに住むことになった、ということらしい。
「そうだな、とりあえず古谷の後ろに座ってくれ」
なんか席がひとつ多いと思ったらこれか。春原メイはとことこ歩いてきて、俺の後ろの席にすとんと腰を下ろした。
「えー、それでは連絡事項は、っと……最近……」
いつもの長ったらしい話がはじまって、いつもなら俺の意識は窓の外の青い空へと漂っていくのだけど、今日は後ろが気になってしかたがない。
「!」
すぐ後ろに変な気配を感じて、俺は思わず振り返った。
「?」
春原メイは不思議そうな顔で首を傾げているだけだった。気のせいか。
「あ……俺は古谷秋比古、よろしくね」
「こちらこそ」
ホームルームが終わり、好奇心でいっぱいの女子たちが春原のところに集まってきた。春原は上品な笑顔で応対している。この物腰はきっと家が金持ちに違いない。なんでわざわざうちみたいな普通の県立高校に転校してきたんだろう。うちがお嬢様校っぽいのは制服だけじゃないか。
ふと見ると、鈴音はいつもどおり窓際の最前列からぼんやり外を眺めていた。
2 幽霊
何日かすると、イベントに浮き足だった教室の雰囲気も元どおりの気だるさに戻った。
その日はバンドの練習もなく、俺は友達といつものドトールで適当に暇をつぶし、家路についていた。十月になると急に日が暮れるのが早くなる。日中は子供の遊ぶ声が耳障りな郊外の住宅地は、暗くなると一気に静けさに包まれていく。うちの近所は古風なレンガの塀や石の歩道、蔦の絡まった街路樹なんかが、夜になると昔のホラー映画みたいな薄気味悪さを演出していた。姉ちゃんは夜に出歩くのは嫌がっていたが、俺はこの雰囲気が気に入っていた。
俺は夜が好きだ。昼は世の中が狭い。なにもかも見通せてしまう。暗闇は、その向こうに広い世界を感じることができる。もっと奥行きがあるような気がする。普通はなにかいるみたいな気配がして不安になるんだろうけど、俺は小さい頃からそんな雰囲気が大好きだった。幽霊でも妖怪でもなんでもこい。だけどそんな面白いことなんかないってことは、高校生にもなるとさすがにわかってる。暗闇が平凡な街並をちょっと不思議に見せてるだけのことだ。
だから俺は目の前で起きてる事件がどういうものか、イマイチ先入観なしで判断できなかった。
そいつは道のど真ん中に立っていた。ただの人影だと思っていたのだが、そうではなかった。暗い透き通った影のような体。顔の真ん中には、不気味に光る赤い大きな眼−−それが本当に眼なら、だけど−−がついていた。長い腕がゆらゆら揺れている。こいつは、もしかして幽霊というやつでわ?そういや最近、幽霊やら人魂やらを見たっていう噂が多かったような。いや、そんなことはいい。
そいつの赤い眼は俺をじっと見すえていた。不意に周囲の環境音が消えて、それからぞわぞわというノイズと耳鳴りが始まる。完全な無音状態だとこういう音がするんだ、って聞いたことがある。耳の器官を流れる血液がこういう音を聞かせるらしい、という雑学はどうでもいい。声が出ない。これは、きっと、ものすごく、ヤバいんじゃ、ないだろうか。形の曖昧なそいつの手が俺のほうに伸びてくる。背筋が寒くなる。これは危険だ。直感がそう言ってる。逃げなくちゃ。しかし足が動かなかった。うわ、なんで?これが金縛りってやつ?
完全に停止した空気を金属音が切り裂いた。俺は思わず耳を塞ぐ。
俺が目を開いて見たものは、真っ黒な鎧を着た騎士の背中だった。騎士は手の仕草で俺を制した。動くな、だろうか。
次の瞬間、騎士が踏み込んで剣を振るう。また金属音がして、激しい格闘が始まった。騎士が剣を振るうたび、金属音と青い光の軌跡が静寂の中に散る。幽霊は長い腕を鞭のように振るい、騎士の攻撃に対抗していた。金属音が不思議なハーモニーを奏でる。夢の中のような光景だった。
騎士の一撃が幽霊をとらえた。幽霊の左腕が肘の辺りから切り落とされる。切り口からどす黒い液体が飛び散る。黒い騎士は止めをさすべく踏み込む。が、幽霊は不意に姿を消した。
次の瞬間、そいつは俺の目の前にいた。背が高い。真っ赤な眼が俺を見下ろす。殺気。これは殺気というやつに違いない。幽霊の右手が俺の首に伸びてきたが、幽霊は一瞬、躊躇したような挙動を見せた。
鋭い金属音と突然の衝撃で俺は地面に投げ出された。慌てて起き上がる。
決着がついたようだった。騎士の剣は幽霊の顔面を刺し貫いている。ひとつ眼の赤い輝きはだんだん薄れていく。騎士も無傷ではなかった。幽霊の最後の一撃が騎士の脇腹に食い込んでいる。鋭い爪が鎧を掴み、めりこんでいた。しかし、幽霊はほどなく崩れ落ち、どす黒い液体に溶けていった。液体はアスファルトに染みのように広がったが、やがて吸い込まれるように小さくなって消えた。
世界に音が戻る。耳鳴りが襲う。黒い騎士は脇腹を押さえると、膝からくずおれた。駆け寄ったものの、どうしていいかわからずに戸惑っていると、ブンと音がして、鎧の表面を青い光が走る。そして黒い鎧は黒い紐の束に変わり、ほどけてするすると消えてしまった。その様子も冗談みたいだったが、鎧から現れた人物はさらに衝撃的だった。
春原メイ。
「うわっ、大丈夫かっ」
そんな台詞を吐いてはいたものの、俺はすっかり動転して混乱していた。制服姿の春原は気を失っているようだった。いったいどういうことなんだ。なんだこの超常現象。慌てて春原を抱き起こそうとしたところで誰かに声をかけられた。
「お静かに。人が集まります」
いつの間にか初老の男性が立っていた。今日は不意を突かれてばっかりだ。
「私はアルフレッド、春原家の執事です」
「春原さんは大丈夫なんですか」
アルフレッドさんは屈みこんで春原の様子を調べた。
「ええ、少々きわどかった、と言わざるを得ませんが。初陣にしては上出来です」
深刻なダメージを受けたように見えたのに、見てわかるような怪我はしてないようだった。アルフレッドさんが春原の耳からイヤフォンを外す。なんでこんなものつけてるんだろう。イヤフォンのプラグは黒くて四角く細長いメモリスティックみたいなものに接続されている。アルフレッドさんはジャケットのポケットにそれをしまい込んだ。
「えーと、俺は……古谷、古谷秋比古、です」
「存じております。さあ、急いでお嬢様を運ぶことにしましょう」
俺は春原を背負ってアルフレッドさんについていった。助けてもらったんだから俺が背負っていきます、というとアルフレッドさんはにっこり頷いた。三つ揃いを完璧に着こなしたアルフレッドさんは、
「この格好ではいささか目立ち過ぎますな。土地に合ったスタイルにしないと」
と、完璧な日本語で言う。春原といい、なんでこんなに日本語が自然なんだろう。だが今はそんなことはどうでもいい。
黙々と歩く。小柄な春原は軽い。この女の子があんな物騒な黒い鎧を着てわけのわからない化物と戦うなんて、いったいどんな事情があるんだ?アルフレッドさんに聞いてみたかったが、今は黙っておくほうがいいような気がした。
淡くて甘い香水の香りがして、急に春原の柔らかい感触が気になってきた。よく考えたら酔っぱらった姉ちゃん以外の女の子を背負うなんてはじめてだ。うわちょっと待って。
「ところで、どこまで行くんです?」
耐えられなくなって会話を切り出す。
「自宅まではあと少しです」
と言いながら、俺んちがあるマンションにアルフレッドさんはすたすた入っていく。呆気にとられる俺に、
「いかがされましたか。お入りください」
と、オートロックのナンバーを入力しながら言った。
春原の家は最上階だった。最上階は他のフロアと構成が違ってるみたいで、春原宅は俺が住んでるとこよりずっと広い。
「少々手違いでこういう住居になってしまいまして。狭苦しさはご容赦のほどを」
「……俺んちはここの下のほうの階にあるんですよ」
「おや、これは大変な失礼を。こちらでは一般的な住宅なのですね」
通されたリビングには高そうなアンティークのインテリアが使われていた。ソファに春原を下ろす。緊張で背中がガチガチになってしまった。アルフレッドさんが、失礼しますよお嬢様、と上着を脱がせて、怪我がないか改めて調べだした。
「少し痣になっているかもしれません」
アルフレッドさんはそう言ってブラウスのボタンも外しだしたので、俺は目のやり場に困り、慌てて後ろを向いて腕組みしていた。
「古谷様にはいろいろお話しないといけないのですが、お嬢様がこの状態ですので。大変失礼なのですが、今日はお引き取りいただいてよろしいですか。後日改めてうかがう、ということで」
俺は挨拶もそこそこに、そそくさと春原宅から退出した。俺としても聞きたいことは山ほどある。しかし、今夜はいろんなことがいちどに起こり過ぎていた。
エレベーターを降りて自宅のドアを開ける。また鍵が掛かってない。まったく。リビングでは、一升瓶を枕に姉ちゃんが寝息をたてている。いつものことなんだけど、未婚の女性がこんなことでいいんだろうか。
「ん?……あー、お帰り、遅かったのれ」
「姉ちゃん、呂律が回ってないよ」
「はら?そう?んー、また飲みすぎたかひら」
姉ちゃんは一升瓶の中身の減り具合を確かめている。
「あー、ごはん。ソース作っといたらら、ペンネ茹でて食べてね。サラダは冷蔵庫」
「うん、ありがと」
姉ちゃんの作るトマトソースは絶品だ。その酸っぱい味は、異常な一日を少しだけ日常に戻してくれた。
3 みんなの秘密
よく眠れなかった。
姉ちゃんはいつもどおりの二日酔いで、エスプレッソにどぼどぼと砂糖を投入している。俺はベーコンエッグとトーストを二人分作ってテーブルに置いた。
両親が外国に行っちゃって、姉ちゃんと二人で暮らすようになって一年になる。
「ほら、姉ちゃん食べて」
「んんん〜、今日はきっついわぁ」
「いつものことだろ、それ」
「わかってるわよぉ」
姉ちゃんは俺が朝食を食べるあいだ、漫然とベーコンエッグをつつきまわしていた。そしてエスプレッソを一気に空けると、こんどは冷蔵庫からスパークリングウォーターのボトルを取りだしてぐいぐい飲みはじめた。
「学校は?」
「いいのぉ、午前中は自主休講」
大学生って羨ましい……のか?俺は適当に自分の分の皿を片付け、ギターを抱えて家を出た。
よくよく考えてみれば当然予想できる事態だったんだけど、俺はまたしても不意を突かれた。春原メイ。エレベーターのドアが開くと彼女がひとり、立っていた。俺はとりあえずなんとなく、おはよう、と声をかけてふたりきりのエレベーターに乗り込んだ。この時間に他に誰も乗ってないなんて珍しい。やべ、なに話したらいいんだよこれ。
「昨夜はありがとうございました」
春原がドアのほうを向いたまま言う。
「いや……こっちこそ助けてもらったみたいで……その」
「使命ですから。気にしないで」
それっきり会話が途切れてしまった。昨日と同じ、甘い香水の香り。柔らかい感触を思い出してどぎまぎする。なにをうろたえてるんだ俺は。
別々にってわけにもいかず、マンションを出て学校までの道のりを並んで歩く。
「怪我とか、大丈夫?」
「ええ。すこし痛みますけど、大したことは」
「転校してきた前の日にも学校に来てた?」
「ええ」
また途切れる会話。
校門近くでばったり鈴音に会った。
「あ……お、おはよう」
「おはよ」
「おはようございます」
なんで俺は動揺しているんだ。鈴音はきょとんとした顔で俺と春原を交互に眺めて、ふ〜んと鼻を鳴らしてそのまま去っていった。おい、その微妙な反応はなんだ。
「山吹さん、ですよね」
「うん」
「彼女とは仲良しなの?」
「えっ……うちのバンドのリーダーなんだ」
「そう……」
春原はそれだけ言って校門をくぐる。俺は慌てて後を追いかけた。
昼休み、唐沢が猛然と詰め寄ってきた。
「アキ、おまえ、春原と一緒に登校してきたんだって?」
こいつはかわいい女の子のことになると、ほんと情報が速い。
「家が同じマンションだったんだよ」
「なにその萌えるシチュエーション」
「知るかっ」
唐沢は、はぁと溜息をついて、心底がっかりした顔になった。
「いいなぁ、なんでおまえばっかりかわいい転校生に縁があるのさ。不公平だよ」
和彦は、まったくだという顔で頷いている。俺だってわからない。
春原と鈴音はそれぞれの女子のグループで弁当をつついている。春原はサンドイッチ、鈴音はそぼろご飯。ふたりとも笑顔で談笑に加わっている。
「まったく、どっちがいいかなんて贅沢なこと考えてんじゃないだろうな」
「やかましい」
俺は売店のコロッケパンをかじった。
*
バンドの練習はいつもどおり、とはいかなかった。展開を間違えることがいつも以上に多く、真古都ちゃんに、
「アキさん、なんだか今日はぼんやりしてません?」
とか突っ込まれる羽目になった。いえいえ、いつでも俺はぼんやりしてます、と適当な受け答えで笑いを取っておく。鈴音はいつもどおり、にこにこジャガーをかき鳴らしていた。
家に帰るとさらに強烈な展開が待ち受けていた。ドアを開けるとなぜか楽しげな笑い声が聞こえてきて、ちょっと嫌な予感。姉ちゃんがぱたぱたやってきて、
「ねえねえ、メイちゃんってあんたの彼女?かわいいワァ、お人形みたいねっ。執事さんも一緒に来てるよ、お金持ちなのねー」
「へ?」
俺は目が点になった。リビングでは、春原が自分の家みたいな落ち着きで紅茶を飲んでいる。
「お邪魔してます。アルフレッド、お茶を用意して差し上げて」
立ちつくす俺。姉ちゃんはケーキをぱくついている。
「うーん、おいしいタルトね……駅前の洋菓子屋さんなんか目じゃないわ」
「お嬢様の手作りでございます」
「ほんとに?うん、これはすごい」
「ありがとうございます」
春原はにこやかに言う。
事の次第はこうなっていた。春原が学校からの帰り道、貧血で倒れていたところに俺がたまたま通りかかり、介抱して家まで送ってくれた。それで大変近所だということがわかり、こうして挨拶にやってきた。これもなにかの縁、末永くお付き合いうんぬん。完全にデタラメってわけでもないけど、おおむね作り話だ。まあ、あんなこと人に言えるような話じゃないのは確かだ。警察に行ったところで、幽霊に殺されかけたなんて、信じてもらうだけで一苦労だろう。アルフレッドさんは改めて話す、と言っていた。どうもなにか秘密があるみたいだった。
なにも知らない姉ちゃんは感心して、
「アキったら意外と男らしいとこあるんだー、へ〜」
なんて言ってる。春原の視線がプレッシャーをかけてくる。俺は苦笑い。ごめんよ姉ちゃん、ほんとのことは黙っていないといけないらしい。
「メイちゃんも五月生まれなのね。わたしもそうなの、だから皐月って名前にしたんだって」
「わあ、おんなじですね。May は五月って意味なんです」
「おおーっ、やっぱりそうなんだ。似た者同士ってわけだぁ」
メイと姉ちゃんはすっかり意気投合している。俺は微妙な居心地で、とにかくタルトをつついていた。うまい、んだけど、味わってる心の余裕がない。
ひとしきり談笑してから春原とアルフレッドさんは帰っていった。
「うん、じゃ、春原さん、また学校で」
「メイ、でいいわ。おやすみなさい、アキ」
遅い夕飯では姉ちゃんが大はしゃぎだった。いじりを適当に受け流して、さっさと自分の部屋に退散する。Mac を起動して iTunes をシャッフル再生。流れてきたのは The Cardigans の『Sick & Tired』。むう、俺の気分を察したか。ベッドに転がって枕に顔をうずめる。疲れた。ここ二日でいろんなことがありすぎだ。
中学の頃は家を出ることばっかり考えていた。俺はあんまり両親のことが好きじゃない。父さんは仕事で成功した大人の趣味人で、夫婦仲も円満。絵に描いたようないい父親。だけど、その完璧さが俺には窮屈だった。自分の影ばかり際立ってくるから。重圧を感じていた。俺には人並み以上にこなせる自信のあることなんかひとつもない。勉強もいまいち、運動もいまいち、ルックスもいまいち、そして音楽もいまいち。こんな気持ちは思春期のお約束なんだろうか。最初のギターとレコードの多くは親父譲りのものだ。そういう意味では感謝してる。でも、離れたくてしかたなかった。今弾いてるメキシコ製のテレキャスターは去年の夏頃にバイトして買った。親父に頼めばあんまり弾いてないレス・ポールを譲ってくれただろう。しかし、俺は自分の力で自分のギターを持つ必要があった。自分のために。幸か不幸か、親のほうから俺から(物理的に)離れていってくれた。両親だけドイツに行くってことになったとき、ほっとしたのを覚えている。それが去年の年末の話。
次に流れてきたのは Sonic Youth の『Teen Age Riot』。サーストンの叩き付けるようなギターリフ。ポジティブに考えれば、ここ最近の出来事は願ってもない冒険の始まり、と言えなくもない。そう思うことにしよう。うん……
4 屋上の事件
しばらくはなにごともなく過ぎていった。命の危機を感じるようなことはなかった、っていう意味で。
メイと俺は成り行きで一緒に登校するのが日課になってしまった。朝っぱらからチャイムを鳴らすヤツは誰だと思って玄関のドアを開けると、メイだった。
「ご迷惑じゃなかったら、一緒に学校いきません?」
笑顔で俺を急かす姉ちゃんの言外の圧力を背中に感じながら俺は家を出た。それ以来、メイは毎朝迎えに来る。そして俺は、ホームルームがはじまるまで広和と唐沢の妬みにさらされるのだった。
メイは昼休みや放課後の空いた時間に、俺に学内をあちこち案内させた。登校するときと同じでメイはあまり雑談というものをしない。俺もなにを話していいのかよくわからないから、基本的に黙々と歩き回るだけだ。そして時折じーっと部屋を眺めたあとで、俺を質問責めにするのだった。
「視聴覚室ってなにをするところなんですか?」
「なんか、ビデオ観たりとか。あんまり使った記憶がないけど」
「設備はわたしたちの教室よりずっと立派なのに、なんであまり利用しないのかしら?」
「うーん、なんでだろうな」
「不思議です。ここじゃ立派なところに限って放ったらかしなんだもの。考えられない」
「メイの前の学校はどうだったんだ?」
「……そうね……生徒には常に最高の装備を。そうでないと、すべてが終わりだった」
「えっ?」
メイはまた歩き出していた。俺は慌ててついていく。
屋上に出た。放課後もだいぶ遅い時間になってきているので、生徒の姿はない。メイは中空を睨んで微動だにしない。緊張感が伝わってくる。俺は目を凝らしてメイの見ているものを見ようとした。が、なにもない。
「アキ、あなたは感じる?」
「なにがなんだか、さっぱり」
メイが視線を変えずに俺になにか差し出した。イヤフォンと黒いスティック。幽霊に襲われたとき、メイがつけてたやつだ。
「これをつけて。アイソレーションフィールドに捕らえられても動けるから」
あいそれーしょん?いったいなんのことを言ってるかさっぱりだったけど、嫌な予感に従って俺は言われたとおりにした。イヤフォン越しにメイの声がする。
「来るわ」
不安げなコードがイヤフォンから聞こえる。なんだこれは。ピリピリした風が吹き抜けて、周りの空気が変わる。これは、あの夜と同じ。
「これは……」
メイは胸元から黒いスティックを取り出し、右手に握った。スティックから黒い帯が伸びて、メイの体を覆っていく。帯はメイを完全に覆ってしまうと硬化して、漆黒の鎧に変わった。あの夜の黒い騎士。
夕暮れ時なんだけど、妙に光が紫っぽい。イヤフォンから聴こえる不協和音がますます強くなる。激しい金属音が響いて、紫色の空間になにかが現れた。黒い半透明の人形。前のヤツに似てるけど、こいつは四つ眼だ。体の表面を、薄いピンクのオーラが覆っている。両腕の先には長い刃のようなものがついている。なんか、見るからに物騒なんですけど……
「なんてこと、戦士タイプなんて!」
「えっ?」
メイが剣を構える。
「アキは逃げて。ここはわたしが食い止めるから」
「ええっ?」
「あとのことはアルフレッドに」
猛然とメイが飛び出していく。なんだ、その思わせぶりな台詞。まるでこれが最後みたいじゃないか。
流れるようなメイの剣さばきを、四つ眼の幽霊は両腕の刃で受け流していた。メイの剣が大きく弾かれ隙ができたところに、四つ眼の鋭い突きが入った。メイはとっさに剣で突きを受けたが、体は後方へ大きく弾き飛ばされた。四つ眼が致命的な一撃を加えようと踏み込む。
まずい、と思った瞬間、俺は駆け出していた。持っていた鞄を四つ眼の顔めがけて投げつける。鞄はいとも簡単に切り裂かれた。あう、もうちょっと苦労してくれよ。そう思いながら俺は四つ眼に思いきりタックルをかました。斬られる、と思いきや、四つ眼はなにかに押し戻されるように後退した。あれ?
俺と四つ眼の間に割って入ったメイに突き飛ばされる。俺は尻餅をついて、そのままごろごろ転がった。
「あいたっ!」
「アキ!なんて無茶するのっ」
「だって……」
「こいつはわたしを狙ってきたの、だからわたしがなんとかするわ。だから、離れて!」
はじめてイヤフォンからまともなハーモニーが聴こえてくる。
「えっ?」
「へ?」
メイが再び四つ眼と剣を交える。
「アキ、聴こえてる?」
「なに、なんだよ!」
「アキは楽器ができるよね」
「あれでできるって言うならなー!」
「だったらイメージして。曲は聴こえてるはずだからっ」
メイはミドルキックをまともに受けてしまい、コンクリートに叩きつけられた。
「メイ!」
チクショウ、どうしろっていうんだ。とにかく集中しろ、するんだっ。イヤフォンからはさっきより安定したフレーズとリズムが聴こえてくる。深呼吸をひとつ。これでなにをイメージしろっていうんだ。深呼吸をもうひとつ。メイは楽器が弾けるでしょって言った。ギターを持ってたら、俺はどう弾くだろう?
イヤフォンからギターのコードらしきものが聴こえた。四つ眼がなにかの衝撃を受けて、怯んだ。
「……ごほっ、そのまま続けて!」
ところどころ音が合わない。だけど、だんだんうまくいってる気が、する。
四つ眼の周りをなにかが飛び回ってる。黒い短剣?それが四本。ふと見ると俺の首にぶら下げた黒いスティックが変形して、新しい、ちょっと不細工な短剣をもう一本作ろうとしている。短剣たちは聴こえてくるビートに合わせて次々に四つ眼に襲いかかっていた。
隙ができた四つ眼に、体勢を立て直したメイが斬りかかる。メイの剣は、短剣に気を取られていた四つ眼の幽霊をきれいに十字に切り裂いた。赤黒い血液が切り口からほとばしり、グラスの砕けるような音とともにその姿が崩れ、溶けていく。
世界は元の夕暮れのオレンジに戻っていった。変身(でいいのか?)の解けたメイが俺に駆け寄ってくる。ああ、助かった、のか。
「アキ、アキ!」
俺の最後の記憶はオレンジ色に滲んだ夕日。
5 世界のこと
白い教室。誰かがギターを弾いてる。アコースティック。曲は……Slowdive の『Dagger』、かな。開け放たれた窓から風が吹き込んでいる。外の光が眩しい。弾いてるのは誰だろう。椅子に座ってる女の子の顔は逆光でよく見えない。女の子?そうだ、この歌声は女の子。落ち着いた透き通る歌声。風になびくのは短い髪。細い首筋がシルエットになってて……女の子が演奏を止めて、立ち上がる。ゆっくりこちらを振り返ると、彼女は金色に輝く瞳。教室が青い光に包まれて……
「鈴音?」
目が覚めた。知らない天井だった。強烈なタックル。泣きじゃくった姉ちゃんだった。
「わあぁぁぁん、よかったあぁぁぁ〜」
「ちょっと、姉ちゃん、苦しいって……どうしたの」
「だってだってだって……」
「丸一日、眠り続けていらっしゃいました」
アルフレッドさんの声。頭を動かすと、アルフレッドさんに支えられて、口を固く結んだメイが立っていた。そっか、俺は気を失っていたんだ。
「メイ……大丈夫だったんだ」
自分の声が擦れてる。メイは目を伏せたままだ。
「……あの……ありがとう。ほんとに、ありがとう」
「……えっと……俺、なんかしたっけ?」
「アキが助けてくれなかったら、わたしは勝てなかった。死んでいたかもしれない」
「……俺が、メイを助けた?」
メイはやっぱり伏し目がちに、こっくり頷いた。
「だから、アキと皐月にはほんとうのことをお話ししなきゃいけないんです。……ほんとは、もっと早く話しておくべきだったんだけど……わたし、迷っちゃって……だから……試すようなことして、ほんとにごめんなさい」
記憶が戻ってくる。ああ、なんかとんでもなく無謀な行動に及んでいたよーな……
「とても信じられないかもしれないけど……わたしの話を聞いて欲しいんです」
俺は体を起こそうとしたが、アルフレッドさんに止められた。まだお体に障ります。
「なにか食べるものを用意しましょう」
アルフレッドさんは奥へ引っ込んでいった。
メイはすぅ、と深呼吸すると、きっぱりした表情で語りはじめる。
「わたしとアルフレッドはこの世界の人間じゃありません。別の宇宙にある地球からここへやってきたんです」
俺と姉ちゃんはいきなり目が点になった。メイはやっぱり、と肩をすくめた。
「こちらではまだ発見されていないんですよね。宇宙はひとつしかないわけではなくて、同じような構造を持った宇宙がいくつも並行して存在しているんです。このことはわたしたちの宇宙では五十年ほど前に発見されました。自分たちの宇宙のことをわたしたちは〈ファースト〉って呼んでます。呼び名は単にわたしたちが発見した順番ってだけで、深い意味はないの。アキたちのいる宇宙は〈サード〉。わたしたちは〈フィフス〉まで確認しています。それぞれの宇宙は境界領域と呼ばれる領域で繋がっていて、わたしたちはここを通ってほかの宇宙にある地球と接触することに成功しました。宇宙と宇宙は基本的によく似てるんだけどディテールはかなり異なっています。例えば文明」
メイが指でなにかサインを描くと中空に映像を映すスクリーンが現れた。テレビで見るような中世ヨーロッパの田園風景が映っている。城らしきものが見えるが、それは俺が知っているものよりずっと大きくて構造もやたら複雑だった。
「これがわたしの故郷。あなたたちの言う剣と魔法のファンタジー世界によく似てるんじゃないかな。あなたたちの地球では錬金術みたいなテクノロジーが発達して工業文明を栄えさせているけど、わたしたちの世界ではもっと精神的なもので文明が発達しました。つまり、魔法です」
アルフレッドさんが山ほどワッフルを持ってきた。スクリーンには、映像でもその巨大さがわかる四角い塔が映し出されている。
「これが〈ウィザードの塔〉。わたしたちの魔法研究の中心地。こういう塔が各地にあって、マナ−−簡単にいうと魔力のことです−−その流れを集約して、精神ネットワークとマナラインを構成しています。膨大な魔法知識もここに収められています。ほかの宇宙の存在は、いちばん勢力の強い赤の塔の大ウィザード、ツベルクによって発見されました。最初に接触に成功したのは〈セカンド〉で、そこでは〈ファースト〉と同じように魔法が発達していました。接触は大事件だったそうです」
金の服を身に纏った、色黒の背の高そうな人たちの映像。〈セカンド〉の人たちだろうか。
「コンタクトは幸運にも非常に友好的に行われました。〈セカンド〉のシャーマンたちはとても賢明でした。当時はまだ直接行き来することはできなくて、オーバーシアーというウィザードたちがテレパシーで交流を図っていました。オーバーシアーや〈セカンド〉のシャーマンは、意識だけを遠くへ飛ばして探索するのが得意なんです。〈セカンド〉との共同研究でわかったのは、宇宙同士がこれほど似ているのはもともと同じ宇宙から生まれたコピーだかららしいということでした。この未発見の仮説上の大元の宇宙は〈ゼロ〉と名付けられました」
メイプルシロップのかかったワッフルはとても甘く、すぐに胸焼けしてきた。メイは続ける。
「宇宙間で物質が移動できるようになったのは二十年ほど前のことです。最初にこれを試みたのは緑の塔の大ウィザード、イェリネクでした。彼はいくつかの非生物を〈セカンド〉とやりとりしたあと、自ら実験を行って〈セカンド〉へ行きました。彼は成功し、歴史に名を残すことになりました。そのおかげで〈セカンド〉との間に宇宙間を移動するハイパーゲートのネットワークが確立し、人やものが頻繁に行き来するようになったんです。素晴らしい進歩でした。でも、いいことばかりじゃなかった」
ひとつ眼の幽霊の映像。
「俺とメイが戦ったやつだ」
メイは頷いた。
「この怪物をわたしたちはファントムって呼んでます。十年ほど前から各地の塔の付近で目撃されるようになりました。ファントムは謎が多い種族です。どうやら宇宙と宇宙の間の境界領域からやってくるらしい、ということしかわかっていません。最初のうちはなにもしてこなかったのですが、ある日、大軍で緑の塔に侵攻してきたんです。強力な戦士タイプも含まれてて、軍隊を出しても対応しきれなかった。緑の塔は占拠されて、マナの流れも乱れました。イェリネクはこの戦いで命を落としてしまいました。緑の塔はハイパーゲートに関する研究の本拠地で、彼は〈セカンド〉のシャーマンで共同研究者で恋人のアマラと、そこに住んでいたんです。窮地に陥ったわたしたちは早急な戦力の増強に迫られました。そして、ファントムと戦うために結成されたのが黒騎士団」
十二人の黒い鎧の騎士が丸いテーブルを囲んで座っている映像。鎧の縁は様々な色の光で縁取られている。
「……アキはもう知ってるよね」
メイは胸元からあの黒いスティックを取り出した。
「これはクリスタル。〈ファースト〉では魔法を使うのにこういうものを使います。魔法をそのままの形で発動させるには特別な環境と才能が必要で、昔は伝説的なウィザードでもない限りそんなにすごいことはできませんでした。せいぜい小さな火をつけたりとか、石を遠くへ飛ばす程度のこと。魔法を封じ込めたこういうクリスタルが発明されたことで、ほんの少しマナを操れれば誰でも強力な魔法が使えるようになったんです。大発明でした。クリスタルにはいろんな種類があって、〈ファースト〉では日常生活に欠かせない道具になってます。例えば、これは照明」
メイは別の白いクリスタルを取り出して、頭上にかざす。天井近くに白い光がぽっと灯る。
「この黒いクリスタルは黒騎士のために〈セカンド〉のシャーマンたちと塔の大ウィザードたちが協力して開発した強力なもので、対ファントム戦用の装備がいろいろ収められています。その中でも強化された鎧と音響武器は黒騎士の象徴でもあるんです」
「そのクリスタルをメイちゃんが持ってるってことは……」
姉ちゃんが呟く。
「そう。わたしは黒騎士」
クリスタルがするすると変化して、メイの手に細身の剣が握られた。右腕は黒い金属質な篭手で覆われている。剣の刀身に沿って時折青い光が走り、柔らかくて金属的な和音を響かせている。
「まず最初に十二個のクリスタルが作られ、十二人の騎士に託されました。そして、その最初の十二人の騎士を筆頭に各黒騎士団が編成されました。団長は黒騎士団の創立者のひとりで、イェリネクのパートナーでもあったアマラ様です。アマラ様は強力なシャーマンで、黒騎士のクリスタルの基本設計は彼女の手によるものです。わたしたちは反撃を開始しました。壮絶な戦いの結果、緑の塔は取り返すことができたけど、払った犠牲は大きかった。たくさんのウィザードと騎士が犠牲になった……」
メイは言葉を切った。なにか考え込んでいるようだった。短くて重い沈黙。
「わたしがこの〈サード〉に派遣された理由は、ある調査のためです。一年ほど前、オーバーシアーが大きなマナ共鳴を観測しました。それは記録にないくらい大規模なもので、塔の精神ネットワークを一時的に麻痺させるほどのものでした。オーバーシアーの探査でわかったことは、発生源はここ〈サード〉にあって……」
メイはすこしためらった。
「その発生源は……〈サード〉にいるある人物。それは山吹鈴音」
「へ?」
俺の手から握ったままだったフォークが落ちた。
「わたしの任務は山吹さんが何者か調べること。ファントムたちの狙いもおそらく彼女です」
鈴音がそんなわけのわからないなにか、だって?んなアホな。
「鈴音はどっからどうみても普通の人間の女の子みたいなんだけど……」
メイはちょっと困った顔をした。
「そうなの。学校にいる範囲では異常はなにも発見できませんでした。ほかの宇宙からやってきた可能性も考慮したけど、そういう痕跡は一切なかった」
「ふーむ……」
「でも、ファントムが動いている以上調査を続ける必要がある。ファントムたちはわたしたちの知らない、なにかを掴んでるみたいなんです、悔しいけれど。それでね……」
「それで?」
「アキ、あなたにも手伝ってほしいの」
「え?」
「あなたは、わたしと同じ種類の人間だから」
どういうことだ?ますます目が点になっている俺と姉ちゃんを見て、メイが続ける。
「クリスタルはあらかじめインストールされた魔法しか使えないものなんです。黒騎士のクリスタルはすごく強力だから誰にでも扱えるものじゃないんだけど、もともとインストールされてる魔法しか使えないのはほかのクリスタルと同じなの」
メイは俺をまっすぐ見て話し続ける。
「アキ、わたしたちがファントムに襲われたとき、あなたに渡したクリスタルは緊急用の保護機能が作動するようにセットしてあったの。行動不能になった騎士とクリスタルを守るためのものよ。でも、あなたは自分の力で、黒騎士のクリスタルを完全に起動させて、本来装備されてないはずの武器まで創りだした。並のウィザードにできることじゃない」
あの黒い短剣のことか。俺は意図してあれを出したわけじゃない。ただの偶然だと思ってたけど、違うのか?
「魔法を使うにはマナが必要なんです。〈ファースト〉ではクリスタルと、それをサポートするマナライン−−マナを送る電線みたいなものよ−−のおかげで誰でも魔法が使える環境が整ってはいるんだけど、マナは本来、自己の精神と自然から抽出されるものなの。個人個人の扱えるマナの量には限度があるんだけど、稀に極めて大きい量のマナを扱える人間が産まれるんです。そういう人間をわたしたちはネイティブと呼んでます。わたしもそのひとり」
それって、メイはものすごいエリートってことなんじゃ?
「ネイティブのウィザードは、自分の潜在マナを一気に解放することで、普通の術者では扱えないような特殊で強力な魔法を使うことができるんです。かつての伝説的なウィザードのように。アキがやったことは、まさにそれだった」
「俺が?」
「そう、あなたもネイティブなの、アキ。わたしと同じ。あなたの力が、魔力が固定されてるはずのクリスタルを変化させたの」
「……」
「今まで気づかなかったのも無理ないわ。〈サード〉では魔法は衰退してただの占いレベルになってるし、マナの流れもすごく弱いんです。だから、わたしもネイティブの存在はぜんぜん予想してなかった」
言葉が出なかった。
「アルフレッド、あれをアキに」
アルフレッドさんは、厚手の柔らかい布でできた巾着を俺に差し出した。中には、黒いクリスタルとイヤフォン。
「これを受けとってほしいの、アキ」
「えっ、俺が……」
メイがすぐに遮った。
「ええ、突然こんなこと言って、戸惑うだけだってわかってる。でも受けとってほしいの。ネイティブのあなたにはそれを持つ資格がある」
「うん……」
ストラップにぶら下がる黒いクリスタルはどこまでも滑らかだった。こんなに透き通るように黒いものはほかに知らない。
「きれいだね」
「それはわたしが作ったの。仕上げはオリジナルの優雅さにはとても及ばないんだけど……機能はまったく同じ。ひとりでクリスタルをコードから組み上げられるのが、わたしのネイティブとしての能力なの。そういうウィザードはビルダーって呼ばれてる。〈サード〉に派遣する騎士にわたしが選ばれたのは、このネイティブビルダーとしての能力が評価されたからよ。普通は専用の大きな工房で作られるものなの」
メイはちょっと照れくさそうに言ったが、すぐに元の真剣な表情に戻った。
「ファントムたちはあまり表立って行動は起こしていない。理由はわからない。〈サード〉ではマナが不活性だからかもしれない。でも、わたしの存在は知られてしまって襲撃を受けた。戦いははじまってる」
メイの表情が厳しくなる。
「わたしはアキや皐月を巻き込みたくなかった。わたしひとりで解決できる問題だと思ってたんだけど、間違ってた。アキを危険な目に遭わせて、皐月を心配させて。そのうえ二回もアキに助けてもらって、こんなお願いまでしてる。騎士として失格。でもね……」
「でも?」
「わたしの故郷は危機に陥ってる。緑の塔は取り返したけど、ファントムたちは定期的に各地の塔を襲撃してるの。わたしは、わたしの故郷のために少しでもいいから役に立ちたい。お願い。力を貸して、アキ」
同い歳の女の子の台詞とは思えない、切実な響きがそこにあった。
「すこし……すこし考えさせてもらえるかな……」
俺は、しばらく間を置いてそう答えた。まかしとけ、なんてとても言えなかった。メイはうつむいて聞いていたが、俺の煮え切らない返事に笑顔で答えた。
「わかったわ。ごめんね、変なお願いして。もうしばらく眠ったほうがいいわ。いきなりあれだけのマナを使うと、精神の休息が必要なの」
俺はまた急に強烈な眠気に襲われた。メイ、ごめん。
*
メイの家で、俺はまた一昼夜眠り続けた。別にどこか悪かったわけではなく、マナの回復に必要な休息なんだそうだ。それほど強力な力を俺は使っていた、ということらしい。アルフレッドさんのやたら念入りな検査(だと思う)の末に許可が出て、ようやく自分の家に戻った俺と姉ちゃんは、黒いクリスタルを挟んで無言だった。
「……あのね、アキ」
姉ちゃんが沈黙を破る。
「なんか大変なことになってるみたいだけど……あんたの決めることに、お姉ちゃん口出したりしないから。好きなようにしてくれていいんだよ」
「……ありがと」
「……メイちゃん、いい子だよね。ずっとアキの側に付いててくれてたんだよ」
「そっか……」
「わたしにもいろいろきちんと話してくれたし。よくわかんないことばっかりだったんだけどね」
「うん……」
「山吹さんもかわいいんでしょ?」
「うん……って、なんだよ急に」
「アキったらモテモテだねえ。わたし、びっくりだよ」
「……ほっといてよ」
会話はだんだんどうでもいい方向に流れていったが、視線はテーブルの黒いクリスタルから離れなかった。
「……今日はとりあえず、もう寝る」
「そっか、もうそんな時間か……」
俺はクリスタルを取って立ち上がった。
「おやすみ」
「おやすみ」
あれだけ寝た後だし、そうそう寝つけるもんじゃなかった。ギターを抱えたままベッドに転がって、漠然とコードを鳴らす。メイの話を思い返す。メイたちの世界をファントムが脅かしてること。鈴音がなんかすごい存在らしいということ。メイやファントムは、それを調べるためにやってきたこと。俺はネイティブとかいう、なんかすごい能力者らしいこと。
そんなことをぼんやり考えつつ、鈴音のことを考えた。俺の知ってるあいつは、たしかにちょっと変わってるかもしれないけど普通の女の子だ。音楽の才能はちょっとずば抜けてるけど、成績は俺よりちょっと上くらいだし(つまり中の上。鈴音は自分が興味のないことはまったくやろうとしない。そして科目の大半に興味がない)、運動もそれなり(機敏そうな体格なんだけど。これもやる気の問題なんだろうか)。彼女ってわけじゃないし、立ち入った私生活まで知ってるわけじゃない。そういや鈴音とはプライベートな会話というのはほとんどした覚えがなかった。夏休みに連絡を取るのにメールアドレスは交換してたけど、用事があるとき以外メールなんか送ってきたことがないし、俺も送らなかった。真古都ちゃんはなにかしらちょこちょこ送ってきてたのだけど。誠太郎は……言わずもがな。
ああ、携帯。放ったらかしだ。受信フォルダには、広和と唐沢、真古都ちゃんから。そして、鈴音。緊張しながらメールを開いてみる。ひとことだけ
「大丈夫?」
と書かれていた。そういえば練習、行けなかったな。寝込んでるうちにもう土曜日だ。
メイ。メイは、月曜もうちに来るだろうか。
6 ぎこちない復帰
月曜の朝、メイはいつもどおり、俺を迎えにきた。俺も姉ちゃんもほっとしつつ、なんだかぎこちない感じだった。
ふたりとも無言のまま、前を向いて俯きかげんに歩く。空気が重い。
「……」
「……」
なにか喋らなきゃ、というプレッシャーがかかる。
「あのさ……」
「あの……」
かぶった。ふたりで顔を見合わせる。メイがこちらを見上げてにっこり笑った。
「ちゃんと出てくれて、安心しました」
「ははは……」
俺は苦笑いを返す。
校門で真古都ちゃんに見つかった。向こうからすごいスピードで走ってくる。中学時代はサッカーをやってて、快速フォワードで鳴らしたそのストライドは実にパワフル。
「アっ、アキさん!大丈夫だったんですか、心配してたですよっ!」
真古都ちゃんは荒い息のまま言った。
「あ、うん、ちょっと、風邪がこじれちゃって……」
「メールの返事も来ないから、よっぽど悪いのかなって。あっ、春原さんオハヨウゴザイマス」
メイもおはようございます、と挨拶を返す。背の高い真古都ちゃんとメイが並ぶと、大人と子供みたいだ。
真古都ちゃんがひそひそ声で耳打ちしてくる。
「鈴音さん、アキさん休んでるとき、びみょーに機嫌悪かったデスヨ」
「え?」
「ええ、ええ。溜息ばっかついてマシタ」
「それって、どういう……」
真古都ちゃんはニンマリ笑って、
「ちゃんとフォローしないとダメですよ〜」
と言い残して、これまたすごい勢いで去っていった。
教室に入って席に着くと、広和に声をかけられた。
「おー、生きてたか」
「まあな」
何言か言葉を交わして、席に着く。唐沢は本当に風邪でダウンらしい。流行ってるのか。メイは女子たちに挨拶しながら荷物を片付けていた。
突然、頭頂部にバシッと衝撃。痛いっ。見上げると、バインダーを持った鈴音だった。
「いきなりなにするんだよっ」
「あげる」
「?」
鈴音が差し出したバインダーは、ノートのコピーだった。
「あ、ノートなら……」
と言いかけたところで、踵のあたりをなにかで強打された。
「い!……」
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。ありがと」
「うん」
鈴音はそれだけ言うと、つかつか歩いていって自分の席に腰を下ろし、いつもどおり窓の外を眺めていた。
「レディの申し出は断るもんじゃないです」
メイがぼそっと言う。足下を見ると、透明のクリスタルが虫みたいに飛び回っている。はい。俺が悪うございました。
ノートをぱらぱらとめくる。鈴音の字はあいかわらず綺麗だ。
*
放課後、俺は思い切って鈴音に話しかけた。
「ノート、ありがとう。助かった」
「うん」
「……でさ、最近なんか変わったことなかった?」
「変わったことって?」
「いや、完璧に寝込んでたから。なんかなかったかなって、それだけ」
「ふうん」
鈴音は鞄に手を添えて、椅子から俺を見上げている。えーあー、スムースに会話できない。
「あのさ……練習いけなくてごめんな」
「しょうがないでしょ、謝ることじゃないわ。風邪、もう大丈夫なの?」
「うん」
鈴音の眉が下がる。心配してくれてたんだろうか。
「次の練習は、また水曜でいいのか?」
鈴音の表情がぱっと明るくなる。
「うん」
「そっか、わかった。それじゃ」
「またね。バイバイ」
鈴音はパタパタと教室から出て行った。俺は大きく溜息をついた。
メイはもう教室にいなかった。はぁ。
7 決断
水曜。家までギターを取りにいってからスタジオへ。時間になっても鈴音が来なかった。
「鈴音さん、珍しいですよね。時間になっても来ないなんて。メールの返事もないし」
電話しようかって話になったとき、鈴音が憮然とした顔で現れた。メイの話を聞いてた俺は内心ほっとした。だがっ。後ろに連れてるヤツは誰だ?うちの高校の制服なんだけど、見たことない顔だった。
「遅れてごめんね。妹尾くんがどうしても来るってしつこくって」
鈴音は心底困ったなって表情だ。これは珍しい。
「どーも。ぼくは妹尾悠。悠でいいよ。今日はよろしく」
悠は愛想のいい笑顔で自己紹介した。昔から俺たちのことを知ってるみたいに落ち着き払った態度だ。しかも妙に馴れ馴れしい。
「ま、とにかくはじめましょ。時間がもったいないわ」
四人でちょうどのスタジオは、五人だとかなり窮屈だった。悠は自分のギターケースを抱えたまま、隅で丸椅子に腰掛けて俺たちの演奏を眺めていた。どうにもやりにくい。いつもの調子なのは誠太郎だけ。鈴音は見るからに機嫌が悪そうだった。マイクをセットしてるのに歌がいちども出ない。珍しい。
「ぼくも弾いてみていいかな」
二、三曲やったあと、悠が立ち上がって言った。
「うん……」
「俺は見てるよ。ギターは三人もいらないし」
俺がそう言うと鈴音はなにか言いかけたが、諦めたように肩をすくめて溜息をついた。
「なにができるの?」
「さっきやってたのでいいよ」
黒いレス・ポールをチューニングしながら悠は言った。
「じゃあ……『Taste』ね」
真古都ちゃんがオーバードライブペダルを踏んで、Ride の『Taste』のイントロを弾きはじめる。
なんとなく予想はしていたけど、悠のギターはびっくりするほど上手かった。テクニックはおそらくプロ級だろう。俺なんかとは較べるまでもない。正確無比って言葉がぴったりの演奏だった。俺と真古都ちゃんは目が丸くなっていたが、鈴音はますます機嫌悪いオーラを発散していた。いつも以上にラフな演奏で、とげとげしいくらいだ。
曲が終わる。真古都ちゃんは、ほぇ〜と感嘆の溜息をつき、鈴音はやれやれというように溜息をつく。悠はしばらく考え込んだ顔でスケールを弾いていたが、
「なるほど」
と言うとギターのプラグを抜いて、また丸椅子に戻った。
「あとは見てることにするよ」
爽やかを絵に描いたような笑顔でそう言った。
練習が終わると悠は、
「今日は面白かったよ。それじゃ。またね、鈴音ちゃん」
と、女子受けしそうな笑顔でさっさと引き上げていった。面白かったって、ほんとかよ。てか、あいつなにしに来たんだ?
*
「悠さん、すごかったですね」
いつものドトールで真古都ちゃんがカフェ・オ・レを飲みながら言う。
「だな。俺より断然上手い」
鈴音は砂糖をしこたま入れたカプチーノを一気に飲み干して、頬杖をついたままいつものミントキャンディをもぐもぐしている。まだ機嫌が悪そうだ。
「俺は、悠のギターは好きじゃない」
誠太郎がぼそっと言う。
「上手いけど、つまらない。手がよく動くだけ。鈴音やアキとは質が決定的に違う。俺はここに入るまでポップ研のヘルプでちょくちょく顔出してたから、よくわかる」
なんと続きがあった。誠太郎にしては饒舌な台詞に、一瞬場が固まった。
「そうなのよね」
鈴音がはじめて口を開く。
「妹尾くんはポップ研の副部長なの。わたしと同じ頃に転校してきたんだって。わたしもポップ研には一週間ほど仮入部してたことがあるんだけど、あんまり好きな感じじゃなかったから、結局正式に入部はしなかったのよ。それなのに目をつけられちゃって、いまだにお誘いがあるってわけ」
鈴音は眉根を寄せて、心底困った表情をしている。まあ、鈴音の演奏を見ちゃえばなぁ。追いかけたくなる気持ちはわからんでもない。鈴音は手を伸ばした自分のカップが空なのを見て、また溜息をついた。ごそごそとキャンディの袋を取り出す。
「自分のバンドをやるって決めたとき、誰を誘うか、これでも結構悩んだのよ。わたしはこのメンバーが最高だと思ってる」
鈴音は言い終わると星模様のキャンディをひとつ、口に放り込んだ。誠太郎はまったくそのとおりという顔で頷いた。真古都ちゃんもこくこくと同意している。
「アキはどうなの?」
鈴音が例の小悪魔の微笑みで俺に振ってくる。ちょっと待て。
「俺は自分のことだけで精一杯だって。いいか悪いかなんて、よくわからないよ」
「それで?」
こいつ。
「うん……でも、楽しくは、ある」
正直な気持ちだ。鈴音は、どきっとするほど屈託のない笑顔を見せた。
「それでね、わたしは自分のバンド辞める気はないからって言ったら、じゃあそのバンドで学園祭に出てよ、だって。ポップ研は今、バンドも持ち曲も少なくて枠に足りないんだって。それで今日は偵察に来てたのよ。なんにも言わずに帰っちゃったけど」
鈴音はそこで腕組みして考え込んでしまった。
「まぁ……ライブはしたかったし、悪い話じゃないんだけど……みんなはどう?」
「それ、すっごくいいじゃないですか、やりましょーよ」
真古都ちゃんが目を輝かせて言う。まあ、そうだろうな……
「俺も構わない」
誠太郎もかい!
「う……どうせいつかはやるつもりだったんだったら、いいんじゃないだろうかと思う」
焦って日本語がおかしくなる。ちくしょー、腹を決めてやる。
しかし、当の鈴音が渋い顔のままだった。
「うーん……そうよね、悪い話じゃないんだよね……」
「あれ?鈴音さんテンション低いですヨ?」
「うん……」
鈴音はしばらく目を閉じ、難しい顔で考え込んでいたが、
「よし!わかった。やろう。決定ねっ」
いきなり身を乗り出して大声でそう言ったので、俺はアイスココアを吹き出しかけた。
「わたしたちのバンドの名前は〈スターライトミンツ〉。今決めたっ。曲も作るっ」
学園祭はいつだっけ……十一月の半ばか。こりゃえらいことになった。
*
みんなと別れたあと、煮え切らない気持ちでひとり、日の暮れかけた住宅街の坂道を歩く。不意に声をかけられた。
「やぁ、秋比古くんも帰りはこっち方面だったのか」
悠だった。俺はいちどもおまえを見たことはないぞ。それに鞄も持ってないし、思いきり私服じゃーないか。
「ん?やっぱり怪しいか。実はキミに話があって待ってたんだ。食べるかい?」
悠はなぜか林檎を差し出した。なんか気持ち悪い。悠の悪意のない笑顔は、逆に不安を掻き立てる。
「なにを企んでるんだ?」
「思ったとおりだね。いい勘をしてる。だったら余計な前置きはいらないな」
いや、普通に怪しいだろ。
「だから、なんの話だよ」
「鈴音ちゃんのことさ」
俺は思わず足を止めた。
「春原さんからいろいろ聞いてるだろ?ぼくも彼女と同じなんだ。別の宇宙から鈴音ちゃんを調べにやってきたってわけ」
俺の警戒心を察知したのか、悠は両手を振って見せた。
「誤解しないでくれよ。ぼくもあの幽霊たちに困らされてる側なんだから。ただ、情報交換がしたいだけだ」
「俺なんかより妹尾の方がいろいろ詳しいんじゃないのか?」
「そうとも言いきれないんだよ。接触のない別の宇宙から誰か送り込まれてるなんて、想定外だ。当然予想できる事態だったんだけど、ぼくらにはそこまで気を回す余裕がなかったってわけ。なんたって鈴音ちゃんの精神波動は、ぼくらの宇宙ではかなり深刻な影響があったんだ。龍脈からの気の流れが乱れて、そりゃもう大混乱だったよ。風水師の調査でこの宇宙に原因があることがわかった。気の流れの弱い辺境だってことで、名前もついていなかったんだよ、ここは。単に〈八〉とだけ番号がついてたんだ。そんなところが原因だなんて、みんな驚いた。世界中の道場に招集がかかって、総会が行われて、対策が協議された。調査隊が派遣されることになって、師匠はぼくを推薦した。それでぼくはこの宇宙にやってきた」
辺境とは失礼な話だ。
「ふむ、なに言ってやがるって顔だね。春原さんはなにも教えてくれてないのかい?それとも……まぁいいや。詮索するのはよくないな」
まったくだ。微妙な感じ悪さが鼻につくヤツだ。
「ぼくの任務は鈴音ちゃんが何者なのか調べること。そして、もし彼女が危険な存在だったら……」
悠が手に持っていた林檎を放り投げる。林檎は軌跡の最高点で白く煌めいて、次の瞬間破裂した。
「排除しろ。そう命令されてる」
「……本気か」
「まさか。君と鈴音ちゃんの取り合いなんかする気はないよ。ぼくの圧勝に決まってるしね」
「え?」
「彼女はとびっきりキュートでクール、ってやつさ。ぼくは鈴音ちゃんのことがすごく気に入ってる。君もだろ?」
答えにくい質問するな。言い返せないじゃないか。てか、なんでそういう話になるんだ。
「あんなにかわいくてギターも歌もうまくて性格もいい女の子なんか、そうそういるもんじゃない。野暮なことはしたくないよ。だから君にぼくの秘密を打ち明けてるんだ。鈴音ちゃんにいちばん近い人間のひとりである君に、ね」
鈴音の性格についてのコメントには引っ掛かるが、まあそのとおりだ。でも、だからってこいつを信用していいものかどうか、俺には判断がつかなかった。
「メイに話を持っていったらいいんじゃないのか」
「さすがにそれはまだ、ね。彼女のことは君たち以上にわからない。敵かもしれないし。なにしろ超空間ゲートを使える相手なんだ。慎重にもなるさ」
悠は別の林檎をポケットから取り出して、俺に投げてよこした。
「君たちのバンドは不思議だよ。ぼくらの地球では、そもそも芸術のためだけに音楽があるなんて考えもしないからね。君らはトップクラスにユニークさ。本当だよ。まだコピーしかやってないみたいだけど、それでもわかるんだ。鈴音ちゃんがすごいのは知ってたけど、君やほかのメンバーもなかなかどうして。ベースの女の子もかわいいし。鮎貝さんだっけ?うちの部員なんか凡庸なもんさ」
こいつ、女の子のメンバーで判断してるんじゃないのか。
「お世辞ならやめてくれ。少なくとも俺はそんな大したもんじゃない」
「そうかな。君はもっと自信を持っていいと思うけどな。演奏技術には改善の余地が多いのは確かだけど、それは大した問題じゃないよ。春原さんが君と親しくしてるのも、君の力を認めてるからじゃないのかい?」
否定できない。
「うん、まあ、今日はこんなもんかな。我らがポピュラー音楽研究部にも顔出してみてよ。学園祭の件、楽しみにしてる。それじゃ」
悠は軽そうな髪をなびかせて、颯爽と去っていった。
わかってるさ。俺の問題だってことくらい。俺は小振りな林檎を思いきり握りしめていた。
*
今日はまだ姉ちゃんは帰っていなかった。ケースに入れたままのギターと一緒にベッドに倒れこむ。目を閉じる。数を数える。一、二、三。四、で目を開く。いつもの天井。ベッドから起き上がる。枕元に転がっていた林檎をゴミ箱へ叩きつける。
俺の足は春原宅へ向かっていた。決断なんかできてるわけじゃない。でも、はじめないといけない気がする。それだけだった。
呼び鈴を押す。インターホンからはアルフレッドさんの落ち着いた声。
「おお、古谷様でしたか。しばらくお待ちいただけますか。すぐに開けますので」
ドアの向こうからどたばたと騒がしい音がする。それが止んだと思ったら、こんどはドアががちゃがちゃと大きな音を立てて軋んでいる。思いっきり反対側に引っぱってるんじゃないだろーか、と思い当たったところで、勢いよくドアが開いて、危うく顔面を直撃しそうになった。
ドアノブを思いきり握りしめて息を切らしているのは、メイだった。
「ごっ、ごめんなさいっ!大丈夫ですかっ?」
のけぞっている俺を見て、メイが慌てて言った。
「いや、俺は大丈夫だけど……」
メイは俺の視線をたどって、自分の胸元を見た。メイは沸騰したように真っ赤になって、開いたときの倍の勢いでドアを閉じた。
沈黙。
こんどはそーっとドアが開いて、メイが顔を出す。
「……あの、ごめんなさい、着替え中だったから……ボタンちゃんと留めてなくて……」
メイは真っ赤な顔で俯いたまま、もごもごと言った。
「いや、メイが謝るようなことじゃ……てか、はじめてじゃないし……」
「えっ?」
「いやっ!なんでもないっ。ごめん」
ヤバい。早く本題に戻さなければ。これは試練だ。優柔不断な俺に与えられた試練だ。
「それでさ……こないだの話なんだけど……」
「はい……」
メイが一瞬、不安げな表情を見せる。女の子に告白するのってこういう感じなんだろーかって、今はそんなこたどうでもいい。
「俺に……俺にできることがあるんだったら、手伝わせてくれないかな」
突然の衝撃で息が詰まった。
「ありがとう!ありがとうっ」
メイは俺の首が折れそうなくらい、思いきり抱きついていた。俺の手は行き場をなくし、メイは半ばぶら下がる格好になっている。甘い香水の香り。柔らかい感触。
こういう展開になる予定ではなかったんですけれども……
8 メイ
メイとアルフレッドさんは、難しい顔で俺の失敗作を睨んでいた。
「安定しませんな……」
「うん……」
リビングはよくわからない計測機械でいっぱいだ。台座に嵌った占いで使う丸い水晶みたいな玉がいくつか、額縁つきの黒板みたいなパネル、それらを繋ぐたくさんのケーブル。どれも年代物のアンティークのように見える。
俺はクリスタルをいくつか渡されて、言われるままに起動に挑戦してみた。しかし、たいていのクリスタルはうんともすんとも言わず。いくつかは暴走しかけて、メイが慌てて停止させた。十個ほど失敗した後、メイとアルフレッドさんは猛烈な勢いで調べものをはじめた。
メイは長い黒髪をアップにしてまとめ、色つきのフライトゴーグルみたいな眼鏡をかけている。アルフレッドさんが次々持ってくる分厚い大きな古びた本にすごい速さで目を通していた。
「うーん」
メイは頬に指を添えたポーズで黙りこくる。俺は手持ちぶさたで、微妙に居心地が悪い。当落ギリギリラインの面接みたいだ。
「やはり〈サード〉の方々の魔法適性は我々とは異なっているようですな」
「そうね……」
メイは、丸い玉の中で脈動する色とりどりの光のパターンを見つめていた。
「アキ、黒騎士のクリスタルは持ってる?」
俺は胸元からクリスタルを取り出してメイに渡した。メイが微笑む。
「大事にしてくれてたのね」
「うん、まぁ」
春風のような笑顔。正直、どきどきする。メイはほんとに育ちがいいのだろう。黒い鎧を身に纏って剣を振り回す姿は、普段のメイからはぜんぜん想像できない。
メイはノートPCみたいな機械にクリスタルを接続した。
「あれ?」
メイはしばらくあれこれメニューを操作していたが、また考え込んでしまった。
「これ、アキに渡したときからいちども起動してないよね?」
「もちろん。そもそもやり方がわかんないよ」
「うーん……」
メイはまた機械の操作に戻った。
「このクリスタルは、わたしたちがファントムと戦ったとき、アキが使ったものなの。そのときにアキが変えちゃったパターンは研究のために保存しておいたんだけど、今のクリスタルはそのときからまた変化してるみたい」
「う。俺、なんかまずいことしたか?」
「ううん、そういうわけではないのだけど……起動してないクリスタルの中身が書き換わるなんて、どういうことかしら。〈ファースト〉にもアキみたいなクリスタルを変化させる能力を持ったネイティブのウィザードがいて、トランスミューターって呼ばれてるの。トランスミューターはクリスタルの出力を増やしたり、コードを変化させてクリスタルにインストールされた以外の魔法を発現させたりできる。とっても強い力なんだけど、彼らでも起動した状態でないとクリスタルの中身を書き換えることができないの。そのうえ、変化したクリスタルは安定しないからすぐにダメになっちゃうんだけど……このクリスタルは変化した後でも安定した状態を保ってるだけじゃなくて、自ら変化を続けてる、ように見えるのね」
「ふむ」
「ログを見る限りそういう結論になってしまう。こういう複雑な仕事をこなす高度なクリスタルには学習機能があって使用者の癖を読んでくれるものなんだけど、これはそういうレベルの話じゃない」
「ふむ……」
メイはケーブルをクリスタルから外し、俺に渡した。
「起動してみて。やり方はほかのと同じだから」
俺はクリスタルを持って精神集中した。心の中で教わったとおりの短いフレーズをイメージする。なにも起きない。もういちど。なにも起きない。もういちど。やっぱりなにも起きない。
「うーん……」
メイはまた腕組みして考えこむ。
「そうだ」
メイはまたノートPCみたいな機械をすごい勢いで操作しはじめた。
「アキ、ギターを持ってきてくれない?なんだっけ、あのいつも使ってる小さい装置も一緒に」
俺がギターを持って戻ると、メイはギターの出力をノートPC(みたいなもの)に接続した。
「ファントムと戦ったとき、どんなフレーズを想像したか覚えてる?」
「……なんとか弾いてみる」
うろ覚えのフレーズを、音を確かめながら、つっかえつっかえ弾く。実際の音になるとイメージしていた素晴らしさは消え失せていく。いつものことだ。鈴音にそんな話をしたら、そんなの当たり前じゃないって笑ってたっけ。自分の頭の中なんて信用できないのよ。ちゃんと音にして確かめなくちゃ。
何度かフレーズを繰り返すと、手も慣れて音楽っぽくなってきた。メイはじっとモニタを見つめている。
クリスタルがいきなり青い閃光を放って、世界が真っ白になった。視力が戻ってくると、いろんなものがひっくり返ってひどい有様になってる部屋が見えた。メイは椅子から転げ落ちて尻餅をついた格好になっていて、アルフレッドさんは本の山に埋まっていた。
「アキ、それ……」
俺の周りを黒い物体がいくつも飛び回っている。短剣だと思っていたのは、よく見るとサイズの大きいギターピックだった。俺の使ってるのと同じ亀の絵が、黒い表面に青い光で浮き出ている。六枚のピックはそれぞれ違う音を発しながら、航空ショーのアクロバット編隊みたいに一糸乱れない動きを見せていた。
*
みんなで起動の成功を喜んだあと、こんどはクリスタルをシャットダウンするのに手間取ることになった。なんとか魔法を解除すると、ピックの編隊は母艦のクリスタルに吸い込まれていった。
散らかった部屋を片付けたあと、夕食をご馳走になることになった。
「皐月は?」
「姉ちゃんは友達と飲むから遅くなる、ってメール入ってた」
「皐月はお酒が大好きなのね」
「うん。飲み過ぎなきゃいいんだけどね。酒癖が悪くって」
メニューは肉と野菜のポトフ、みたいなもの。変わった香りのハーブがたくさん使われていた。でも、うまい。それからフライドポテトと酸っぱいドレッシングのサラダ。味付けが少し変わってるだけで、俺らの普通の食事とあんまり変わらない。
ひとしきり食べ終わると、アルフレッドさんがいい香りのするお茶を出してくれた。ひとくちすすってみる。とんでもない苦さに顔が歪んだ。メイが笑う。
「なっ、なにこれ?」
「我が家に代々伝わるハーブティ。マナの回復と整流に効果があるの。ちゃんと全部飲んでね」
意を決して一気に飲み干す。俺の顔を見て、またメイが笑う。
「わたしも小さい頃はおばあ様に泣きながら飲まされたわ。立派な魔法使いになれませんよ、って」
「メイはなんで黒騎士になったんだ?」
メイは、目を伏せて黙り込んでしまった。う、まずいことを聞いてしまっただろうか。気まずい沈黙。アルフレッドさんなんか目頭をハンカチで押さえている。
「ちょっと外の空気を吸ってきましょうか。散歩でもどう?マナの回復にはその方がいいの」
「あ、ああ、うん……」
*
外はすっかり暗くなっていた。昼間はまだまだ暑かったりするけど、日が暮れるとさすがにTシャツとパーカーじゃ肌寒い。メイはジャンパースカートにリボンのついた黒いボレロ。俺の隣をとことこ歩いている。俺もメイも黙ったままだった。
「この先にね、大きな池のある公園があるの、知ってる?」
沈黙を破ったのはメイだった。
「うん。小学生のときはよくロッドを持って、バス釣りにいってた」
「へ〜。アキはずっとここに住んでるんだね」
「そういうことになるな」
「ねぇ、公園まで行ってみましょうよ」
言うが早いか、メイは小走りに駆け出していた。慌てて追いかける。メイったら見た目に似合わず走るのが滅法速い。すぐ息が上がる。魔法の訓練のせいだな、こりゃ。そういうことにしといてくれ。
公園にようやく辿り着いた俺は、池の近くのベンチにへたり込んだ。きつい。メイは転落防止用の柵から身を乗り出して、池の水面から跳ねる魚が月明かりの下で煌めくのを眺めていた。
「ここにも月があって、魚がいる。変わんないね」
メイは振り返ってそう言うと、勢いよく柵に跳び乗ってその上に腰掛け……ようとしてバランスを崩した。
「きゃあ」
俺は慌ててメイの腕を掴んで引っぱって、倒れてくる体を受け止めた。
「あっ、ありがとう」
メイはぱっと俺の腕から逃れると、顔を真っ赤にして言った。
「いや、秋の夜に池に飛び込む羽目にならなくてよかった。でも、しょっちゅうやるのは勘弁してくれ」
「……ごめんなさい」
「いや、怒ってるわけじゃないんだ、ただ……」
女の子に抱きつかれたら嫌でもどきどきするじゃないか、なんて面と向かって言えるわけもなく、俺は言葉を濁した。
「お父様にもいつも注意されたわ。もっと慎重に行動しなさいって。ちっとも直らないんだけど」
メイは几帳面に服の乱れを直し、バレッタを外して上げていた髪を下ろした。髪がさらさらと流れ落ちる。メイはすとんとベンチに腰掛けた。
「お父様は黒騎士だったの。グリーン・ブラックの隊長だった。名前のとおり、緑の塔の守備隊だったの。でも騎士団結成当時、緑の塔はファントムに占拠されてたから、その任務は塔の奪還だった。優秀な騎士だったお父様にその大役が任されたってわけ。ちょうどその頃、わたしにネイティブの力が発現して、専門課程に編入することになった。『我が家にとって最良の年だ』って、お父様は大喜びだったわ」
メイは格式張った言い回しとポーズを真似て言った。
「お母様は体が弱くて、わたしを産んですぐ亡くなられたの。わたしはお父様とおばあ様に育てられた。わたしは小さい頃は病気がちで、ふたりをよく心配させたの。ネイティブは魔法に対する適性は極めて高いんだけど、身体や精神の健康がその代償になってることが多いんだって。わたしは成長が遅くて、同年代の子たちの中じゃいつもいちばん小さかった」
下手すると小学生くらいに見える体格はそのせいか。
「そんなこともあって、お父様はひとり娘のわたしのことを溺愛してた。もう、迷惑なくらいね。男の子の友人はお父様の〈試験〉を受けなきゃいけなかった。手加減なしのお父様と、模造刀で試合させられるのよ。わたしにふさわしい人物かどうか確かめるんだって。十にもならないのにね!そのことでいつもおばあ様に、大人気ないってたしなめられてたわ」
俺も試験とやらを受ける羽目になるんだろうか。俺は体育会系のノリは苦手だ。ひどい目に会うに違いない。
「お父様の出陣の日のことは、はっきり覚えてる。わたしは心配でぽろぽろ泣いてた。おばあ様は、今日はお父様の大切な日なんだからそんな顔じゃだめよって言った。お父様は笑顔で、すぐに仕事を終えて帰ってくる、正義は我々にあるのだからって言って、わたしにキスしてくれた」
メイはベンチの上で膝を抱えた。
「お父様は帰ってこなかった。戦勝報告に来たはずの大臣の重苦しい雰囲気で、よくないことがあったのはすぐにわかった。帰ってきたのは、割れて半分になったクリスタルと、わたしがお守りにあげた傷だらけのアンクだけ。気丈なおばあ様も泣いてた。お父様は塔のコアクリスタルを守ってたファントムと相討ちになったんだって、後から聞いた」
俺は突っ立ったまま、ただメイの話を聞いていた。コメントのしようがなかった。メイは話し続ける。
「わたしはお父様の後を継いで騎士になることに決めた。おばあ様は悩んだみたいだけど、わたしの意志を尊重してくれた。そしてわたしはブルー・ブラックの末席に加わったってわけ」
メイはぴょんとベンチから立ち上がって、大きくうーんと背伸び。
「メイは体が弱いんだろう?剣なんか振り回して、大丈夫なのか」
「大半の力仕事は鎧がやってくれるの。もちろん身体能力が高い方がいいんだけど、魔力が強ければそれも補えるってわけ。審査委員会は最初、わたしの加入を渋ってたみたいなんだけど、わたしはネイティブだったし、自分用にチューニングしたクリスタルをお父様の形見を元に自作してた。黒騎士のクリスタルの改造は、ほんとはいけないことなんだけどね。団長のアマラ様はわたしが見習いの男の子を負かした試合を見て、特別に入団を認めてくださったの」
「なるほど」
「でね……ちょっと言いにくいんだけど」
メイは苦笑いしながら言った。
「実はね、わたし、実戦ははじめてだったの」
なんですと?そういや、アルフレッドさんははじめて会ったとき初陣とか言ってた記憶が……
「やっぱり驚くよね。でも〈サード〉へのハイパーゲートの輸送力は限度があるし、クリスタルの調整をするにはわたしのビルダーの能力が絶対必要だったの。合理的な判断よ」
「確かにそうなんだろうけど……」
「わたしの戦闘経験が頼りないことはわかってたから、ファントムと遭遇しても極力戦闘は避けるように言われてたの。でも、アキがファントムに襲われそうになってるのを見つけたとき、やらなきゃって思って。すごい不安だったしプレッシャーもあったけど」
そうだ。俺はメイに助けられたんだ。
「メイがいなかったら、俺はどうなってたかわからない。ありがと」
「ううん、いいの。わたしもアキがいなくちゃ勝てなかった」
メイは右手をぴんと差し出した。
「わたしを信じてくれてありがとう。チームとして、これからもよろしくね」
「うん。こちらこそ、よろしく」
俺は差し出された手を握った。メイは両手で強く握り返してきた。メイは俺の顔を見つめて微笑む。照れくさい。
「そうだ、忘れるところだった」
「なに?」
「メイたち以外にも、ほかの宇宙から来たってやつがいるんだ。同じ学校の同学年で別のクラス。妹尾悠って、知らない?」
メイは首を振った。
「そっか、当然そういう可能性もあるのよね」
「そいつも鈴音のことを調べてるらしい。メイとはまだ協力できないって言った。敵か味方かわからないって」
「そう……」
メイの表情が硬くなる。俺は必要なこととはいえ、悠のことを喋ったのをちょっとだけ後悔した。なんかいい雰囲気だったのに……ってなにを考えてるんだ。俺はかぶりを振った。
「どうかした?」
「いや……そろそろ帰ろう。寒くなってきた」
「そうね」
二、三歩歩き出したところで、メイが振り返った。月明かりがメイの黒髪に青白い輪郭を投げかける。今日は満月だった。
「そうだ。アキにはわたしの本当の名前を教えてあげる。わかってると思うけど、春原は偽名なの。わたしの本当の名前はメイ……」
英語っぽい発音の言葉は、さっぱり聞き取れなかった。メイ・ジェ……なんとか。だけど、メイの声はグラスハープのようなソプラノで、耳に心地よく響く。名前を言い終わるとメイはまた微笑んだ。夜風がメイの髪をさらさらとなびかせる。踵を返したメイの後ろ姿を、俺はしばらくぼーっと見つめていた。
「アキ、どうしたの?」
「あ、うん」
慌ててメイを追いかける。ほんとに俺はどうかしてる。
9 秘密の歌
忙しい。学園祭に出ることが決まり、バンドの練習はほぼ毎日に増えた。それが終わるとこんどはメイの家で魔法の特訓。月末は中間テストもある。なんだこの過密日程。そして二年生の俺たちは進路ってやつもそろそろ真剣に考えないといけない時期になってきてる。うひー。とにかく目の前のことをなんとかしなくてわ。唐沢と広和には付き合いが悪いって文句言われまくりだ。
学園祭までは土曜日もバンドの練習をすることになったので、メンバーの私服姿を見る機会が増えた。夏休みは女性陣のファッションが楽しみのひとつだったことは、正直に言わなくちゃいけないだろう。鈴音は言うまでもないが、真古都ちゃんも普通に美少女なのだ。鈴音のミニのフリルスカートにボーダーのオーバーニーとか、真古都ちゃんのスポーティなキャミソールとショートパンツとか、実によろしゅうございました。誠太郎はアロハに膝丈のショートパンツと雪駄で現れ、意表をついていた。普段のクールなイメージからは想像もできなかった。
そんなわけで、俺は密かに休日の練習を楽しみにしていた。おまえのギターをどうにかしろってのは、とりあえずナシの方向で。
土曜日。鈴音はチャイナ襟の白いシャツとレース付きのプリーツスカート。うんうん。真古都ちゃんはちょっとかぼちゃラインのショートパンツにモスグリーンのぴったりしたジャケット。うんうん。誠太郎は凝った和柄のカットソーにカーゴパンツで登場。うむ。俺はいつものジャージトップにジーンズ。なんで君らはいつも高そうな服を着てますか。羨ましい。
学園祭では三曲やることになっていた。バンドを結成して最初にやった曲、『When You Sleep』以外は鈴音が曲を書くことになっていた。だって、コピーばっかじゃもったいないわ。嬉しそうにそう言った。
とりあえず通して二曲やったあと、鈴音が言った。
「あのね、曲、できたんだ。聴いてくれる?」
鈴音はギターのクリーンサウンドを少し調整してからイントロを弾きはじめた。ミドルテンポ。少しボサノヴァっぽいコード。歌に入る。日本語の歌詞。シンプルなメロディ。いい曲だ、と素直に思った。鈴音は歌い終わると、もう一曲あるんだよねとつま先でリズムを取りながらオーバードライブペダルのスイッチを踏んで、こんどはヘビーなリフをはじめた。スクラッチがフィードバックぎみに鳴る鈴音のギターの音は、それでも心地よく響く。歌がはじまる。
いきなり視界が青く染まる。音が聞こえなくなる。これはファントムが作るアイソレーションフィールドとかいうやつ?周りを見回す。スタジオには俺と、聞こえない歌を歌い続ける鈴音だけだ。真古都ちゃん?誠太郎?
「鈴音!」
俺は叫んだ。歌い終わった鈴音はゆっくりこちらに目を向ける。金色の瞳。鈴音は白い光に包まれた。これは……いつか見た夢の……
我に返ると、真古都ちゃんが俺の耳を引っぱっていた。
「あいでで!」
「アキさん、ちゃんと聴いてたんですかっ」
「あ、うん、ああ、もちろんさっ。集中しすぎってやつだな」
「もんのすごくぼーっとしてるように見えましたケド?」
「気のせいだって。俺はいつもこうなの」
鈴音はなにごともなかったように笑っていた。
曲はとてもよい感触だったので、満場一致でセットリストに加わることになった。
「帰ったらスコアと音源メールしとくね」
鈴音は上機嫌だったが、俺は青い世界と金色の瞳が頭から離れなかった。
*
俺は家に帰るとすぐに、メイに今日起こったことを話しにいった。
「ううーん……やっぱり本人がなにか隠してるわけじゃなさそうね」
「鈴音がファントムだっていうことはないのか?」
「可能性がない、とは言いきれないわ。ファントムについてはよくわかっていないことが多いもの。でも、アキの話だとアイソレーションフィールドみたいなものが発生したらしいけど、あれだと周囲の人間が消えていなくなる、なんてことはないわ。アイソレーションフィールドはファントムが実体化するために作る場で、人間が行動不能になったり音が聞こえなくなったりするのは副作用なの」
「そうか……」
「それに鈴音さんがファントムなら、なんでここで普通に人間として生活してるのかしら?彼女、立派な洋館に両親と住んでるのよ。実際見に行ってみたこともあるんだけど、なんの変哲もない普通の家だった」
そうだったのか。俺は鈴音の家のことははじめて知った。メイはきっちり調べてるんだな、って当たり前のことに驚く。
「妹尾くんはわたしより先にこの宇宙に来てると思うんだけど、それでも鈴音さんについてはなんにもわかってないみたいね。アキに自分のことを話すってことはわたしにも正体がばれちゃうってことなのに、そういうリスクをとっても情報が欲しいんだもの。焦ってるのかしら。たしかに鈴音さんについては調べてもつかみどころがないことだらけだけど……」
メイはお茶のカップに指を引っかけたまま黙り込んでしまった。
「そうだ、ここ、ネットには繋がる?」
「えっ、携帯電話じゃなくて?」
メイはきょとんとして俺を見つめる。
「うん、インターネット。メイが使ってるみたいな機械を使ったりもするんだ」
「フレキシスレートに?そうなの?」
そんなややこしい名前がついていたのか、あの機械。
「ううう、情報端末は携帯電話っていうものしかないと思っていたわ。不覚ね……」
メイは文字どおり頭を抱えた。メイは肝心なところでなにか抜けてるタイプなんじゃないだろーか。
「うちに行こう。鈴音が録音した曲をアップしてるはずなんだ」
メイと俺はスレートやら眼鏡やらマナアナライザー(水晶玉はこういう名前なんだそうだ)を抱えて、ばたばたと俺の家に移動した。
「お。アキ、帰ってたんだ。あっ、メイちゃんいらっしゃい」
「こんばんはっ」
晩酌で上機嫌な姉ちゃんは華麗にスルーして、俺の部屋に……って、
「……アキは少し部屋を片付けたほうがいいです」
「女の子が来るなんて想定外だって……」
とりあえず散らかってるものをクローゼットに押しこめて Mac を起動させる。メイは興味津々で俺の肩越しに起動画面を覗き込んでる。メーラーを立ち上げると、鈴音からファイルへのリンクと解凍用のパスワードが送られてきていた。いつもの素っ気ない、用件しか書かれてないメールだ。ファイルをダウンロードして解凍する。メイがますます身を乗り出してくる。
「……あのさ、メイ。そんなにくっつかれると操作しにくいんだけど」
「えっ?ごごご、ごめんなさい」
メイはばばばっと俺から後退した。いや、そんなに離れなくてもいいんだけど……
「んじゃ、再生するよ」
深呼吸して、再生ボタンを押す。デモのイントロが流れてくる。オリジナルからアレンジを変えた曲は、鈴音がいつもデモと簡単なスコアを作ってくれていた。この曲もスタジオで聴いたみたいな弾き語りではなく、オーバーダビングされたバンドサウンドになっていた。鈴音らしい、シンプルに二本のギターのコードで音の厚みを出すアレンジだった。いつもと違うのは、鈴音の歌も入ってることだ。
「アキ、それって……」
メイの声が思ったより耳元で聞こえた。メイはまた俺の肩越しに身を乗り出して MacBook の画面を覗いている。しかし表情は険しい。ぴりぴりした緊張が伝わってくる。
「それ、外に出力できる?」
「ああ、うん」
メイは眼鏡をかけてスレート(ノートPC)とアナライザー(水晶玉)を床に広る。俺はケーブルを発掘して Mac に繋げ、メイにもう一方のプラグを差し出した。
「アキ、もういちど再生して。歌の頭からお願い」
アナライザーがものすごい閃光を発し、視界が真っ白になった。
「うわっ!」
メイが慌てて調整する。
「む〜……感度を上げっぱなしだったわ」
メイが流れるようなタッチでスレートを操作する。
「なにが起こったんだ?」
「魔法が発現するときはマナが別のエネルギーに変換されるんだけど、そのときマナバーンっていう現象が起きるの。今のはそれ」
アナライザーの玉の中で光が踊る。
「音楽は魔法の構成要素だって話はしたよね。量の大小はあるんだけど、音楽はマナを生成するの。でも、鈴音さんの歌から観測できる量は、ちょっと非常識に多すぎる。規模はぜんぜん違うけど、これはまるで……メイルストロームみたい」
メイルストロームっていうのは〈ファースト〉の各地にあるマナの泉で、目に見えるほどマナが渦巻いてるのでそう呼ばれてるらしい。普通は地下深くにあって、ウィザードの塔はその上に建てられているそうな。
「〈サード〉はマナが薄いって話はしたよね?ここで魔法を使うのは結構大変なことなの。黒騎士のクリスタルも、わたしのマナを目一杯使って本来の出力の半分ってところ。調整済みのクリスタルでもその程度。なのにこれは……」
曲が終わり、アナライザーの光が薄れていく。
「どうなんだ?」
「そうね……」
メイはアナライザーのログをスレートに表示させている。
「きちんと分析しないとはっきりしたことは言えないけど……彼女はとてつもない魔力の持ち主。伝説のウィザードでも匹敵する人はそういないかもしれない」
「そんなに?」
メイは頷いた。
「このラフな録音でもこれなんだもの。完全な状態でどうなるのか、想像もつかないわ」
ドアが開いて、姉ちゃんが顔を出した。
「メイちゃん、アキ、ジンジャーエールでも……って、お邪魔だった?」
俺とメイは顔を見合わせて、思いきり二人の距離を意識した。こんどは俺がメイの後ろから覗きこむ格好になっていた。座ったままぴょんとお互い後退する。姉ちゃんはドアから顔だけ出して、によによ笑いを浮かべている。
「にょにょーん。いいのよぉ。ここに置いとくね〜」
消えろチェシャ猫。メイは真っ赤になっている。いかん。これはいかん。だからなんなのだ、この展開は。
「あ……ジンジャーエール、飲む?」
死ぬほど間抜けな台詞だったが、メイはこっくり頷いた。メイはグラスからひとくち飲んで、顔色が無くなった。
「なっ、なにこれっ。辛い?」
「ジンジャーエール。生姜と唐辛子とシナモンなんかを煮詰めて、炭酸で割ったやつ」
「唐辛子!」
「うん」
「ううう、わたし、辛いものはぜんぜんダメなの……」
「あの苦いお茶は平気なのに?」
「言ったでしょ、泣きながら飲んでたって。鍛錬よ」
「なるほど」
俺たちはそう言って笑った。
「あのね、アキ」
「なに?」
メイはまたもじもじしてる。
「……あのね、アキは女の子とお付き合いしたことって、ある?」
俺は口にしたジンジャーエールを吹きかけた。
「なっ、なにをいきなり……」
「いや……その……ちょっと気になったから」
メイは両手で持ったグラスに視線を落としたまま言う。
「う……ない。いちども、ない」
「告白されたことは?」
「当然ない。バレンタインも姉ちゃん以外にもらったことない」
「じゃあ、したことは?」
「それもない……って、メイはどうなんだ」
「わたしは……プロポーズされたことが……」
メイは下を向いたまま、ぼそっと言った。
「え?」
「ブルー・ブラックの副隊長。まだ早いからってお断りしようとしたんだけど、返事はいつでもいいからって」
「そんな古い少女マンガみたいな……メイの世界じゃそういうのが普通なのか?」
「ううん。恋愛とか結婚とかの風習は、こことたいして変わんない……と思う。お父様はものすごい古風なだけだし、副隊長はちょっと……なんていうか、変わってるの。同い年くらいの子たちはみんな男の子の話ばっかりしてたわ」
「おんなじなんだな」
副隊長のなにが変なのかは、気になったけど聞かないほうがいいような気がした。
「こっちへ来て魔法がないっていうのにはずいぶん戸惑ったけど、しばらく住んでみると変わらないことのほうが多いように感じるの。人の気持ちとかね」
メイは無謀にもジンジャーエールに再挑戦して、口をマンガみたいな波形に歪めた。
「ううー、これはどうしても苦手ね。このプチプチする感じもちょっと……」
俺たちはまた笑った。
10 郊外にて
鈴音の曲は、メイがコピーを持って帰って詳しく分析してくれることになった。俺はとにかく自分のパートを練習することに。ほとんどがコードストロークと簡単なリフで、特に難しいところはない。二時間ほど練習して、どうにかひととおり覚えることができた。ソファでいびきをかいてる姉ちゃんを回収して部屋に放り込んでから風呂に入って洗濯して、ベッドに寝転がってぼんやりする。ヘッドフォンから鈴音の声がしてる。
「……見えないときは振り返らない……あしたにはなにかが変わっているはず……ぼくは膝まで砂に埋もれて……」
一人称が「ぼく」なんだ。そう思ったあたりで記憶が途切れ、気がつくと朝だった。
いつもの時間にメイがやってきて、家を出る。鈴音の曲については昨日のこと以上はわからなかったらしい。メイは少し眠そうだった。遅くまで頑張っていたのだろう。俺に手伝えることはない。メイは俺が協力すると言ったことに喜んでくれてるが、魔法初心者の俺ができることはほとんどなにもなかった。ただピックの編隊をひょろひょろ飛ばすだけ。黒騎士のクリスタルの起動コードを俺のために書き換えてくれたのもメイで、俺は見ていただけだ。ファントムが現れないのが幸運だったが、いつまでも安穏としてられない。早くなんとかしなきゃ。
それでも三重生活の忙しさは、日々をあっという間に押しやっていく。中間テストもどうにか期待値以上(もともと高くないとか言いっこなしだ)でクリアし、月も変わってもう十一月。青い世界の金色の瞳の鈴音もあれ以来見ることはなかった。
悠が連休の間に出演するバンドの顔見せをしようと提案し、俺たち〈スターライトミンツ〉はポップ研の練習に参加することになった。ポップ研は、補助金で作ってはみたものの交通が不便で閑古鳥が鳴いてる市営文化センターのスタジオの、数少ない利用者だった。設備はかなり立派で、俺たちが普段使ってる練習スタジオよりずっと広くてきれいだ。
出迎えてくれたのはピンクとクリームのツートーンのセルフレーム眼鏡が印象的な一年生の女の子だった。レトロなデザインのジップアップのパーカーに七分丈のジーンズ。丸いショートボブの前髪をピンで止めている。
「えっと、わたしは妹尾由里香。今日はよろしくお願いします」
由里香さんは笑顔でペコリとお辞儀する。
「あれ。ユリリン、ポップ研だったっけ?ブラバンはどうしたの?」
真古都ちゃんが驚いた様子で聞いた。
「お兄ちゃんがね、ドラムがひとり足りないから入部してくれー、だって。吹奏楽部はやめちゃった」
「お兄さんって、もしかして悠?」
俺は思わず割り込んでいた。
「あれ、アキさん、知らなかったんデスカ?」
悠に妹がいるなんて話は初耳だってば。
「こないだはお兄ちゃんがむりやり押しかけたみたいで」
由里香さんは困った兄ですいません、っていう笑顔。
「アキさんですね。それから鈴音さんと……誠太郎さん。部長紹介します、こっちへ」
悠の妹。この子もほかの宇宙から来たってことか。真古都ちゃんとは友達みたいだけど……しかし、今ここで確かめるわけにはいかない。
ポップ研の部長は黒縁眼鏡のちょっと小太りな三年生で、速水京介という。名前の似合わなさはかなり高レベル。いつでも汗かいてるようなタイプだ。外部の人間である俺たちにあまりいい印象を持ってないんじゃないかと心配していたが(しかも鈴音は仮入部でポップ研にさよならしてる)、誠太郎の古くからの知り合いなんだそうだ。そういやちょくちょくヘルプしてたって言ってたな。速水さんはおなじロックを志すものとして学園祭はぜひ成功させよう、なんて熱いことを言いやがる。いい人じゃないか。鈴音は握手を求められて、微妙に強ばった笑顔で応じていた。鈴音的にああいう押しの強いのは苦手なタイプだとは思う。でも、それはあんまりだ。
真古都ちゃんが耳打ちしてきた。
「ユリリン情報なんデスけどね、速水さん、鈴音さんに告白したことあるらしいんデスヨ」
なぬ!
「無謀にも正面から挑んで思いっきり玉砕したんだそーデス。次の日学校休んだらしいですよ」
あーあ。しかし簡単に予想できるオチだな。
「セイタロさんに、俺がドラムできたら替わってほしいくらいだよぉ、とかこぼしてたらしいし、あの様子だとまだ未練たらたらですね。なかなか手を離しやがりません」
確かにしつこい。手を握ったままあれこれ話しかけてる、というか一方的に喋りまくってる。これはイタい。鈴音の笑顔がひきつってるのなんか、はじめて見た。
そこに悠がひょっこり現れて、
「やあ、鈴音ちゃん」
と、爽やかを絵に描いたように言う。鈴音がさらにどんよりする。マンガだったら額に縦線とでっかい汗の玉ってところだろうか。ポップ研に入らなかった理由が、なんとなくわかった気がするぞ。
*
さて、リハーサルだ。
学園祭に出るバンドは、速水部長率いる青春パンクバンド〈俺の風〉、悠の〈E2〉、そして我らが〈スターライトミンツ〉。ポップ研にはほかにもいくつかバンドがあるのだけど、学園祭に出場するためには最低一曲はバンドのオリジナルが必要で、それが敷居を上げていた。まー、高校生バンドなんか普通はコピーバンドだよな、俺たちもそうだったし。そんなわけで〈スターライトミンツ〉の飛び入りが実現したわけだ。今回はとりあえず二曲ずつやって、あとの一曲は本番のお楽しみ、っていう段取りだった。くじ引きの結果〈スターライトミンツ〉はトリ。スタジオはコントロールルームとブースに分かれてて、結構な広さがあった。無理すれば吹奏楽部も入れそうなくらいだ。利用者が少ないなんてもったいない。
〈俺の風〉はとにかく勢いだけって感じで、ベース/ボーカルの速水さん(この人はなぜか自然にそう呼んでしまうオーラを持っている)のパフォーマンスがひたすら突っ走っていた。水色のジャズベースを高い位置で構えて熱唱する。お世辞にもかっこよくないし上手くもないが、俺はこういうのは嫌いじゃない。ああ、ロックってこういうもんだったよなって感じだ。見てると自然に笑顔になる。鈴音がいるから気合いが入りすぎてるだけかもしれないけど。
次は〈E2〉。これは打って変わって技巧派のヘビーロックスタイルのバンドで、悠の甘いボーカルと要所に入るさりげなくテクニカルなフレーズが、鈴音曰く「嫌味ったらしい」。なんか私情が挟まってる気がするが、そういうことにしておこう。ドラムを叩いてるのは悠の妹の由里香さんで、涼しい顔で手数の多い重いフィルを決めていた。なんと。兄妹がただ者じゃないだけに、決して下手ではないはずのギターとベースのやつは大変そうで、それがバンドのサウンドに青さを付け加えていた。
そして。〈スターライトミンツ〉の出番になった。なんかギャラリーが増えてる気がする。ううう、今さらながら緊張してきた。情けない。とりあえず鈴音の書いた曲はなんとか弾きこなせるようになってる。てか、鈴音は俺が弾きやすいようにしてくれたのだ。とちるわけにはいかんのじゃい。
『When You Sleep』が終わり、鈴音の書いたまだタイトルのない曲その一(ちょっとオシャレなほう)へ。俺はあの青い世界のことはすっかり忘れてギターに集中していた。俺、必死。ディレイのかかったギターのフィードバックを、鈴音がペダルを踏んで止める。
終わった。ギャラリーが静まり返ってる。俺が顔を上げると、場がどよめき、それから誰ともなく拍手が起こった。俺が音楽をやってて、はじめて経験した拍手だった。
*
俺はひとり、ぐったりとロビーでパックの林檎ジュースをすすっていた。鈴音は案の定、速水さんと悠に打ち合わせと称して捕まってしまっていた。気の毒だがこれもリーダーの努めだ。
「アキさん」
由里香さんだった。俺は思わず身構えてしまった。
「やっぱり、そうなりますよね」
由里香さんは大きく、はぁ、と溜息をついた。
「でも、しょうがないか。あのね、お兄ちゃんがアキさんになにを言ったかは知らないですけど−−まあ、だいたい予想はつくんだけど−−わたしたちは敵じゃないです。ホントです」
由里香さんは真剣な顔だ。俺は無言。
「アキさん、鈴音さんの変化には気づいてますか?」
「変化?」
「はい」
「うーん……」
「鈴音さんの気が、最近急激に変動してるんです。普通じゃ考えられないくらい。なにか心当たりはありませんか?」
俺は迷った末に、青い世界のことを話した。由里香さんは難しい顔をした。
「なるほど。やっぱり近々なにか起きそうですね」
「なにか?」
「わたしにもわかりません。でも、そんなに遠い話じゃないと思うんです……早ければ学園祭あたり。まあ、勘ですけどね」
ええっ?それ、早くない?
「あくまでも勘ですから。でも、気をつけてくださいね。易によると、アキさんの縁は鈴音さんとがっちり絡みあってますから」
縁?
「ああ、変な意味じゃないです……ってそうでもないのかな……まあ、いいや。えーと、ごほん」
由里香さんは委員長みたいな咳払いをする。
「それからっ。アキさんが持ってるその黒いペンダント、必ずアキさんを助けます。だから大切にして」
「なんで知ってるの?」
由里香さんは、しまったって顔でちょろっと舌を出す。
「すいません、実はたまに後をつけさせてもらってたので……」
由里香さんが恥ずかしそうに白状する。
「いや、いいんだ。俺もおなじ立場ならそうするよ」
「すいません……」
鈴音がぐったりした様子で現れた。背負ってるギターの重みで潰れそうな勢いだ。
「あっ、鈴音さんお疲れさまでした」
鈴音は由里香さんと俺に気づいてなかったらしい。名前を呼ばれるとギクリとした。
「あ……うん、お疲れさま。真古都が探してたよ」
「いけない、わたし行きます。それじゃ」
由里香さんは去っていった。鈴音はじっとりした目で俺を睨んでる。
「……どうかしたのか?」
「……別に。誠太郎は?」
「どっか行っちまった。ぜんぜん見当たらない」
「そっか……真古都は由里香ちゃんとこのあと約束あるって」
「そうか」
微妙な間。なんか無言で責められてませんか俺。
「……なにか言いたそうだな」
「……ちょっと付き合って。暇でしょ」
いやだ、と言ったら殺されそうな気がしたので、俺はおとなしくついていくことにした。
*
文化センターからは最寄りの駅まで歩いて三十分はある。バスは停まるが、一時間に一本くらい。学校からは歩いて二十分ってところだ。鈴音はいつもどおり俺の前を無言で歩いていく。いや、いつもより遅いか。よっぽど参っているらしい。珍しい。珍しいと言えば、今日の鈴音は上から下まで黒尽くめだった。黒いブラウス、黒いレザージャケット、黒いフレアスカートに黒いパニエ、黒いロングブーツ。ピアスまで全部黒、黒。いつもは白や赤を着てるときが多いのに。威嚇でもするつもりだったんだろうか。だったら成功したとは言えないな。
鈴音はまっすぐ駅へ行く道は選ばず、河川敷を通り抜けていく。目的地はちょっと怪しい雰囲気のオープンカフェだった。ヨーロッパ風とインド風の装飾がごっちゃになっている。鈴音は躊躇なくテーブルを選ぶと、すとんと腰を下ろす。かなりの常連と見える。ウェイターが来るとメニューも見ずに、
「モロッコ・ミントティ、それからガトーショコラ」
とオーダーする。俺は慌ててメニューをめくったが、紅茶だけで何種類もあると選べない。チャイが目に入ったのでそれを注文する。
鈴音はテーブルに顎だけのせてしんどそうに目を閉じていた。生首がのっかってるみたいだ。そう言うと、
「リラックスしたいのよ。疲れたもん」
「それじゃ余計疲れないか」
「そんなことないわ。やってみなさいよ」
「遠慮しとく。ふたりでやるとバカみたいだろ」
そんなどうでもいい話をしてると、お茶とケーキがやってきた。鈴音が生き返って、ウェイターに礼を言う。物静かな感じのちょっと年配のウェイターはごゆっくり、と穏やかな笑顔を残していった。鈴音はミントの葉っぱがたくさん浮いたグラスに山ほど氷砂糖を投入してお茶を注ぐ。
「……それ、うまいのか?」
「もっちろん」
俺もチャイに口をつける。濃厚でうまい。俺はチャイってのはただのシナモンくさいミルクティだと思っていた。ちゃんとしたのはぜんぜん別ものらしい。鈴音はあっという間にケーキを平らげ、ミントティを堪能していた。死ぬほど幸せそうに緩みきった表情。来たときとはえらい違いだ。
「はぁ〜、復活するぅ」
「そんなにあのふたりがダメなのか」
「ちょっとね……妹尾くんはまだマシ。速水さんは……」
「いい人なのにな」
「あの人、人の話ちっとも聞いてないの。思いこみが激しくって。参っちゃう」
鈴音は最近見る機会が増えた、眉の下がった困り顔になった。春にはベリーショートだった鈴音の髪は、相変わらずラフにはねさせたスタイルにセットされてるけど、かなり伸びた。前髪は目を隠すくらいになっていて、それが少し影のあるディテールを付け加えている。俺は今くらいの長さがいいと思うな……ってそういう話じゃない。
「好かれてるのはわかってるんだけど、わたしのこと理解してくれる気がないんじゃしんどいもん。わたしは夢のお姫様なんかじゃないわ。ただの高校生よ」
ごもっとも。だけど鈴音の場合はほんとにただの女子高生かどうかが大問題なのだが。もっとも本人が知るところではない。
「でさ……」
鈴音の瞳がいたずらっぽい輝きをキランと放つ。小悪魔の微笑み。
「アキはどうなのよ。最近いろんな女の子と仲いいみたいじゃない?」
「う……」
主にメイのことだろうが、関係をストレートに説明できるわけがない。
「鈴音が考えてるようなことはなんもないぞ」
「ほんとにぃ?」
「マジ」
「ふぅ〜ん」
「……なんだよ、そんな目で見てもなにも出ないぞ」
「別に。やましいところがあるからそう思うんでしょ」
「……おまえ、今日はえらい粘着だな」
「べえっつにぃ」
鈴音はずずーっとお茶をすすった。しばし沈黙。そう言えばこうやってふたりっきりで話したことは滅多にない。ふたりっきりのときがなかったわけじゃないが、鈴音との会話は二言三言っていうのがいつものパターン。
「あのね、アキ……」
「ん?」
鈴音がまじめな調子だったので、俺は思わず姿勢を正してしまった。
「……やっぱ、なんでもない」
「なんだよそれ」
鈴音は笑った。俺もつられて笑う。
帰るころにはすっかり日も傾いていた。俺たちは来たときとおなじように黙って歩いた。
「鈴音はそっち?俺はここを曲がるんだ」
「えっ?そうなの……そっか」
「うん。それじゃ、また学校で」
「うん……」
鈴音はなにか言いたそうだった。
「どうかした?」
「ううん。今日は付き合ってくれてありがと」
「チャイ、うまかったよ」
鈴音はにっこり笑って手を振って去っていった。俺はもやもやした気分のままだった。
11 ドキドキ学園祭
The Boo Radleys の『Wake Up Boo!』の元気なホーンセクションが爽やかな朝を告げる。うん、目覚めスッキリ!
……ふわぁ。起きなければ。もう朝か。やっぱりよく眠れなかった。今日はついに学園祭。〈スターライトミンツ〉の初舞台。えらいこっちゃ。
昨日は搬入とリハーサルで強烈な慌ただしさを覚悟していたのだが、悠の芸術的な仕切りで作業はあっという間に終わってしまって、拍子抜けなくらいだった。悠は部員を凡庸とか言ってたけど、見下してる様子はぜんぜんなかった。自然に慕われている。単に正直なだけ、っていうのが当たりなんだろう。
体育館のステージを使うほかの文化部はかわいそうなくらい切羽詰まっていて、演劇部は体育館横で大道具を塗装してるし、吹奏楽部はギリギリ曲が成り立ってるような感じで、ピリピリしてる指揮の音楽教師が怒鳴り散らかし、それでさらに萎縮した部員がミスをしまくる悪い循環に陥っていた。由里香さんは苦笑いしながら、他人事でよかったです、なんてさらっと毒を吐いていた。俺も音楽をあんな風には絶対やりたくない。
ポップ研は朝イチの合唱部の次、午前中の時間帯を割り当てられていた。順番はまたクジで決めたのだが、結局俺たちがまたしてもトリになってしまった。いいのかよ。
リハはさっくり終了。PAは放送部がやってるのだが、非常に優秀。なんでも部長がすごいマニアらしい。
俺はリハの最中から変な汗をかきっぱなしだった。みんなは合唱部の発表を見に行ったり、控え室になってる教室で雑談したりしていたが、俺は風も冷たくなったというのに、ひとり屋上でギターを練習していた。汗でピックが滑る。
だれかに背中をつつかれて、俺は体感で一メートルくらい飛び上がった。
「ごっ、ごめんなさい。呼んでも返事がなかったから……」
メイだった。俺はヘッドフォンを外して向き直る。
「ごめん、ちょっと驚きすぎた。ぜんぜん余裕がないな、俺」
メイが苦笑する。メイには由里香さんから聞いたことは全部話してある。今日、鈴音になにか起こるかもしれないこと。
「合唱部、そろそろ終わるみたいよ」
「うん……」
「どうしたの?」
「……」
言葉に詰まる。
「あのさ……今さらこんなこと言うのも情けないんだけど……」
「けど?」
メイは後ろで手を組んで首を傾げている。
「不安なんだ。最後までちゃんと弾ける自信がない。鈴音もどうなるかわからない。どうしよう」
青春映画だったら張り倒されてるようなへたれ台詞だ。なのに、メイはやさしく微笑んだ。
「わたしもおなじよ。不安でいっぱい。でもね、ちょっとの勇気があればなんとか乗り切れると思うの」
「ちょっとの勇気……」
「うん、ちょっとだけでいいから、勇気が出せれば。わたしには、アキがその勇気をくれたの」
「俺が?」
「うん。前にも話したよね、アキをファントムから助けなきゃって思ったとき。それから、アキがこの屋上でわたしを助けてくれたとき。それから、わたしを信じて協力するって言ってくれたとき。正直、心細くって全部投げ出して逃げちゃおうかと思ったこともあるわ。だけどアキがいてくれたから、わたしはまだここにいられるの。だから、だから……」
笑顔のメイの瞳からはらりと涙がこぼれ落ちた。
「あれ、おかしいな、なんでわたしこんな……」
メイは目をごしごしこする。
「えっとね、アキ。あなたは、あなた自身が思ってるほど無意味な存在なんかじゃないわ。だから、自分を信じて」
メイが俺の手をとって、そっと自分の手を重ねる。メイの手はびっくりするぐらい小さい。
「それとね……」
不意にメイの顔が近づいてきて、一瞬だけ唇にやわらかいものが触れる。甘い香水の香り。俺は反射的にのけぞる。メイの温かさがぱっと離れていく。
「えへへ。早く行かないとみんな待ってるわ」
メイはうっすら頬を赤らめて、ぱたぱた走って行ってしまった。
俺の頭の中は大混乱だった。励ましてくれた、と思うんだけど……あのやわらかい感じはいったい……唇に手を当てて考える。自分になにが起こったか理解したとき、俺の心臓は爆発し、顔面に集まった血液で視界が滲んだ。ちょっと待って。なにこのベタな展開。とにかく、ちょっと待ってくれ。うわああぁぁぁぁぁ。
*
俺はかろうじて集合時間に間に合った。階段の降りかたすら忘れるほど混乱しきっていた。手摺にしがみついていても足を何度も踏み外し、正直どうやって無事に辿り着いたか覚えてない。
「アキさん、どこ行ってたんですかっ。逃げたのかと思いましたよっ」
真古都ちゃんに叱られる。
「あう、えと、精神統一」
真古都ちゃんと鈴音は吹き出した。誠太郎もしょうがないなという顔をしている。鈴音が例の小悪魔の微笑みで、俺の胸を拳で小突いた。
「しっかりしてよねっ。我らが〈スターライトミンツ〉の初ライブなんだから」
「お、おう、任しとけ」
俺の笑顔はよっぽどおかしいことになっていたのだろう。真古都ちゃんは腹を抱えて爆笑し、鈴音も涙を浮かべて笑い、誠太郎ですら声を上げて笑ってる。
「……君ら、あんまりじゃないかい?」
「だって……だって……」
「アキさん、サイッコー!今まででいちばん面白い〜」
ひとしきり笑ってから、俺たちはステージのセッティングに取りかかった。速水さんは三年だから、これを最後にポップ研は引退になる。神妙な面持ちだ。悠はてきぱきとマイクスタンドやドラムセットの設置を指示している。有能だ。転校してきてすぐ副部長になるのもわかる。
「今日は精一杯いいライブにしようぜ、みんな!」
速水さんが檄を飛ばし、ライブの幕が開けた。
一番手は悠の〈E2〉だ。舞台の袖からパイプ椅子の並んだ急造の客席を覗く。うわ、座りきれなくて立見まで出てる。こんなに人が入るのか。最前列は悠のファンらしき女の子の一団。なるほど。
去年の俺は自分のクラスの閑古鳥な展示の番を居眠りしながらしていて、ポップ研のライブは見てなかった。違うな、見たくなかったから展示の番を引き受けたんだ。ポップ研のライブは学園祭では目玉のひとつだった。つまんないマンガでも学校の図書館にあると大人気なのとおなじだと、俺は思っていた。娯楽性がピザ生地くらい薄い学校生活では必然的にそうなるだろうって。そんな俺が今日は演奏する側だ。おかしなもんだ。
〈E2〉は最後にダークでヘビーなナンバーを演奏して、黄色い声援を受けながら戻ってきた。悠とハイタッチして、速水さんたち〈俺の風〉が出ていく。
〈俺の風〉はいきなり全力で演奏をはじめた。こちらは野太い声援が飛ぶ。むさくるしい、体育会系のノリだ。速水さんはステージ狭しと飛び跳ね、短い二曲の間に汗だくになっていた。
「えー、それじゃー、最後の、曲です」
最後の曲はミドルテンポのロックナンバーだった。青くさい歌詞を歌い上げる俺の苦手なタイプだったが、不思議と嘘くさく聴こえない。
速水さんたちが袖に戻ってきて、俺たち(のうち特に鈴音)に向かって親指を突き上げ、ニヤリとする。鈴音はさらっと目を逸らした。なむなむ。悠と由里香さんがアンプのセッティングとドラムのチューニングを終え、俺たちに合図した。いよいよだ。
ステージに出る。観客の多さを再認識。ああもう、今さらどうしようもないじゃないか。俺はとにかく下を向いてることにした。シューゲイザーだ、靴を睨むんだ。チューニングして、ペダルをチェック。問題なし。悠がOKのサイン。鈴音が頷く。
「はじめまして」
ぼそっとそれだけ言うと、誠太郎に合図する。誠太郎がスティックでカウントをはじめる。ええぃ、どうにでもなりやがれ。
それからは半分夢の中のように時間が過ぎた。自分のギターも、真古都ちゃんのベースも、誠太郎のドラムも、鈴音の歌も、全部遠くから聴こえている。
大半の生徒は知らないだろう『When You Sleep』が終わり、次の曲(俺たちは『ミントその一』と呼んでいた)へ。たっぷりディレイのかかったきらきらギターと、真古都ちゃんのゴリゴリベース。結局、今日まで鈴音の書いた曲にはちゃんとしたタイトルがないままだったな。
最後の曲『ミントその二』。鈴音の強烈な轟音ギターが炸裂する。俺ははじめて顔を上げて客席を見た。みんな目が点になっている。あんぐり口が開いてるやつもいる。鈴音のほうを見る。鈴音は、いつもどおりダイナミックなストロークでジャガーをかき鳴らしていた。思わずにやりとする。俺はまた足下に視線を戻す。集中。鈴音の歌が聴こえる。この曲のメロディは抜群に美しい。そう、滅多に使わない言葉だ。美しい。
鈴音のギターのフィードバックが減衰して行く。終わった。俺のギターはかなりあやしいところがたくさんあったような気がするけど、とにかく終わった。
だけど、日常の音が戻ってこなかった。あまりにも静まりかえってる。おかしい。
「どこ見てるの、顔を上げたら?」
えっ?
「まったく、鈍い男ね。なんでこんなのがいいんだか」
声のするほうに振り返る。青い世界。金色の瞳が俺を見つめている。ギターを抱えたままの鈴音だった。
「鈴音?」
「あら、あなたには見えるのね。うん、まあ、見込み違いってほどでもないのか」
違う。鈴音じゃない。姿も声も鈴音だけど、違う。
「え、そんなことできないわ。わかってるでしょ。うーん、そうね……」
見えない誰かがいるらしい。鈴音であって鈴音ではない彼女は、やれやれというように両手を挙げた。
「しょうがないわね。お別れの時間をあげるわ。それで我慢ね」
次の瞬間、俺は自分のつま先とペダルエフェクターを見、歓声と拍手を聞いた。鈴音っ。顔を上げると、鈴音は照れくさそうに手を振って歓声に応えていた。いつもと変わらない様子に、俺は安堵した。
12 覚醒
ライブは大成功だった、らしい。らしいっていうのは、俺は客の反応なんか見てる余裕がなかったからだ。俺たちのライブのときは泣いてるやつもいたとかいないとか。放送部はビデオを回してて、あとでDVDをくれるそうだ。見るのが恐ろしい。
みんなで成功を祝ってコーラで乾杯し、昼食をとったあと、午後は吹奏楽部の悲惨な演奏を尻目に搬出の準備を手伝い、残りの時間は控え室になってる視聴覚室(学校でのポップ研の部室はここなんだそうだ)で雑談して過ごした。唐沢と広和もやってきて賑やかだったが、しばらくするとみんなそれぞれにほかの演し物を見に行ってしまい(鈴音は今回は真古都ちゃんと由里香さんに救出された)、激しく消耗した俺はひとり、ぼんやり外を眺めながら留守番していた。
いつのまにか俺はうとうとしていた。メイの顔が近づいてきて唇にやわらかい感触。鈴音の声で、
「まったく、鈍い男ね」
俺は椅子から転げ落ちた。
メイは姿を見せなかった。鈴音であって鈴音じゃない鈴音の話をしないといけないのはわかってたけど、まともに顔を見て話す自信がない。あるわけねー。うわああぁぁ。
こうなると妄想が頭の中を駆け巡る。過去のあれこれを一生懸命脳内再現し、いったいどこで自分がこんな状況に陥ったのか、冷静さのまるでない頭で必死に考えた。メイのことが嫌いなわけじゃないんだ。いやっ、っていうかむしろ好意をもってるっていうか、ただ、そういう観点から意識したことはないっていうか、いや、ぜんぜんないわけじゃないけど、まさか向こうがそんなふうに俺のことを考えてて、それで、それで、彼女は別の宇宙から来た魔法使いで、俺の魔法の師匠で、エリートで、お嬢様で……
俺は生ぬるくなったペットボトルの水を一気に飲み干し、むせた。なにもかも様にならない。今日が終われば一息つけると思っていたのに。
*
日が傾くころになると学園祭も終わり。みんなぞろぞろと戻ってきた。機材の搬出は悠たちが終わらせてしまったらしく、あとは視聴覚室にある私物だけなんだそうだ。なんと手際のいい。速水さんは部長として最後の挨拶をして、学園祭を締めた。ぱちぱち。速水さんは感動して男泣きしていた。
校門で別れ際、速水さんは俺たちのひとりひとりに握手を求め、感謝の言葉をいい、そして去っていった。
「これで最後ってわけじゃないのにね」
鈴音は苦笑した。
みんなでぞろぞろ帰宅の途につく。鈴音、真古都ちゃん、俺、そして妹尾兄妹。誠太郎は速水さんに付き合うらしい。まあ、一応古い付き合いだからな、とか。悠と由里香さんは鈴音の件が引っかかってるんだろう、俺たちについてきていた。
俺と悠が先行し、女子陣は後からきゃいきゃいついてくる。俺は悠にこっそり話しかけた。
「あのさ、悠……」
「なんだい?」
「由里香さんから例のことは聞いてるよな」
「ああ」
この表現で悠は理解したみたいだ。柔和な表情は変えなかったが、微妙に女子三人組と距離をとった。
「今日、最後の曲が終わったとき、また見たんだ」
「なんだって?ぼくはなにも感じなかった」
「今回は話もした。鈴音じゃないみたいだった」
「ふむ……」
「アキさん、悠さん、置いてかないでくださいヨ〜」
真古都ちゃんに呼び止められた。随分距離が開いてる。
「ごめんごめん」
悠が笑顔で言う。
「男同士の内緒話ってやつデスカ?」
真古都ちゃんはあやしい目つき。由里香さんもとことこ走ってくる。
が、鈴音の様子がおかしい。電柱に寄りかかって今にも倒れそうだった。
「鈴音!」
みんな鈴音の様子が急変したことに驚いて振り返る。俺は慌てて駆け寄った。鈴音の鼻や顎の先からぽたぽたと汗が地面に滴っていた。
「おい、大丈夫か」
「……いや……そんな……こんなのって……」
鈴音がよろめき、俺は反射的に鈴音の体を支えた。上着の上からもわかるくらいびっしょりの汗。
「きゃあ!」
真古都ちゃんの悲鳴に振り返る。世界が青く染まっている。そして、二度と出会いたくない連中が姿を見せはじめていた。ファントム。
「お兄ちゃん!」
「わかってるさ」
悠がハードケースからレス・ポールを取り出し、かっこつけたポーズで目の前で構える。レス・ポールは黒い帯にほどけて長い棍になった。
「もう、いちいちもったいぶってるんだから」
由里香さんはドラムスティックを取り出して両手に構えた。
「真古都、秘密にしててごめんね」
「アキ、鈴音ちゃんと真古都ちゃんを頼むよ。できるか?」
「やるしかないんだろっ」
俺は大慌てでギターを構えると、プラグにクリスタルを突っ込んだ。クリスタルが変形して、ぴったり収まる。メイの講義を思い出す。魔法にはいくつか要素があるんだけど、アキの力は音楽的なものといちばん相性がいいみたい。だから、楽器を使ったほうがクリスタルも簡単に扱えるわ。やり方は……
コードを鳴らすと、黒いピックの編隊が飛び出した。
「真古都ちゃん!こっちへ!」
目の前で身近な人間が超人的な技を披露するのを見て、真古都ちゃんは放心状態だった。俺の声に我に返り、こっちへ走ってくる。
「ああああああ、アキさんっ!なんですかこれはっ!」
「今は説明してる時間がないかも!」
真古都ちゃんはアイソレーションフィールドじゃほとんど身動きとれなくなるはずだ。鈴音もこの様子じゃ動けない。俺は、メイと考えた防御陣形を、ピックの編隊に組ませた。またメイの言葉を思い出す。アキは戦いに慣れてないわ。だから、言いかたは悪いんだけど、まず生き残ることを第一に考えるべきだと思うの……空飛ぶピックは三人を中心に展開した。
ファントムは四体。俺がはじめて出会ったひとつ眼のやつに似てる。
「ハッ!」
悠は棍の一突きで飛びかかってきた最初の一体を吹っ飛ばし、二体目の攻撃を受け流す。由里香さんは身を屈めて最初の打撃を避けると、強烈な回し蹴りを食らわせた。テレビで観たカンフー映画の動き。中国武術。由里香さんの投げたスティックはファントムの顔面を貫いた。ファントムは体液を噴き出し、そしてガラスのように崩れ、黒いどろどろになる。
「今回はわたしの勝ちね、お兄ちゃん」
由里香さんは背中の鞄から新しいスティックを取り出しながら言う。
「レディファーストが信条だからね」
悠が突きを繰り出す。棍が倍くらいに伸びて、ファントムの胴体を貫いた。
「これでスコアはイーブンだ」
「お兄ちゃん、あれ!」
また新たなファントムが出現しようとしていた。
「やれやれ、きりがないな」
ふたりは華麗な連携でファントムを撃退していた。でも、数で押されちゃ達人だっていつまでも持つわけじゃない。悠と由里香さんはだんだん後退していた。
「しまったっ」
ふたりの防衛線を突破したファントムが俺のほうに向かってくる。俺はピックの編隊で迎え撃つ。ピックたちはファントムに切り傷をつけるが、致命傷が与えられない。コントロールが甘いんだ。くそぅ。
「あわわわわわっ!」
真古都ちゃんの悲鳴。しまった、後ろからもかっ。
黒い影がすごい勢いで飛び込んでくる。ファントムのゾンビみたいに伸ばした両腕が肘の辺りから吹っ飛び、次には胴体が水平にまっぷたつになって崩れ落ちた。
「間に合ってよかった!」
長い黒髪が弧を描く。
「メイ!」
メイは前に見たときより軽装になっていて、着ているのは鎧というよりゴツい服みたいだった。篭手とブーツだけがゴツい金属的な質感で、胴体は厚手のショートコートみたいになっている。手に握られてるでっかいものは……あのそれ、チェーンソー?
「メイ、それ……」
「鎧の分のマナを武器に割り振ったの。アマラ様に教えてもらったやりかたよ」
顔が露出しているのでメイの表情がよくわかる。魔法の講義をしてるときの理知的なメイでも、普段のちょっと抜けてる穏やかなメイでもない、鋭い戦士の眼差しだった。メイは跳躍し、黒いチェーンソーを振りかぶる。回転する刃が青い光と鋭い金属音を放つ。
「はあぁっ!」
俺のピックに足止めされていたファントムは、一撃で頭から縦にまっぷたつになった。チェーンソーが地面に当たって軋み、火花と不協和音一歩手前のアルペジオを散らす。
「鈴音さんはだいじょうぶ?」
「わからないんだ」
鈴音はうずくまったままだ。息が荒い。なにか呟いているが、聞き取れない。
「鈴音さんどうなっちゃうんデスカ〜。ものすごい具合悪そうですよぉ」
真古都ちゃんは体が思うように動かないのか、ぺたんと座り込んで不安そうにこちらを見る。
「とにかく今はこの状況を乗り切らなきゃ。アキ、なんとか持ちこたえて。悠さん、由里香さん、わたしはブルー・ブラックのメイ、加勢するわ!」
メイが叫ぶ。妹尾兄妹はこちらをみて頷いた。
メイのすさまじい火力が加わって、第二波で出現したファントムたちもたちまち一掃された。
また新たなファントムが現れる。こんどは四つ眼のやつだ。四つ眼は戦士なんだってメイは言ってた。大きい。俺の倍以上ある。そいつは四本の剣のような腕を振り回して攻撃を仕掛けてきた。メイたちは攻撃をひょいひょい避けているが、反撃もしあぐねてた。
「あっ!」
由里香さんの動きが止まった。地面から生えた手に足を掴まれてる。別のやつかっ、まずい。四つ眼の腕が由里香さん目がけて振り下ろされる。
悠がギリギリで割って入り、棍で打撃を受け止めた。棍がたわみ、白い火花が散る。
「アキ!メイちゃん!頼む!」
俺はピックの編隊で由里香さんの足首を掴んでる手を、間違って由里香さんを傷つけないように祈りながら切り刻んだ。メイが飛び込んできて、悠にもう一撃加えようとした腕をチェーンソーで弾き飛ばす。四つ眼の体勢が大きく崩れる。
「由里香!」
「ハイッ!」
由里香さんは悠の頭を踏み台にして跳躍し、一回転して四つ眼の顔面に踵落としをめりこませた。
「こんのぉっ!」
由里香さんは反動でこんどは後方に跳躍して一回転し、その勢いでスティックを投擲する。スティックは白とピンクの光の軌跡を描いてファントムの顔面にざっくり深々と突き刺さる。
最後はメイが懐に踏み込んで、チェーンソーを下から振り上げる。四つ眼のファントムは股間から顎まで切り裂かれ、崩れた。
「これで終わり?」
きれいに着地を決めた由里香さんが言う。
「あいてて、頭を踏んでくことはないだろ」
悠は頭を押さえている。由里香さんはちょろっと舌を出す。
「まだよ。地面の下にいるのは別ね」
メイは香水みたいな瓶を取り出して、中身を地面に撒いた。青く光る液体が高速で地面を走り、グリッドを描いていく。
「お願い……はやく見つけて……」
メイが祈るように呟く。派手に格闘している三人の表情には疲労が刻まれはじめていた。俺も精神力が限界に近かったが、まだくたばるわけにはいかない。
地面を走査してきた青い光が俺の近くで弾けてとんだ。
「アキ、逃げてっ!」
メイが叫ぶのを聞いた瞬間、俺は宙を舞っていた。なにかに足元を跳ね上げられたらしい。俺はギターを抱えた格好で背中からどすんと落ちた。いってぇ。ひっくり返った視界の隅で、メイたちが地面から生えてきたたくさんの腕に阻まれてるのが見えた。鈴音、真古都ちゃん。
俺は次の一撃を防ぐことができた、らしい。俺の前でピックの編隊が組み合わさって回転する盾になり、地面から生えたひょろ長い腕の化物のパンチを弾いていた。俺は立ち上がる。俺を叩き潰そうとしたのか。いや、死にかけたことは考えない。考えるな。四つの眼が地面に出現して、地面からファントムの体が生えてきた。その体には腕も脚もない。全部地面の下なんだろう。
そいつは生えているいちばん長い腕の先を鋭い刃物みたいに変化させ、ピック編隊を一振りで薙ぎ払うと、俺目がけて鋭い腕を突き出してきた。避けれない速度じゃない、クリスタルの力で全部見えてる。だけど、ここで俺が避けたら……
「アキっ!」
メイの悲痛な叫び。ファントムの突きは俺のテレキャスターに突き刺さっている。うむ、プランどおり。プランどおりじゃなかったのは、やっぱり俺の装甲化はぜんぜん使いものにならなくて、ピックガードの強化はまるで中途半端だったってことだ。一回も鎧の実体化は成功しなかったもんな。鈴音と真古都ちゃんは……無事らしい。うむ。俺にしちゃ上出来。ギターは直せるかな……今買い替える金、ないんだ……
バキッ、と木の裂ける音がして、ネックやボディがバラバラになって落ちる。脇腹の辺りに鈍い感覚。膝の力が抜ける。感覚が薄れていく。ま、自分がバラバラにならなかっただけマシか。
「やめろ!」
ん?
「やめろやめろやめろっ!こんなの嘘だっ!」
ファントムの腕を掴んでいる手がぬるぬる滑る。俺は渾身の力で振り返った。鈴音が片手でジャガーのネックを握りしめて、なにか叫んでる。遠くからその声が聞こえる。
「ひどいよっ!全部夢なんてっ!わたしの大切なものがぜんっぶ夢なんてっ!そんなのっ!そんなの信じない!」
鈴音はファントムに突進すると、両手で振りかぶったジャガーで頭を思いっきりぶん殴った。ゴキッ、という音がしてファントムの首は変な方向にねじれ、口から体液が飛び散った。
「アキを離せぇっ!」
鈴音はファントムを再びギターでぶっ叩いた。ブリッジやツマミのパーツが飛散する。もったいない。
「こぉの、バカあぁぁっ!」
鈴音が最後の一撃。鈴音のジャガーはネックのジョイント部分からまっぷたつ。ああ、もったいない。ファントムは地面からもぎ取られ、ひしゃげて崩れていく。俺に突き刺さっていた腕から力が失われ、どろどろの体液に変わっていく。支えを失った俺は、その場で膝からくずおれた。
「アキ、アキっ!お願いお願い目を開けてっ、お願いだから」
俺はようやく目を開けた。鈴音のアップがぼんやりと視界に映る。うーん、これは……膝枕ってやつですか。
「鈴……音……だいじょうぶ……だっ……たか」
声が出ない。息だけがひゅーひゅー抜けていく感じ。
「ごめん、ごめんね、わたし、ほんとは知ってたのに、ずっと前から知ってたのに」
顔に熱いものがぽたぽた滴ってくる。泣いてるのかな、鈴音……女の子の泣き顔は今日二回目だな……
「みんな……無事……?」
鈴音がうんうんと頷く。
「そか……なら……いい……や……」
「しっかりしてっ、お願い!アキ!」
世界が虹色に包まれ、ホワイトアウト。
13 鈴音
親父の棚にあったSF小説で、強烈な啓示を受けるとピンク色の光線で目が見えなくなる、っていうのがあった。ディックだったかな。おなじ本だったかどうか忘れたけど、うちの猫はなにも悪いことはしてないのになんで車に轢かれて死んだんだっていうのもあった、気がする。うん。死ぬってことは理不尽なもんですよね、フィリップ・K・ディック先生。
で、俺はどうなったんだろう。俺は目を開けた。俺が立っていたのは、白い教室。これは前にも見たことがある。クリスタルをむりやり使って気絶したときだ。窓が開け放たれてて、風がカーテンをなびかせている。日差しが強い。俺はシャツをめくって自分の体を確かめた。傷ひとつない。ファントムの鋭い腕は、確かにギターを貫通して俺の腹に刺さってた。思い出してみる。最後に見たのはなんだっけ。大きく見開いた鈴音の瞳。涙があふれてた。鈴音はなんで泣いてたんだ?俺のせいだったような気がする。
ひょっとすると、ここがあの世ってやつなのかな。死後の世界。大霊界。だから傷もなくなってるんだ。それに俺、夏服だし。うん。思ってたのとはずいぶん違うけど、きっとそうだ。てことは、俺は死んじゃったわけだ。みんなどうなったんだろう。鈴音はみんな無事だって言ってた気がする。まあ、今さら知りようもないんだけど。
窓際にアコースティックギターが立てかけてある。俺が勝手に使ってる音楽室の備品だった。誰が持ってきたんだろう?ま、ここがあの世なんだったら現世のしがらみもない。俺はギターを手にとった。チューニングは合ってる。俺はアントニオ・カルロス・ジョビンの『Desafinado(ヂザフィナード)』を弾いてみた。ボサノヴァ。ふむ。あの世でも楽器の腕はおなじままか。ちぇっ。
誰かが俺のギターに合わせて歌を歌っているのが聞こえた気がして、俺は手を止めた。
「終わりまで弾いてよ」
制服姿の鈴音だった。俺は喉から心臓が飛び出そうになった。
「どうしたの?イヤ?」
「そういうわけじゃないけど……」
俺はなんで鈴音がここにいるのか疑問に思いつつ、曲の続きをつっかえつっかえ弾いた。鈴音は机に腰掛けて目を閉じ、俺の演奏に合わせて歌う。曲が終わって鈴音が言った。
「アキはこの曲、なんのこと歌ってるか知ってる?」
「さぁ。ポルトガル語はわかんない」
「音痴だって言われて怒る歌なのよ」
「う……」
そうだったのか。知らんかった。
「ギター貸して」
鈴音は俺からギターを受けとると、少しチューニングして、それから軽く咳払い。鈴音が弾きはじめた曲は『Chega De Saudade(想いあふれて)』だ。鈴音は静かに、時に軽やかに弾き語る。滑らかなポルトガル語。相変わらず、素敵な歌だ。掛け値なし。細くて長い指が流れるように動き、透明なマニキュアを塗った爪が光を反射して渓流の水面みたいにきらめく。そういや練習のときは俺は自分のパートに精一杯で、鈴音の演奏はよく見たことがなかったな。
「はい、次はアキ。こんどはアキが歌ってね」
「ええっ、やだよ。俺、音痴だもん」
「音痴の人間にもハートはある、よ」
「なんだよそれ」
「『Desafinado』」
むう、しかたない。俺はすこしはまともに歌えそうな The Jesus and Marychain の『My Little Underground』を選曲。
俺がなんとか歌い終わると、鈴音は俺からギターをひったくった。
「はいはい、こんどはわたし」
鈴音が歌うのは Ash の『A Life Less Ordinary』。
俺と鈴音は交替でどんどん歌う。バンドのレパートリーの Ride、My Bloody Valentine、Ash、The Jesus and Marychain、それから Nirvana、Radiohead、The Smiths、The Stone Roses、Blur、Suede、Slowdive……俺が覚えてない歌詞は鈴音が歌い、(断然こっちは少なかったが)鈴音が忘れてるところは俺が歌った。俺の適当演奏につられたのか、鈴音もあれれとか言いながら音を外す。ふたりで笑う。何曲歌ったか、もうわからない。
俺は The Cure の『Just Like Heaven』でとうとうネタ切れ。
「そっか……」
俺のネタ切れ宣言に、鈴音はちょっと寂しそうに呟いた。
鈴音は『Corcovado(コルコヴァード)』を弾きはじめる。ボサノヴァに戻ってきた。鈴音は静かに歌う。ぜんぜんわからないはずのポルトガル語が、不意に一瞬だけ聞き取れた。
「……部屋の片隅、ギターがひとつ……歌がひとつ……」
曲が終わる。
「……」
鈴音はギターを抱えたまま黙り込んでしまった。
「どうかした?」
「……もう、行かなきゃ」
そう言って机からすとんと立ち上がる。
「行かなきゃって?」
そうか、ここはあの世なんだっけ。ほんとにそうかはわかんないけど。それだったら、行かなきゃならないのは俺じゃないのか。彼岸。三途の川の向こう岸。
「詩音が目覚めるから」
「しおん?」
「うん、詩に音って書いて詩音。きょうだい……みたいなものなのかな」
鈴音にきょうだいがいたなんて初耳だ。でもメイは、鈴音の家族は両親だけって言ってた。まてよ、ここは現実の世界じゃない。あの世(仮)だ。これは俺の精神世界、インナースペースで、目の前の鈴音は俺の脳内キャラなんじゃないだろうか。だって鈴音は無事だったはずだし。ここにいるわけない。
鈴音は淡々と語る。
「わたしね、よく見てた夢があるんだ。この教室でね、わたしにそっくりな誰かと話してるの。わたしのそっくりさんは金色の瞳をしてる。で、そのそっくりさんは言うの。『わたしは本当のあなた』だって。それってどういうこと?って聞いたらそっくりさんが言うの。『あなたはわたしの夢。この世界での仮の姿』だって。わたしは信じられなくて、そんなの嘘よ、わたしはちゃんといるもん、夢なんかじゃないわって言い返した。そしたら『すぐにわかるわ、わたしはもう目覚めるんだもの』って。これがはじめて詩音と会ったときのこと。その日はまだ暗いうちに汗びっしょりで飛び起きた」
ふむ、俺の中で鈴音はそんな超絶異次元キャラだったのか。
「詩音はずーっと昔に産まれたんだけど、ずっと眠ったままなんだって。そしてときどき夢を見る。その夢が形になって、わたしみたいな〈存在〉になるんだって。詩音が言うには、わたしが〈出現〉したのはたったの一年前」
産まれてから一年?うーん、いくらなんでもそんな設定、考えたこともない。
「じゃあ、お母さんやお父さんはいったい何者なの?って聞いたら、それも詩音の夢の一部なんだって。『あなたの両親はあんまり家にいないけど、どんな仕事してるか知ってるの?』って聞かれて、わたしは答えられなかった。わたしはたまんなくなって、嘘だって叫ぼうとしたところで目が覚めた」
鈴音はギターを両腕で抱きかかえる。鈴音の存在感は妙にリアルだ。やっぱり鈴音は本物だって気がする。だとすると、ここはいったいどこなんだ?
「わたしの音楽の才能は彼女のためにあるの。アキやメイさんは、あの黒いクリスタルで魔法を使うよね。妹尾くんや由里香ちゃんは特別な楽器を使うわ。手法は違うけど、魔法っていうのは言葉と音楽を媒介にしてマナを操作する技術なの。それは変わらない。詩音は魔法そのものみたいな子で、目覚めるのにものすごい量のマナが必要らしい。それをわたしが集めてたってわけ。わたしの音楽で、無意識のうちに。アキや真古都や誠太郎を利用して……」
「メイや悠たちのこと、知ってたのか……」
「詩音が教えてくれたの」
鈴音はそれっきりうつむいて黙ってしまった。俺はなにを言ったらいいのかわからない。沈黙の時間。
「みんなでバンドするのは楽しかった。だから、ずっとあのままでいたかったけど……」
鈴音は顔を上げた。笑顔だった。
「もうお別れ。サヨナラ。みんなには言えなかったけど、アキには言えてよかった」
「ちょっと待て。なんで笑顔でそんなこと言うんだ。お別れってどういうことだよ」
しまった。
「う……ごめん」
俺は反射的に鈴音に突っかかってしまったのを後悔した。鈴音にもどうにもならないことなのに。鈴音はちょっと驚いた表情を見せてから、首を横に振った。
「いいの。そんな風に言ってくれるなんて思ってなかったんだ。ちょっと嬉しかったかも」
鈴音はまた机に腰掛け、ギターを構えた。
「詩音が目覚めなかったら、世界はあの亡霊たちに喰い尽くされちゃう。妹尾くんと由里香ちゃんの宇宙も、メイさんの宇宙も。だから、これでいいんだ」
鈴音はポケットから黒いクリスタルを取り出した。俺のクリスタルだ。なんで鈴音が?
「それは……」
「ふむ。だいたいきれいになってるけど、もうちょっとだけ傷があるわね」
鈴音はクリスタルを光に透かして内部を確かめていた。
「じゃ、最後にもう一曲」
鈴音の手からクリスタルがふわふわ漂って宙に浮く。クリスタルは鈴音の前で微かに上下する。鈴音はゆっくりしたテンポでギターを爪弾き、歌う。
ぼくは目覚めて
また見つめる
空っぽの部屋
ぼくは運命とか
信じたりしない
永遠もないし
だけどぼくは
ここに座っていたくない
ここにはもう
いたくないんだ
起きて食べて寝る
それだけのこと
いつか消えて
ぼくはあしたには
旅立つんだ
理由はしらない
だけどぼくは
ここに座っていたくない
ここにはもう
いたくないんだ
鈴音はアルペジオで曲を終えた。
「悲しい歌よね。だから、ボツにしたの。でも、一回くらい人に聴かせてみてもいいかなって」
鈴音の手にクリスタルが戻る。鈴音はまたくるくる回しながら光に透かして中を確かめた。
「うん、もう大丈夫。もとどおりね」
鈴音はクリスタルを俺に投げてよこす。いきなりだったから受け損なうかと思ったけど、クリスタルは自然に手に収まった。
「そのクリスタルがあなたを導くわ。行って、アキ。メイさんが待ってる」
「えっ?」
教室を強い風が吹き抜ける。鈴音の周りを虹色の光が渦巻き、鈴音の髪、スカートとブラウスの裾、リボンをはためかせる。まるで光の繭を紡いでいるようだった。
「短い間だったけど、楽しかったわ。バイバイ」
鈴音は虹色の光の繭に隠れて見えなくなった。光の繭が強烈な光を放ち、視界がピンクに染まる。視力が戻ってくると、机に立てかけたギターだけが残っていた。俺は駆け出す。教室のドアを開ける。
「鈴音!」
そこには真っ白のなにもない空間が広がるばかり。なんだこれはいったい。
俺のクリスタルが手からひとりでに離れ、真っ白の空間に黒い穴を作った。クリスタルは穴の周りを青く明滅しながら飛び回る。この穴に飛び込め、ってことか。鈴音はクリスタルが俺を導くって言った。俺は鈴音を追いかけたい一心で、黒い穴に飛び込んだ。
落ちていく。不思議の国のアリスみたいに。
14 見知らぬ場所
気がつくと、知らない天井を見ていた。窓から薄明かりが差し込んでるけど、まだ世界に色はない。明け方だ。どこだ、ここ。
左腕の辺りが重い。なにか乗っかっているみたいだ。そっちに目をやる。人?顔は見えないけど、突っ伏して眠っているらしい。誰か付き添っててくれたのか。腕が痺れてる。あいてて。起こさないようにそっと腕を引き抜こうとしたが、寝てる誰かの頭がマットにぼこん、と落ちてしまった。その人物ががばっと目を覚ます。うん。よく知ってるヤツだ。
「……メイ、か?……」
薄闇で青い瞳がきょとんと光っている。ぱちぱちと数回瞬きして、口元をごしごし拭う。
「メイ、だろ……ここはどこ?」
メイの瞳がうるうるして……どすっ。ぐえっ。
「もう……また無茶して……心配したんだから……」
メイは俺の胸の上に突っ伏して、ぐずぐず鼻をすすりながらながらぽこぽこ俺を叩く。
「ごめんな……」
「もうっ」
メイがぎゅーっと締めてくる。うがが、苦しい、そのうえ痛い。
「メ、メイ……死ぬ、から。ほんと、に、死ぬ、から」
メイが、ばっと離れる。
「ごごっ、ごめんなさい」
メイは袖で涙を拭いて、鼻をすすり上げた。なんか俺、女の子(含む姉ちゃん)を泣かせてばっかりだ。
「ここはどこ?」
「ここは〈ファースト〉。わたしの家」
「そうか……って!」
俺は飛び起きた。
俺が寝かされているのは豪華な木製のベッドだった。アールデコ(?)っぽい装飾の広い部屋。大きな窓。高い天井。そしてアンティークなインテリア。前にメイが見せてくれた〈ファースト〉の光景そのまんま。いや、当たり前だけど。
「みんなは?」
「真古都と由里香と悠はここに来てるわ。アルフレッドに緊急ゲートを開いてもらって脱出したの」
「脱出?」
「鈴音さんが……〈サード〉の時空を凍結してしまったの。今〈サード〉ではなにもかも止まってしまってる」
「詩音……か」
「詩音?」
「あいつは鈴音じゃない」
俺はベッドから出ようとした。体を激痛が走る。
「あいでで……」
「無理しないで。傷は消えてるけど、体は相当弱ってるわ」
「……ちくしょ」
そういや、こんなシチュエーションは前にも体験したな。
「……あれからどのくらい経った?」
「ここの時間で一週間。アキがメイルストロームから現れたのは一昨日の朝」
「へ?」
「青の塔のメイルストロームに突然出現したのよ。大騒ぎだったんだから」
メイは微笑む。一週間か。
「とりあえず……なにがどうなってるか教えて」
メイは頷いてあれからのことを話してくれた。内容はこうだ。
俺が気を失ったあと、鈴音は俺と一緒に虹色の光に包まれて巨大な光の繭になった。そこからファントムのアイソレーションフィールドとは違う青いフィールドが発生して、周囲のマナを猛烈な勢いで吸収しはじめた。周囲の物という物は全部結晶化してしまい−−とてもきれいだった、あんな状況じゃなければずっと見ていたかったくらい、とメイは言った−−直感的に非常事態だと察知したメイは、アルフレッドさんに連絡してハイパーゲートを開き、その場にいた人間を〈ファースト〉に脱出させた。〈ファースト〉では強い時空共鳴が観測されてたらしい。
「〈サード〉……はどうなってる?」
「簡単に言うと、時間がほとんど停止した状態。宇宙全体に影響を与えるなんて信じられないわ。地球がどうなってしまってるかは、いちばん力の強いオーバーシアーたちにも探査できない状態。でも、あの様子だと全域が結晶化してしまっていると考えられる、だって」
「みんなは?」
「わからない。おそらくは結晶化された状態で凍結されてる」
姉ちゃん。唐沢、広和、速水さん。それに誠太郎。
「宇宙と宇宙はだいたい時間がシンクロしてるんだけど、〈サード〉の時空間が大きく歪んでることでハイパーゲートのネットワークや境界領域のバランスが崩れてる。正直、この先どういうことになるのかぜんぜんわからないの。青の塔の大ウィザードは悠や由里香も交えて協議してる」
「えらいことになってるんだな……」
「うん……でも、今はゆっくり休んで」
「うん……」
「あっ、えっとね、わたしたちもね、残念だけどできることがほとんどないの。話が大きすぎて、なにしたらいいのかさっぱり」
メイは慌ててそう付け足し、えへへと苦笑した。俺がまたいつもの自己嫌悪モードに入ってしまわないように気をつかってくれたんだろう。バレバレだな。やれやれ。
「メイ……」
「えっ、あっ、なっ、なに?」
「……腹減った」
俺はわざと重苦しい調子で言った。メイはきょとんとしている。俺は吹き出した。メイも笑う。
メイが電話(と思う、見た目は携帯電話みたいだ)を取り出してなにやら話している。ほどなくしてワゴンを押したメイドと一緒にアルフレッドさんが現れた。また山盛りワッフルかと不安になったけど、出てきたのはいい香りのするハーブ入りのポトフだった。腹は減っていたが、皿の半分くらいで胃が受け付けなくなった。
*
夜が明けると、真古都ちゃんと悠、由里香さんもやってきた。
「わぁ〜ん、アキさぁ〜ん」
真古都ちゃんは俺を見るなりわんわん泣き出して、泣かせた女の子リストに加わった。ほんっと、申し訳ない。
「ぼくらの宇宙〈黄龍〉とは連絡が取れないんだ。器具はほとんど全部あっちに置いてきちゃったし、打つ手が少なくてさ」
真古都ちゃんが落ち着いてから、悠が状況を説明する。
「メイちゃんに提供してもらったデータで一応の座標は割り出せてるんだけど、ノイズが多すぎてチャンネルを開くことができない。アキたちの宇宙の時間の歪みが影響してるんだろうね」
悠が笑顔になる。
「ま、なんとかなるさ。〈ファースト〉も快適だからね。客人扱いは気持ちいいよ。それに、ここの魔法工学はすごく興味深いしね」
「もー。お兄ちゃんたら、女の子ばっかりチェックしてるんですよ。大事な話は全部わたしがしてるんです」
「ははは」
悠が笑う。
しばらくしてメイの〈おばあ様〉ブリジットさんがやってきて、俺を診察してくれた。ブリジットさんは青の塔のヒーラーなんだそうだ。想像してたより遥かに若々しく、うちの母さんとおなじくらいにしか見えない。メイとそっくりなきれいな長い黒髪を三つ編みにして、前に垂らしている。上品な女性。メイはにこにこしながらブリジットさんを紹介してくれた。メイはおばあちゃん子だ。早くに亡くなった母親と、家を空けることの多かった父親に代わってメイを育てたのがブリジットさん。
「ふむ……なんともないですね。傷の痕跡はまったくありません。不思議ですね」
緑のクリスタルで俺の体を調べながら、ブリジットさんは不思議そうな顔をした。メイとおなじ、きれいな青い瞳。
「まぁ、いいでしょう。なんともないのはいいことですから。体中痛むのは筋肉痛みたいなものですね。マナも弱ってるけど、大丈夫」
ブリジットさんは微笑んだ。
「特製の薬草茶を作ってあげるわ。それで明日には元気になってるはずです。見物がてら着るものでも買いに行ってらっしゃいな」
「特製……」
メイが苦々しい顔で口を歪めている。
「自分の家だと思ってゆっくりしていってちょうだい。足りないものがあったらなんでもアルフレッドに言ってくださいね」
「ありがとうございます」
自分の家。そうか、帰るところはなくなっちゃったんだ。
「そうそう、メイがずいぶんお世話になったそうね。わたしからもお礼を言うわ。ありがとう」
メイは真っ赤になってもじもじしていた。んー、なにかものすごいことを思い出した気がするけど、今は忘れよう。
特製薬草茶は、人生で味わった苦いものランキングを一気に塗り替えるすさまじさ。メイの家で飲んだお茶ですら初級編に過ぎなかったのだった。だけど、一口ごとに力が沸いてくる不思議な味だった。
15 ロンドン
次の日、ブリジットさん特製薬草茶とおいしい料理でだいぶ回復した(少なくとも体は)俺は、メイと真古都ちゃんと一緒に街へ出た。
〈ファースト〉の地理は、ここでは〈サード〉と呼ばれる俺の宇宙とあんまり変わらない。都市がある位置もほとんどおなじだ。大きく違うのは国境線で、国の数そのものがとっても少ない。塔、つまり魔法の源泉であるところのメイルストロームの数が限られてるのが原因だとか。かつてはメイルストロームを巡って血なまぐさい歴史があったところは俺らの地球とおなじ。メイの家があり、転送された俺たちがいる現在地は〈サード〉で言うとイギリスのロンドンの辺り。都市というのは、もともとマナが濃いところにできるものらしい。悠たちの〈黄龍〉(悠たちは自分の宇宙をこう呼ぶ)でもおなじなんだそうだ。面白いのは、地名がどの宇宙でもほとんど変わらないこと。ロンドンはやっぱりロンドン。なんて都合のいい。メイが転校してきたときにロンドンから来たって言ってたのは、ほんとのことだったわけだ。
〈ファースト〉のロンドンは、俺がテレビなんかで見聞きしてるあのロンドンのイメージを強烈にファンタジックにしたような感じだった。道を走るのは自動車や二階建てバスじゃなくて、ジブリのアニメに出てくるみたいな鋳鉄っぽい質感のトランスポーター。地面を滑るように移動している。乗り心地はというと、静かなのだが微妙な揺れが気持ち悪い。真古都ちゃんも同意見。個人用の乗物はセグウェイみたいな車輪付きの小さいものが主流みたいだった。空を滑るように飛んでいるずんぐりした乗物もある。危ないんじゃないかと思うのだが、見えないフィールドで衝突から保護されているらしい。道行く人が着てる服は、ポワロやホームズのドラマで見る上流階級の服を現代風にアレンジしましたって感じの上品な感じのものが多い。俺は悠から茶色のショートコートと細身のコットンパンツを借りて着ていたのだが、それでもかなりカジュアルすぎるような感じ、俺には似合わないってのもあるけど。ロンドンの十一月は寒いのだが、俺たちより薄着な人が多くて驚く。慣れってやつなのかな。たまに見かける青いローブ姿の人は、ブリジットさんとおなじく青の塔で働いているウィザード。
青の塔は郊外にあって、ひときわ存在感を放っている。遠近感が狂うほど大きな真っ黒の建物だ。とにかくでかい。夜になると青い光が塔の表面を走るのが見えてとってもきれいなんですよ、とは真古都ちゃんの談。緑の塔の攻防戦以来塔の周囲は厳戒態勢で、許可のある人間しか敷地に立ち入ることはできない。このクラスの塔は世界各地に十二しかなく、それぞれに色の名前がつけられている。黒騎士団の分隊が十二なのはその〈色の塔〉の数に合わせたからで、各隊には塔とおなじ色の名前がつけられている。鎧や武器がまとう光は隊のシンボルカラーとおなじ。青の塔に駐留しているのはブルー・ブラック隊で、メイはここの所属。したがって装備は青い光をまとっている。俺のクリスタルも元はそのコピーなので青い光を放つってわけだ。
メイが案内してくれたモールのショップには、俺が普段着てるみたいなカジュアルな服もあった。どれもどことなくクラシックな雰囲気がするデザインだが、悪くない。マウンテンパーカーみたいな上着とか、カーゴパンツみたいなのとかいろいろ買い込む。メイは好きなだけ買っていいって言うし、どのくらい〈ファースト〉にいることになるかわからないので、言葉に甘えて気に入ったのは全部押さえとくことにした。真古都ちゃんはレディスのパンツを見つけて喜んでいる。真古都ちゃんはスポーティなファッションが好みで、スカートは苦手らしい。今着てる白いハーフコートとミニスカートも似合ってるのにな。
俺と真古都ちゃんは言葉に不自由しないように翻訳クリスタルをもらっていた。革紐に付いた小さな赤い玉のペンダント。メイも〈サード〉にいたときはおなじものを使っていて、流暢な日本語はそのおかげ。俺の翻訳クリスタルは最初こそ不安な感じだったものの、すぐにバッチリ動作するようになった。店員の言葉は普通に聞き取れ、俺の口からは母国語のように〈ファースト〉英語(とクリスタルは翻訳した)が出た。固有名詞がわからないくらい。不思議な感覚。メイとやった悲惨なテストを考えると、このクリスタルの快適動作は奇跡だろう。真古都ちゃんもすっかり使いこなしてるみたいだ。
ひととおり買い物を終えてから、メイがよく利用するっていうカフェで昼食。真古都ちゃんは迷うことなく次々注文している。すごい適応力。パスタやらサラダやらフライやらがテーブルに並ぶ。真古都ちゃんは満面の笑み。
「いっただっきまーす」
と言うが速いか、次々に皿を平らげはじめた。俺が目を丸くしていると、
「あれ、アキさん、食べないんですか。おいしいですよ?」
「えっ、いやそういうわけじゃないんだけど……」
「真古都はおいしそうに食べるから、おばあ様も喜んでるわ」
「はい。ここのごはんは全部おいしいデス」
真古都ちゃんがデザートのジェラートに取りかかったあたりで、メイがテレクリスタル(携帯電話みたいな機械はこう呼ぶらしい)を取り出してなにやら眺めてから、
「ごめんね、ちょっと外すわ。すぐ戻るから」
と席を立つ。
俺と真古都ちゃんは飲み物を残してすっかり食べ終えていた。と言っても、料理の大半は真古都ちゃんの胃に収まったんだけど。
「うん、うまいな……」
「ですよねっ」
真古都ちゃんは満面の笑顔、からいきなり真面目な表情に。
「あの、アキさん」
「なに?」
「あの、ワタシ、メイさんやユリリンからいろいろ聞いたんです……あの、別の宇宙のこととか、アキさんの魔法のこととか、その、あの……」
真古都ちゃんは目を伏せたまま、いつもどうやってセットしてるのか不思議な、きれいにウェーブのかかった長い毛先を指でくるくるしていた。真古都ちゃんは考えごとをすると髪の毛をいじる癖がある。
「あのっ、アキさんは鈴音さんのこと、どう思ってたんですかっ?」
唐突に聞かれて、俺はお茶を吹いた。
「なっ、なに、いきなり?」
「どーなんですかっ」
真古都ちゃんは身を乗り出して迫る。
「どっ、どうって……それはどーいう意味……」
真古都ちゃんの視線が突き刺さる。そんなこと言ったって……
「俺にも……よくわからない」
「……だと思いマシタ」
真古都ちゃんは大きく溜息をつき、鮮やかな赤いドリンクをじゅるじゅるすすった。
「……アタシ、アキさんや鈴音さんやセイタロさんとバンドするの楽しかったデス。また一緒にできますよね」
「……」
「サッカーは辛かったです。アタシ、中学の最後の大会、怪我で出られなかったんです。うちの学校、優勝候補だったんですけど、三回戦で負けちゃいました。替わりのフォワードの子はすごい頑張ってて、応援しなきゃって思って、それでもその子あんまり出来が良くなくって、アタシが出てればって思ったけど、試合終わったあとなんて声かけていいかわかんなくて……あー、アタシやなヤツって。サッカー、大好きだったんですけどね。負けた学校の泣いてる子たち見るのも辛くて、勝ったときも素直に喜べませんでした」
俺は黙って真古都ちゃんの話を聞く。
「アタシにベース教えてくれた子はおんなじサッカー部だったんですよ。その子、すっごいサッカー上手いのにぜんぜん練習来なくって、ベンチにも入れない万年補欠でした。なんで練習来ないの?って聞いたら『つまんないじゃん』の一言で。変わった子なんですよ〜。でも、なんか仲良くなっちゃって」
「年末に一緒にやろうって言ってたバンドの子?」
「そーです。高校は別々になっちゃったんですけどね。わたしもベースやりたいって言ったら、その子が安く見つけてきてくれたんです。ペダルなんかはいらないのあるからって、ほいほいくれて。アタシはぜんぜん初心者だから、バンドはまだちょっと無理でしたけど」
真古都ちゃんはグラスに残った氷をストローで突っつきながら話を続ける。
「アキさんたちもその子とおんなじ雰囲気なんですヨ。ちょっと違うところにいる感じっていうか。音楽でも、勝ち負けとか妬みとかしがらみとか、いろいろあると思うんです。そーゆーのと縁がなさそうに見えます」
「そうかなぁ……」
「そーですよ。ちょっと羨ましいです」
真古都ちゃんはにっこり微笑むと、ウェイターを呼び止めて飲み物のおかわりを注文する。俺はポットに残った紅茶をカップに注ぐ。もう出過ぎててちょっと苦い。
メイがパタパタと戻ってきた。表情が硬い。
「なにかあったのか?」
メイはこっくり頷いた。
「塔から連絡があって、ファントムの反応があるって。ふたりには今すぐ避難してもらわないといけないの。ついてきて」
メイが小声で言う。真古都ちゃんが不安そうだ。真古都ちゃんの垂れ目は、こういうときの表情を頼りなげに見せる。胸がざわつく。俺たちはできるだけ平静を装ってその場を離れた。
*
メイについて建物の屋上へ移動すると、空から車みたいな乗物が静かに降りてきた。このかたち、古いSF映画で見たやつにそっくりなような。ドアが上に開き、降りてきた人物を見てメイの表情が強ばった。
「お迎えに参上いたしましたよ、メイ」
「リっ、リカルド……」
「ふっ、ヒーローはピンチのときに参上すると相場が決まっているのです」
二十代くらいに見える若い男性は、顔にかかるウェーブのかかった黒い前髪をかきあげポーズをとる。どことなく悠を思わせるアクションだが、隙がまったくない悠に比べるとこっちは穴だらけに見える。簡単に言うと格好悪い。
「とっ、とにかく、塔まで急いでください」
「ええ、もちろん。お任せあれ。私はリカルド、ブルー・ブラックの副隊長です、お見知り置きを」
この人が例の副隊長か。メイの反応が微妙なはずだ。
車は俺たちを乗せて浮上する。気味悪いくらい静か。操縦桿の機械音と、時折計器のたてる柔らかい電子音以外ほとんど音がしない。トランスポーターとおなじで、微妙な揺れが気持ち悪い。
リカルドさんが状況を説明する。
「ファントムの反応はそんなに強いものではありませんが、追跡が難しい。密偵タイプでしょう。狙いはおそらく……」
言いかけて、リカルドさんはメイの顔をうかがう。メイはびくっとする。
「えっ、あっ、このふたりなら大丈夫、続けてください」
リカルドさんは頷く。
「狙いはおそらく、山吹鈴音の痕跡ですね。メイが脱出に使ったハイパーゲートをトレースしてきたようです。連中も凍結された〈サード〉の時空間をどうしようもないのでしょう」
「それじゃ……」
「ええ。そうだとすると〈サード〉からの客人は非常に危険です」
俺たちか。真古都ちゃんの緊張が隣から伝わってくる。リカルドさんが振り向いて笑う。
「心配なさるな。我々黒騎士がついています」
心強い言葉だけど、リカルドさんが言うと、正直なんだか頼りない。
車内の計器が真っ赤に発光し、警告音が響く。
「来たな!」
カーナビみたいなパネルがダッシュボードに開く。赤い点が四つ。
「四体、結構多いですな。空を飛ぶやつは珍しい」
強い衝撃で車体が揺れる。後部座席の俺と真古都ちゃんはひっくり返ってしまった。
「しかも速いっ」
「ひやぁぁぁ!」
真古都ちゃんの悲鳴がして、また機体が揺れる。
「アっ、アキさんごめん!」
「ぐう」
ファントムが体当たりをしてきてる、らしい。真古都ちゃんが俺の背中に乗っかる格好になっているので、さっぱり状況は確かめられないんだけど。
「わたしが外に出て戦います!このままじゃ……」
メイの申し出をリカルドさんが遮った。
「いえ、それは無謀です。飛行用の装備は持ってきていないでしょう?」
「そうだけど!」
「実は私も持ってきてないんです」
「……」
「とにかく、振り切ってみましょう。このスピナーの防御シールドはそうそうやわな作りじゃありません」
車が加速し、甲高いエンジン音が聞こえてくる。
「こちらに高度をとらせたくないようですな」
ようやく窓から外を見ると、翼の生えたファントムの黒い影が平行して飛んでいるのが見えた。
「このタイプは私もはじめて遭遇します。つくづく思うのですが、彼らはいったい何者なんでしょうね」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょう、リカルド!」
「そうですね。スピナーの最大速力についてきてるわけですから」
「ええっ?」
「前!前〜〜っ!」
フロントガラスにファントムの四つ眼の顔。その手には槍。
「しまった!」
槍がフロントガラスを突き破るかと思った瞬間、ファントムは弾け飛んでいた。まっぷたつになって落下していく。
「アマラ様!おひとりなんですかっ」
メイが驚きの声を上げる。助手席側に並んで、サーフボードみたいなものに乗った黒騎士が飛行していた。両手には短い幅広の剣。サーフボードが真紅の軌跡を描いている。あれが黒騎士団の団長?
「そうだ、メイ、ちょっと気になったんでな。こいつらはわたしが始末する」
スピーカーから女性の声がする。えっ?思ってたよりずっと幼い感じがするんだけど……
「わかりましたっ」
リカルドさんは答え、スピナーは針路を変えた。
アマラさんは、華麗かつ豪快なボードさばきでファントムたちを強襲する。くるくる回転しながら向きを変え、たちまち二体目のファントムをバラバラに切り刻んだ。サーフィンっていうよりスノーボードのトリックみたいだ。赤い光が踊る。ファントムはトリッキーな動きにまったくついていけていない。それでも残った二体は体勢を立て直し、連携攻撃を仕掛ける。完璧なタイミングで波状攻撃。しかしアマラさんは最初の攻撃をくるりとかわし、そのままの勢いで次の一撃を繰り出したファントムにボードの裏面を叩きつけた。ファントムがふっとぶ。アマラさんの両手の剣が一体を切り刻んだ。黒い体液が飛び散る。最後のファントムは急上昇し、逃げ出した。アマラさんの右手に持った剣がすっと伸びて、真ん中でくの字に折れ曲がる。アマラさんがそれを思いきり投げつけると、剣はブーメランみたいに回転しながら赤い軌跡を描いて飛んでいってファントムに命中した。ファントムは片翼を失い、落下する。落ちてきたところにアマラさんが飛び込んで、もう一方の剣でファントムをまっぷたつにする。
あっという間だった。
「まだスキャナーに反応はあるか?」
「いえ、今のところは。助かりました」
「そうか。わたしも青の塔まで一緒に行くことにしよう」
アマラさんは俺たちの乗った車と並んで飛ぶ位置に来た。黒い鎧の尖ったデザインの兜の部分が帯になってほどけ、高い位置でポニーテールにまとめた金髪がなびくのが見え、褐色の肌の女性の顔が……って、それはメイとおなじくらいにしか見えない少女だった。ええええ。
「アキ、あれが黒騎士団の創立者で団長、そしてレッド・ブラックの隊長のアマラ様よ」
俺はあんぐり口を開けてアマラさんを見つめていた。真古都ちゃんは笑顔で手を振っている。大きなゴーグルの向こうの大きな琥珀色の瞳と目が合う。アマラさんは微笑んだ。
*
青の塔が近づいてくる。塔は近寄ってみるとますますその巨大さがわかる。中学の頃、両親に連れられて行ったマンハッタンの摩天楼には驚いたもんだけど、それすら比較にならない。千メートルを超える高さがあるらしい。
セキュリティチェックを受けてIDクリスタルを発行してもらうのにしばらく待ったあと、塔の中に入ることができた。塔の中は天井が高く広いが雑然としていた。青いローブのウィザードたちがいそいそと行き交っている。俺たちが通されたのは、凝った内装の応接室だった。高そうな革張りのソファは座り心地がいい。しばらくして、リカルドさん、メイ、そしてアマラさんがやってきた。
「ごめんね、お待たせしちゃって」
「君がアキか。メイから話は聞いている。わたしはアマラ・アマリア・アマリージャ。黒騎士団の団長をしている」
アマラさんは上品な黄色のフリル付きワンピースに、白いニーソックス姿。背もメイより少し高い程度で、どう見ても少女にしか見えない。喋りかたも格式張った感じだけど、声は女の子のそれだ。
「秋比古、古谷秋比古です」
「よろしくな」
俺は差し出されたアマラさんの小さくてほっそりした手を握った。しっかりした握手だった。アーモンド型の幻想的な琥珀色の瞳からは強い意志も感じる。風格のあるたたずまいだ。いったい何者なんだろう。年齢不詳。
「悠と由里香さんは大丈夫なんですか?」
「ああ、ふたりにはいつもここで調査を手伝ってもらってるんだ。ゆっくりしてもらいたいのだが、わたしたちにもわからないことばかりでな。迷惑をかけている」
ふたりともここに来てるのか。アマラさんは折り畳みのスツールを取り出してちょこんと腰掛けた。
「真古都は魔法のほうはどうだ?」
「ハイ、メイさんもユリリンもいい先生です」
「真古都ちゃん、魔法勉強してるの?」
俺は驚いて聞いた。
「ハイ……アタシもなんかしなきゃって思って……」
「そうか……」
真古都ちゃんはここへ来るまでは、ほかの宇宙のことも魔法のことも知らなかった。でも、自分もなんとかしようとしてる。
「そうだ、アキに渡すものがある」
アマラさんは腰のポーチから黒い巾着を取り出して俺に手渡した。中身は俺の黒騎士のクリスタル。
「アマラ様、いいんですか?」
メイが驚く。
「メイ、おまえの判断は正しかった。アキにはそれを持つ資格がある。それに、道具というものは必要な人間が持たなくては意味がないだろう?」
俺はクリスタルを手にとってまじまじと眺めた。鈴音が投げてよこしたときとおなじ滑らかさのままだ。
「俺は……これに助けられたんです」
アマラさんはまた微笑んだ。
「我々にはそのクリスタルの中身がどうなってるか、解析しきれないんだ。君も手伝ってくれると助かる」
「……俺で役に立つなら」
「アハハ。随分控えめだな。君ほどの能力をもったウィザードはここにはいないんだぞ」
「え?」
アマラさんは笑いながらすっと立ち上がった。
「塔の施設は自由に使ってくれていい。今夜は上の居住区に泊まってくれ。メイの家よりは手狭だが、食事はいいものを用意させる。ラズベリーのジェラートもな。真古都は好きだろう?」
「わぁ、アリガトウゴザイマス!」
真古都ちゃんが目を輝かせる。
「メイ、おまえはアキや真古都たちと行動しろ。通常シフトには当分入らなくていい。わたしはラボの様子を見てくる。あとは任せたぞ」
「はいっ」
メイはぴしっと敬礼する。
「あの……私は……」
リカルドさんがおずおずと訪ねる。
「おまえは副隊長の仕事が山積みだろう?」
アマラさんはさっきのいたずらな笑みで答えた。リカルドさんはがっくりうなだれている。なむなむ。
「ああ、それから。アキ、向こうではメイが世話になったそうだな。団長として礼を言う」
メイはここでも真っ赤になっていた。
16 メイルストロームからの使者
夕食の席には、悠と由里香さんもやってきた。由里香さんが自分たちの使う気功術について説明してくれるのを聞きながら、俺は漠然と食事をつついていた。香草と一緒に焼いた肉はとってもいい香りでうまい。真古都ちゃんは満面の笑みで次々に平らげている。だけど、俺はどうにも食が進まなかった。
「アキ、具合が悪いの?」
メイが心配そうに聞く。俺ははっとして、
「あっ、いや、ちょっと考えごと」
悠がやれやれという感じの苦笑を浮かべる。
「アキ、キミはもうちょっと正直になったほうがいい。ぼくたちはもうおなじ問題を解決しなきゃいけない仲間じゃないのかい?」
「ごめん……」
「鈴音ちゃんのことだろ?」
俺は頷いて、白い教室で鈴音に会ったことを話した。鈴音がお別れだって言っていたこと。詩音のこと。みんな真剣な顔で黙って俺の話を聞いていた。
「ってことはさ、鈴音ちゃんはその詩音って子の作った仮想人格だってことか?」
「そういうことになる、と思う」
「じゃあ、〈サード〉を凍結してるのは鈴音ちゃんじゃなくて、その詩音って子なんだ。アキが前に話してくれた金色の目をした鈴音ちゃんってのはその子なんだろうな」
俺は頷く。
「鈴音ちゃんは目的を果たしたから用なしってことか。ずいぶん勝手じゃないか」
悠の語気が珍しく荒い。
「お兄ちゃん……」
「そうだろ?仮の人格だろうがなんだろうが鈴音ちゃんは鈴音ちゃんだ。勝手な都合で出したり消したりしていいわけないじゃないか。ぼくは鈴音ちゃんを取り返す。決めたぞ」
悠が身を乗り出してくる。
「アキ!キミはどうなんだ?」
「俺……俺は……」
首からぶら下げたクリスタルが熱い。なんでだ。クリスタルを取り出すと、中で青い光と一緒に虹色の光が舞っていた。
「鈴音は……絶対帰ってくる。まだライブの約束が残ってるんだ」
悠がニヤリとする。
「決まりだね」
「それはいいんだけど……どうするつもりなの?」
由里香さんが聞いた。悠は座り直すと肉をぽいぽい口に放りこみ、もぐもぐしながら答えた。
「さぁね、それはこれから考えるんだ。ぼくにもどうしたらいいかなんてわからないよ」
「なによそれー!」
みんな大笑い。
*
寝つけない。寝室は俺の部屋より広くて快適なんだけど。
クリスタルは夕食のときからずっと発光したままで熱を持っている。外しておこうかとも思ったのだが、なぜかそうしてはいけないような気がした。間接照明のほんのり明るい部屋で、クリスタルは俺の手のひらでくるくる回りながら青と虹色の光を放っている。俺はその光になにかパターンでもないかと思ってイヤフォンを繋いでみたりしたのだが、痛んだCDみたいにデタラメな音が聴こえるだけだった。ギターがあればな。
そうこうするうちに俺はうつらうつらしていたらしい。夢を見た。鈴音の夢だ。
鈴音はバンドでステージに立っている。俺は客席。場所は知らないライブハウス。鈴音は細身のジーンズにつるつるした素材でややこしいテクスチャのTシャツ。珍しい。ステージは暗く、ほかのメンバーはよくわからない。スタンディングの客席は結構人がいっぱいだ。鈴音が持っているのはいつもの白いジャガー……じゃないな、あれはジャズマスターだ。まだ真新しい。でっかい目をした緑色の犬のキャラクターのステッカーが貼ってある。
鈴音がマイクの前に立つ。
「えっとそれじゃ、最後の曲。『ここじゃないところ』」
演奏がはじまり、鈴音のギターが轟音を奏でる。粘っこいギターリフ。〈スターライトミンツ〉ではやってない曲だが、なんか聞き覚えがある。イントロの音の壁が去ってアルペジオの静かなパート。歌がはじまる。
「ぼくは目覚めて……」
これはあれだ。鈴音がお別れのときに歌った曲じゃないか。コーラスに入るとバンドはまた一気にノイジーな音の塊を吐き出した。俺は必死でモッシュをかきわけ、最前列までなんとか辿り着く。思いきり両手を振って自分の存在をアピールする。が、演奏に没頭している鈴音は気づかない。うつむいたままギターをかき鳴らす。
曲が終わる。歓声が飛ぶなか、俺は大声で鈴音の名前を呼んだ。鈴音がこちらを向く。おーい。鈴音はにっこり笑う。気がついた?
鈴音は小走りに俺のほうにやってくると、伸ばしている俺の手にピックを手渡した。
そこで目が覚める。クリスタルは相変わらず空中で回転し続けていた。そして右手にはなにかの感触。慌てて手を開く。俺が握っていたのは、鈴音が使っているピンク色のピックだった。先が少し減っている。さっきのは夢だったはずだ。なんでこれがここに?
俺は昼間の買い物から服を掘り出して着替えると、部屋を出た。行き先はメイの部屋。ドアをノックする。しばらくして寝ぼけたメイが顔を出した。俺の顔を見てぎくっとする。
「あっ、アキ、どうしたのっ、こんな時間に」
「ごっ、ごめん。実は……」
俺は夢の話をして、ピックを見せた。
「ふうむ……ちょっと待ってて」
メイは黒いブラウスとフレアスカートに着替えて再び現れた。
「ラボに行って調べてみましょう」
エレベーターで少し下ったところにラボはあった。水晶玉型のマナアナライザーやらなんやら大半は俺の知らない道具で埋めつくされていて、床はケーブルだらけ、猛烈に雑然としている。かなり遅い時間のはずだが、数人の若いウィザードが働いていた。
俺の黒騎士クリスタルと鈴音のピックは透明のガラス管に収められた。メイは髪を上げてゴーグルをかけたいつものスタイルでスレートを操作している。ラボのウィザードたちは興味津々でみんな集まってきていた。
「これは……いやそんなまさか」
メイの手が猛烈な速さで動く。ギャラリーのウィザードたちが感嘆の溜息を漏らす。
「うーん……」
メイの手が止まる。メイは口元に拳をあてて考え込んだ。
「なにがわかった?」
「アキのクリスタルはここの地下にあるメイルストロームに直結してる。そして……」
「そして?」
「もう一ヶ所別のところに繋がってる。ノイズが多くて確かなことは言えないんだけど、その先は〈サード〉みたいなの」
「へ?」
「このピック、〈サード〉から転送されたものなのよ」
「なんだって。時空が凍結されてるとかじゃなかったのか?」
「そう。そうなの。だからこんなこと起きるはずない」
メイは厳しい顔だ。
「ネイティブでいちばん力が強いオーバーシアーでも今の〈サード〉にはアクセスすることができないの。存在の空白が存在を示している状態。ブラックホールの見つけかたとおなじ」
沈黙。
「……メイ、メイルストロームに案内してくれないか」
なにか予感がして俺は言った。
「えっ……そうね、アキが出てきたのはメイルストロームで、クリスタルも直結されてる。うん、なにかわかるかも」
メイはテレクリスタルを取り出してしばらく話をしていた。
「許可が取れたわ。行きましょう」
エレベーターは音もなく、胃が悪くなるほど急降下していった。どうにも〈ファースト〉の乗物はどれもこれも乗物酔いする。一階に着くと、こんどは警備付きのドアを通ってさらにエレベーター。
「アキ、大丈夫?」
「……まだ着かない?」
「もうちょっと……残り半分くらい……」
「……」
エレベーターの扉がやっと開く。俺は這うようにしてエレベーターから転がり出た。ここもエントランスには厳重な警備がついていた。
天井の高い広い通路を抜けると、大きな空洞が広がっていた。空洞の外壁に沿って通路が張り巡らされている。手摺越しに空洞の深い底を覗きこむと、青く光る湖がゆっくりと渦を巻いているのが見える。中心部は球形に盛り上がっていて、ゼリーみたいな質感。渦の中心からは青い光の球がぽうぽうと上に向かってゆっくり上昇していて、その先を見上げると巨大な青いクリスタルが光っていた。
「底に見えてるのがメイルストローム、上にあるのがコアクリスタルよ。規模では赤の塔や黄色の塔なんかにかなわないけど、ウィザードの塔の中でいちばん古いのがここ、青の塔なの」
ほかはもっとでかいのか。メイと俺は下りのエスカレーターに乗った。
「メイルストロームはマナの泉みたいなものね。どこからかマナが濃縮されて沸き出しているの。極めて濃度が高いから青く光って見えるのよ。マナの色は本来この青い色で、最初にできた青の塔は栄誉あるオリジナルカラーをその名前に冠してるってわけ」
長いエスカレーターはようやくメイルストロームの岸に到着した。上から見るより表面は高く盛り上がっていて、ひっくり返したボウル状の渦巻きになっていた。湖みたいに水がぴったり詰まってるわけじゃなくて、小さな(といっても俺より大きそうな)水滴がたくさん集合している感じ。
「アキ、クリスタルは?」
俺はクリスタルを取り出して確かめた。青い光と虹色の光は、懐中電灯にでも使えそうなくらい明るくなっている。
「あっ」
不意にクリスタルが俺の手から離れて、メイルストロームのほうにふわりと漂っていく。俺がそれを掴もうと手を伸ばすと、クリスタルが突然青い透明な球形スクリーンを展開して俺とメイを覆った。
「え?」
「え?」
俺はとっさにメイをかばって地面に伏せた。メイルストロームの渦の回転が速くなり、警報が鳴り響く。マナの光の粒が嵐のように飛び散り、クリスタルが展開したスクリーンに当たって弾ける。
「俺たちを守ってる?」
メイルストロームの表面に変化が現れた。強烈な虹色の光が発生し盛り上がってくる。虹色の光がなにかの形を取りはじめる。ん?もしかして人か?人が生えてきてるんだ。光る虹色の人形はバランスを崩してあわあわと手をばたつかせ、どさっと背中から岸辺に落ちた。メイルストロームの嵐は収まり、クリスタルのスクリーンも消えて俺の手元に帰ってきた。人形の光が弱まって、現れたのはうずくまったただの人間、みたいだった。
「うーむ……」
そいつは呻いて立ち上がり、眼鏡を直した。ツンツンの適当なのかオシャレなのかよくわからない髪型、玉虫色のややこしい、が、ちょっとおっさんくさいデザインのジャケットに、ユーズドのよれよれジーンズ、それにサンダル。まさか。
「誠太郎!」
「ん?アキかっ」
「なんでおまえがここに?」
誠太郎はポケットに手を突っ込んで辺りを見回す。
「それは俺が聞きたいな。鈴音の言うとおりに来たらここだった」
「鈴音だって?」
「アキ、下がって!」
メイの言葉の強い調子に俺は振り返る。メイの体を青い光がなぞり、黒い鎧で覆っていく。
「そいつはファントムよ」
「えっ?」
「ブルー・ブラック、および塔内の全騎士へ。メイルストロームにファントムが侵入。緊急事態、ただちに戦闘配置!」
メイの声が空洞に木霊する。誠太郎はやれやれと溜息をつく。
「ま、歓迎されるとは思ってなかったけどな」
メイは手に持った剣の切先を誠太郎にまっすぐ向けている。上からすごい勢いで数人の騎士が降下してきて、その勢いからすると信じられないくらい静かに着地した。誠太郎はポケットに手を突っ込んだままだ。
「メイ、あとは我々に任せろ」
「……ここで暴れる気か?」
「お望みとあらば」
誠太郎はふう、と溜息をついて両手を挙げた。
「俺はこんなくだらないことのためにここに来たわけじゃない」
「問答無用」
騎士たちが一斉に斬りかかる。しかし騎士は全員、誠太郎の一メートルほど手前でストップモーションみたいに一瞬静止して、それから弾き飛ばされた。
「ええっ!?」
メイが驚きの声を上げる。騎士たちは立ち上がれない。
「そんな、黒騎士はアイソレーションフィールドでも戦闘できるのにっ!」
メイは剣を構え、誠太郎に斬りかかろうとする。
「やめろっ!」
俺は間に割って入った。
「アキ!どいてっ」
「誠太郎……おまえ、ほんとに誠太郎だよな?」
「ああ」
「ファントムってメイは言った。おまえ、何者だ?」
「そうだな……あの亡霊たちと一緒にされるのはムカつくが、気持ちはわからなくもない」
「アキ!」
「メイ、頼む。話をさせてくれ」
「でもっ!」
新たにふたりの黒騎士が降下してきた。赤い光はアマラさん、青いのはリカルドさんか。
「メイ、アキの言うとおりだ、今は下がれ。命令だ」
「ぅ……わかりました」
メイが下がったのを見ると、アマラさんは武装を解除した。鎧がするするとほどける。
「なっ!」
「ああああアマラ様?」
リカルドさんとメイが慌てる。
「誠太郎、だったな。わたしはアマラ・アマリア・アマリージャ。部下のものわかりが悪くて手間をかけた。団長として謝罪する」
誠太郎は眼鏡を直し、またポケットに手を突っ込んだ。
「いや、問題ない」
「わたしはおまえのような人間……違うな、〈存在〉の噂を聞いたことがある。わたしの故郷では〈羽の人〉と呼ばれていた」
「話が早いな」
「黒騎士、武装解除。通常配備に戻れ!」
倒れていた騎士の人たちがもそもそと起き上がる。
「で、用件なんだが……」
誠太郎が切り出した。また場に緊張が走る。
「お前たちに助けてほしいんだ。頼む」
いつもとおなじぶっきらぼうな調子でそう言った。
17 作戦会議
食堂に集められたのは真古都ちゃん、妹尾兄妹、アマラさん、メイ、俺、そして誠太郎。みんな眠そうで、由里香さんなんか盛大に寝癖がついたままだった。アマラさんがいれてくれたミントティーの香りが漂っている。
「どういうことか聞かせてもらおうか」
アマラさんはプレゼントを期待する女の子のようにじっと誠太郎をみつめる。誠太郎は目を閉じてテーブルの上で手を組み、ふう、と息をついた。
「大昔、宇宙が分裂していくつもの平行宇宙になったってのは知ってるよな?その間を境界領域が埋めてることも」
みんな頷く。
「俺は境界領域−−俺たちは〈ソウルストレージエリア〉、魂の保存領域って呼んでる−−から来た。俺たちはファントムと争ってる」
こんどはみんなの目が点になった。
「ま……そういう反応だろうな」
眼鏡を直しながら、誠太郎が語りはじめた。
「境界領域にも住人がいるんだよ。元々人間だった連中だ。魂とか霊魂とか、そういうものだ。人は死ぬとき、マナストリームにその精神を部分的に回収される。それが寄り集まって〈魂の座〉−−集合意識体のようなものを形成してるんだ」
「驚いたな」
アマラさんは目を丸くしている。俺には頭が痛くなるような話だ。真古都ちゃんがこっちを助けを求めるような目で見ている。同志よ。
「最近は境界領域もややこしくなってきてな。ファントムっていうのは不完全な魂のコピーから生まれたエラーみたいなもんだ。かつては境界領域を流れるマナストリームに寄生してるだけの無害な存在だったんだが、数が増え、進化形態を持つようになって一大勢力になった。そして、境界領域をどんどん浸食するようになった」
誠太郎はお茶に口をつけ、難しい顔をした。
「うっ……すまん、予想外の味だった」
アマラさんは苦笑。
「魂たちもファントムもマナを吸収して生きてる。ファントムがお前たちの物質世界〈マテリアルワールド〉に現れるのはメイルストロームに引き寄せられてるからだ。ハイパーゲートでバカスカ穴を空けるもんだから、流れてきやすくなってるってのは知ってたか?」
「いいや……我々の困難は自業自得だった、というわけか」
「いや、気にするな。君らに予測できたことじゃない」
「そうだといいが……」
アマラさんは一瞬悲しげな表情を見せた。
「とにかく、ファントムの勢力が増大し〈魂の座〉は危機にさらされた。そこでファントムの〈戦士〉に対抗し新世界を開拓するため、俺たち〈ゴーレム〉を創造したんだ。俺はその最初の六人のうちのひとり」
なんだって。そんな素振りはいちども見せたことないじゃないか。
「我々のスキャナーで君がファントムと判定されるのは由来がおなじだからというわけなんだな」
「そのとおり」
「安心したよ。君が敵でないと確信できてな」
アマラさんはふう、と息をついた。誠太郎はお茶を一気に飲み干し、眼鏡を直した。
「もちろんファントムが黙ってるわけがない。しかも俺たちの覚醒には大量のマナが必要だったから、資源の問題にも発展したんだ。ファントムはマナストリームを食料にしてるからな。ファントムたちは全力で〈ゴーレム〉の覚醒を阻止にかかり、俺たちは不完全な状態で逃げるしかなかった」
どっかで聞いたことあるような紛争だ。魂の社会も完全ではないらしい。
「俺を含めた五人はなんとか覚醒することができたんだが、ひとりだけ繭の状態で行方不明になってしまったんだ。それが詩音」
誠太郎は溜息をついて、眼鏡を直した。
「俺は詩音を助けるために長い間さまよってきた。ほかの連中との連絡は取れなかったから、俺はひとりで探索を続けた。〈サード〉で鈴音を見つけたときは内心小躍り状態だった。俺は速水に内緒で鈴音に頼んだんだ、バンドに入れてくれって。俺は慎重に鈴音から詩音へ繋がるストリームを探した。詩音はアキたちの宇宙のマナを吸収して、まさに目覚める直前だった」
誠太郎は浮かない顔だ。
「なにかあったのか?」
「俺の不手際でな、アキ……詩音の繭の在処がファントムに見つかっちまったんだ。詩音は目覚められなかった。このままだとおまえと真古都の宇宙は永遠に凍結されてしまう。それはほかの宇宙にも影響を及ぼして、最終的に〈マテリアルワールド〉全体の崩壊を招きかねん」
「ええっ、目覚めなかったって……失敗ってこと?」
誠太郎はすまなさそうに腕組みして頷く。
「じゃあ、鈴音の努力は無駄だったってことか?自分は消えちゃったのに?」
「いや、まったく面目ない」
「そんな……」
俺は椅子にへなへなとへたり込んだ。
「いやすまん。本当にすまん。俺もああいう展開は予想してなかった。わざわざ俺のいないときに覚醒しようとするなんて」
誠太郎はおかわりのお茶に口をつけ、予想外の熱さにカップを落としそうになっていた。
「俺は詩音を助けにいかなくちゃならん。それには君らの助けがいるんだ。頼む。無茶を承知で手を貸してくれ」
誠太郎はテーブルに手をついて、中年のおっさんがやるみたいに頭を下げた。誠太郎は動作がなにかとおっさんくさい。
「それはいいんだけどさ、鈴音ちゃんはどうなるのさ」
悠が発言する。
「その件だが……」
誠太郎はポケットを探ってなにか取り出した。
「〈サード〉から脱出しあぐねてた俺をここに案内してくれたのは鈴音だ」
そう言って誠太郎はテーブルにピンクのピックを置いた。
「それは……」
俺はおなじピックを取り出して並べた。
「アキもあのライブハウスにいただろ?」
「うん」
「鈴音は俺にこのピックを渡しておまえを指差した。俺はおまえを追いかけた。そしたらここのメイルストロームだったってわけだ」
「鈴音は消えちゃったわけじゃないのか?」
「よくわからん。肉体が失われてるのは確かなんだが……」
誠太郎は難しい顔をする。
「……詩音を説得できればあるいは……いや待てよ……」
誠太郎はぶつぶつ呟いて、もっと難しい顔になる。
「で、どうなのさ?」
沈黙に、悠がしびれを切らす。
「……わかった。OK。なんとか努力してみよう」
「可能性はあるわけだ。じゃあその話、乗った」
悠が笑顔で言う。
「それで、わたしたちはどうしたらいいんです?」
由里香さんが聞く。
「その件なんだが……実はあまり時間がないんだ」
*
〈サード〉へ詩音を助けにいくメンバーに誠太郎が選んだのは、〈サード〉出身である俺と真古都ちゃん、それから誠太郎。そして、メイだった。
「メイ、真古都にもあの黒いクリスタルを作ってやってくれないか。誘導に必要だから、持たせとくだけでいいんだ」
メイはアマラさんにアイコンタクト。アマラさんは頷いた。
「わかったわ」
「それからお前、ギターと歌はできるか?」
「えっ?」
メイは目が点になっている。
「詩音は〈スターライトミンツ〉の音楽でマナを集めていた。いつにパワーを供給するにはバンドの演奏が必要なんだ」
「でっ、でも、わたしはああいう楽器はぜんぜんやったことないんだけど……」
「じゃあ一週間で練習してくれ」
「えっ?」
「おまえのマナパターンがいちばん鈴音に似てるんだ。頼んだぞ」
「ちょっ、ちょっと?」
誠太郎は由里香さんと、メンバーに選ばれなくてむっつりしている悠に楽器の製作を依頼しにいった。
「アキ……わたしにできるかしら……」
「うーん……がんばって、としか……」
「そうよね……」
メイはどんよりしていた。気持ちはわかる。すっごくわかるぞぅ。
18 兄妹、姉妹
思いがけない誠太郎の登場で解決の糸口すらなかった状況は一気に好転し、にわかに慌ただしくなった。不安要素は満載だけど、少なくともやることはある。俺はなんか安心したのかぐーすか眠ってしまい、メイが起こしに来たときは昼過ぎになっていた。
メイに連れられてカフェテリアにいくと、遅めの昼食をとる人でそれなりに賑わっていた。なんか視線が俺たちに集まってる気がする。俺より若そうなウィザードらしき少年が寄ってきて、〈サード〉からいらっしゃったんですよね、と俺に握手を求めてきた。少年は意を決したようすで、俺に耳打ちしてきた。
「あのっ、あなたがメイさんの恋人って話、ホントですか?」
えっ?ちょっ。俺はどう反応したらいいものかわからず、愛想笑いしかできない。少年はいろいろ話したそうだったが、トレイを持って戻ってきたメイのほうをちらっと見ると強ばった笑顔を残して名残惜しそうに去っていった。
「……メイ、今、威嚇してなかった?」
「いいえ〜」
窓際の一角には由里香さんと真古都ちゃんが来ていて、ふたりとも俺の倍くらい盛った料理をぱくぱく平らげていた。
「あ、アキさんメイさんオハヨゴザイマス」
挨拶を返しておなじテーブルにつく。
「悠は?」
由里香さんはフォークの先で向こうのテーブルを指す。悠は青いローブを着た女の子ふたりと楽しそうに談笑していた。なるほどね。
「わたしたち、すっかり有名人です。困っちゃう」
「ごめんね、部屋にお食事持っていかせましょうか?」
メイがすまなさそうに言うと、由里香さんは慌てて首を振った。
「いいえっ、困ったやつなのはお兄ちゃんでっ!ここの人たちはみんないい方ですっ!ご飯もおいしいですしっ」
由里香さんは悠のほうをじとっと横目で見て、はぁ〜と大きく溜息をついた。
「まったく、栄光の妹尾流の次期師範代が適当なヤツで、ホント、お恥ずかしい限りです」
師範代!あいつ、そんなに偉いやつだったのか。
「まあ、あんなんだけどいいところもあるんですよ……」
「悠さん、ユリリンにはメロメロだもんね」
由里香さんは、むぐっとデザートのジェラートを詰まらせた。真古都ちゃんはいきなり核心をついたツッコミを繰り出すので侮れない。由里香さんは恥ずかしそうにジェラートをぐりぐりかき混ぜる。
「お兄ちゃん、小さい頃からわたしのこといろいろかばってくれてたんだ。わたしにはもう辛い思いはさせないって……実はね、わたしとお兄ちゃん、血は繋がってないんです。小さい頃、幽鬼−−ファントムに両親が殺されちゃって……わたしは両親と親交の深かった妹尾家に引き取られたの」
「そうだったんだ……」
「〈サード〉へはホントはわたしとお父さんが派遣される予定だったんです。お父さんは〈黄龍〉有数の棒術使いだし、わたしは占いの才能を認められてたから、その助手として。でもお兄ちゃん、わたしが行くなら絶対自分がついていくって言い張って。お父さんと取っ組み合いの大喧嘩だったんですよ」
「あいつ、自分が推薦されたって言ってたよ」
「最終的にはお父さんが根負けしちゃって。お父さんはなんとか理由をつけて辞退して、替わりにお兄ちゃんを推薦したんです」
「溺愛してるのね。うちのお父様みたい」
「うん、大変です」
メイと由里香さんは揃って苦笑する。クールで物腰の柔らかい悠にそんな面があるなんて驚きだった。
「アキさん」
「なに?」
「お兄ちゃん、アキさんのことすっごい意識してるんですよ。知ってました?」
「ええっ、そうなの?」
そういや最初にふたりで話したときは思いっきり感じ悪かったな。だからあんなに部員に慕われてるなんて想像もしなかった。
「鈴音さんがバンドのメンバーを集めだしたとき、お兄ちゃん、絶対自分に声が掛かるもんだと思い込んでたんです。でも、鈴音さんが選んだギタリストはアキさんだった。そりゃもー、すごい落ち込みっぷりでしたよ」
そんないきさつがあったなんて。あいつが落ち込んでるとこなんか想像もつかない。悠ってやつはよくわからない。知れば知るほど、ますます。
「〈スターライトミンツ〉は、鈴音さんや誠太郎さんは存在そのものも特別ですけど、アキさんや真古都も負けないくらいユニークです。お兄ちゃんは悔しいけど認めるしかないって言ってました。メイさんがアキさんをパートナーに選んだのもわかります……いやっ、変な意味じゃないですよっ」
「あははは……」
由里香さんは慌ててフォローする。メイはぎこちない笑顔。
「で、誰が落ち込んでたって?」
いつの間にか悠が俺たちのテーブルのところに来ていた。いつもの爽やかすぎる笑顔。
「しーらーなーいー」
由里香さんはツンとそっぽを向いてジェラートのスプーンを口に運ぶ。俺は吹き出した。仲のいい兄妹。メイと真古都ちゃんも笑っている。
「アキ、ギターを見てくれないか?細かい好みがわかんなくてさ」
「ああ、うん」
メイと目が合った。メイは心配そうな顔。ふと見ると、俺の皿の食べ物はほとんど減っていなかった。俺はとにかく笑顔を作って席を離れた。
*
悠は自分の部屋に機材を持ち込んで作業していた。ラボだとちょっとノイズが多いんだそうだ。バラバラのテレキャスターとジャガーが五芒星の敷物の上に浮いている。ジャガーはメイ用。鈴音とおなじものを、って誠太郎の指定だった。悠のほうが俺よりずっとギターの仕様に詳しくて、俺は色くらいしか言うことがなかった。
「でさ、アキ……」
「ん?」
「体調はどうだい?」
悠はまじまじと俺の顔を見つけめる。
「なっ、なんだよ……」
「アキ、〈ファースト〉に来てからの君はまるで死人みたいな顔をしてる。みんな心配してるよ。特にメイちゃん」
「うん……」
メイには本当に気をつかわせてばっかりだ。
「まったく、羨ましいやつだ君は。女の子が本気で心配してくれるなんて、そうそうあることじゃないよ」
「うん……」
「やれやれ、どうにもネガティブだな。そんなに深刻になることないじゃないか」
「そうかな……」
「そうさ。ま、アキはその煮え切らないところが魅力みたいだけどね」
それ、褒めてるのか?俺の顔を見て悠は笑う。
「よし、続きをはじめるか。ギターは明日には完成させるよ」
別れ際、悠は小さな瓶を一本投げてよこした。
「漢方だよ。滋養強壮。体壊すとぼくが君の替わりだぜ?」
悠はニンマリする。こいつらしい気遣いだ、ちくしょー。
「ありがと……」
俺は悠の部屋を出るとまっすぐトイレに行って、改めて自分の顔を確かめた。うわー、我ながらひどい。目が落ち窪んで骸骨みたいだし、青黒い隈の下には皺まで刻まれている。全体的には緑というか土気色というか、ひどい顔色だ。髪はパサついてて艶がなく、みすぼらしくはねている。これはいかん。俺は冷たい水でごしごし顔を洗った。
俺はもう女の子を泣かすようなことはしたくない。したくないぞ。
*
夜。今日は俺にできることがなにもなかった。
俺は自分の部屋のバスルームの鏡を覗き込んで自分と対峙している。悠の部屋に行ったあと、意識して身なりを整えたので比較的まともに見える。しかし冴えない顔はそのまんま。食欲もない。だけど、無理にでも食事はちゃんと食べるように決めた。夕食のときメイは、無理しなくていいのよなんて言っていたけど、ちょっと嬉しそうだった。
俺の黒騎士クリスタルは誠太郎が登場したときに勝手に起動したっきり、また沈黙してしまっている。マナの濃い〈ファースト〉では俺でも日常生活に必要な程度には魔法が使えているのだが、黒騎士のクリスタル−−メイ曰く、俺のはそう呼ぶには変化しすぎているそうなんだけど−−これだけは俺の意志では起動すらしなかった。やっぱりギターがないとダメなんだろうか。明日になればわかる。明日になれば。
静かな部屋にひとりでいるのは気が滅入る。俺は部屋を出た。
魔術師の塔の内部は広い。俺の部屋があるフロアは短期滞在用のホテルみたいなものだ。かなりの部屋数があるが、今は大半が空き部屋だった。常駐する黒騎士やウィザードのための居住フロアもあって、それは別の階。塔にはほかにラボや図書館、工房といった研究開発施設はもちろん、大小の会議室やホール、騎士団用の訓練施設に作戦室、それからスパやらジムなんかの保養施設、複数のレストランにパブと、宇宙に打ち上げてもそのまま普通に生活できそうな充実した設備を誇っている。
俺は最上階近くにあるカフェでカプチーノを注文し、窓から〈ファースト〉のロンドンの灯をぼんやり眺めていた。この高さだと迫力のある光景だ。色とりどりの街の灯が粘菌のように黒い大地に広がっている。地平線が丸い。ときどき、ぼんやりした青い光が空に渦を作っては消えるのが目に留まった。
「〈マナの雲〉よ。寒くなってくるとたまに現れるの」
メイだった。お茶のポットとカップの乗ったトレイをテーブルに置き、俺の向かいにちょこんと座る。
「きれいだな……」
「アキは運がいいわ。滅多に見れるものじゃないのよ」
「へぇ……」
メイはゴーグルを外してテーブルに置くと、鞄からごそごそ紙袋を取り出した。中身はスコーンとタルトがたくさん。
「食べる?おばあ様の手作りなの」
メイはナプキンの上に几帳面にお菓子を並べる。タルトは〈サード〉で魔法の訓練をしていたとき、よくメイの家でご馳走になったやつだった。ラズベリージャムのタルト。
「うまい!」
「でしょ?」
メイはにっこりする。
「おばあ様のタルトは芸術品よ。わたしなんかまだまだ」
俺とメイはお菓子を頬張りながら、夜空に現れては消える渦を眺めていた。しばらく見ているとだんだん光が弱く小さくなっていって、最後は漆黒の空。
ふと見ると、メイは椅子に頭をもたせかけて寝息を立てていた。メイも疲れてるんだな。そりゃそうだ。今日は真古都ちゃん用のクリスタルを作ってくれていた。明日からはギターも練習しないといけない。責任感の強いメイだから絶対弱音は吐かないだろうけど、すごいプレッシャーに違いない。俺はカウンターで毛布を借りて、そっとメイに掛けた。メイは、ううーんと呻くともぞもぞと自分で毛布を引き上げ、またすぐに寝息を立てた。
だいぶ時間も遅く、カフェの人影はまばらになっている。うつらうつらしかけたとき、声をかけられた。
「相席しても?」
アマラさんだった。アマラさんはクリスタルを取り出し、メイの前に置いた。透明の板がメイの顔の横に浮かぶ。
「なんですか、それ?」
「遮音するんだ。起こすと気の毒だからな」
アマラさんはすとんと座るとスカートの裾をぱしぱし直し、トロピカルな黄色いジュースを飲んだ。
「むっ、これはブリジットのお菓子だな」
アマラさんはテーブルの上に残っていたスコーンを手にとった。
「メイには内緒だぞ。いちどわたしと騎士の連中でメイのいないときに差し入れを全部食べてしまったときがあったんだが、その日は一日ふくれてたからな」
それは内緒とかそういう問題ではないと思います。アマラさんはぺろりとスコーンを片付けた。
「うむ。相変わらず素晴らしい」
アマラさんは満足そうにぺろっと唇をなめた。
「あの……女性にこんなこと聞くのは失礼だと思うんですけど、アマラさん、いくつなんですか?」
「はは。アキが疑問に思うのも無理はない。わたしの肉体はとんでもなく成長が遅いからな。わたしは今年で四十二になる」
マジで。俺の顔を見てアマラさんは笑う。
「ははははは。まあ、そういう反応だろうな。メイの体が小さい理由は知っているか?」
俺は頷いた。
「わたしもおなじだ。強力な魔力の代償だよ。わたしの故郷〈太陽の地〉−−ここでは〈セカンド〉だな−−では、シャーマンたちは皆そうなんだ。盲目だったり、脚が不自由だったり。〈ファースト〉では皆多かれ少なかれ魔法を使えるが〈太陽の地〉では違う。魔法は一部の人間の特殊な技能なんだ。ま、そのぶんここのネイティブたちより強力な魔力の持主は多いみたいだな」
アマラさんはタルトにも手を伸ばす。
「メイみたいな体質はここでは珍しい。たいていは幼いときに死んでしまうそうだ。〈セカンド〉にはそういう魔障による発育障害のノウハウがかなりあったから、わたしは産まれたばかりのメイの世話のしかたをブリジットに教えたんだ。それでも保証はできなかったんだが、運よくメイは安定した年齢まで成長することができた。メイの父、フランクはわたしに恩義を感じてくれていて、黒騎士団の創立に力を貸してくれたんだ。しかもいちばん危険な緑の塔の奪還作戦の指揮を請け負ってくれた。その好意に甘えたせいでフランクを失ってしまったわけだが……」
アマラさんはふたつめのタルトを手にとった。
「昔は随分悩んだものだ。メイはわたしのことを慕ってくれてるがな。恨まれてもおかしくない」
アマラさんはタルトの残りを口に放りこむ。
「いろいろ後悔することはある。だけど、わたしたちは前を見るしかない。そうだろう?」
「……俺にはわかりません」
「ははは。君は正直だ。ほんとうはわたしもだよ。強がっているだけだものな」
アマラさんはまたスコーンに手を伸ばす。
メイがむにゃむにゃと目を覚ました。毛布とアマラさんに気づき、ぱくぱくと口、ぱたぱたと手を動かす。アマラさんは笑いながらクリスタルに触れた。
「……ですかってあれ?」
メイはきょとんとして目の前のクリスタルを見つめていた。そして生地の屑だけ残ったナプキンを見つめ、アマラさんが今まさに食べようとしてるスコーンを見つめる。
「アマラ様……またひとりで食べちゃいましたね?」
アマラさんはぎくり、とした。またってことはしょっちゅうやってるのかアマラさん……
「いっ、いや、アキも一緒だぞ、なっ!」
「アキ、ほんと?」
「えっ、あっ、えと、うん」
「……アマラ様」
メイはじっとりした三白眼でアマラさんを睨む。アマラさんは知らん顔でそっとスコーンをナプキンの上に戻した。
「いいんですよ、アマラ様。ちっとも怒ってなんかいませんからっ」
「そ、そうか?じゃあ遠慮なく……」
アマラさんは満面の笑み。スコーンをぱっと取ると、あっという間に食べてしまった。みんな笑う。メイとアマラさんは仲のいい姉妹みたいだ。肌の色も瞳の色も髪の色もずいぶん違うけど。
19 break the code
仮説のスタジオは試験場に作られていた。クリスタルのテストをする、天井の高い真っ白い部屋だ。青い光が時折床や壁をグリッドを描いて走っている。
午前中にギターを持っていくから訓練場で待っててくれって話だったんだけど、ふたりが現れたのは昼近くなってからだった。作り笑いで迫ってくる妹尾兄妹。なんか様子がおかしくないですか。不気味だ。正直、不気味だ。
「アキさん、ごめんなさいっ!」
由里香さんがいきなり両手を合わせて頭を下げる。悠は作り笑いのままだ。
「どっ、どうしたの?」
「あのさ、ギターはできたんだよね……」
悠はケースをふたつ下ろすと、中からギターを取り出して両手にそれぞれ持つ。えーっと、黒いのが俺の。白いのがメイの。問題なのはどっちもなぜかジャズマスターだってことだった。
「ほんっとーに、ごめんなさい!わたしとしたことがっ!」
由里香さんの合わせた指先が俺の鼻先にずいっと突きつけられる。
「どこでどう間違ったのかわかんないんだけどさ……ジャズマスが二本になっちゃったんだよね……」
「ううう、まったく不覚!不覚ですぅ」
由里香さんはうるうるした瞳で俺を見上げた。うわ、ちょっと待って。泣くのはやめて。
「いやっ、いいよっ、気にしないで!とにかく、ありがとう!」
俺は夢の中で鈴音がジャズマスターを弾いていたことを思い出した。たぶん、こうなる予定だったんだよ。なんかそんな気がする。
青いローブのウィザードがアンプを転がしてきた。見た目は古いマーシャルっぽい。ほかにもアンペグのベースアンプ、ラディックのドラムセットなんかが運びこまれてくる。
「へえ、これ本物?」
「いや、全部レプリカさ。中身も真空管じゃなくてクリスタルだよ。ラボのウィザードたちが作るのを手伝ってくれたんだ」
ウィザードの人たちが親指を上げてウィンクする。ありがとう。こんどは俺がちゃんと仕事する番だ。
*
ジャズマスターは大きいギターだ。メイが持つとますます大きく見える。メイはタブ譜とにらめっこして、慣れない手つきでコードを押さえていた。手が小さいからちょっと大変そうだ。
「ううう……押さえるだけならなんとかなるんだけど、リズムに合わせてきっちり押さえ直さないといけないのよね……」
メイは絶望的な表情。
〈スターライトミンツ〉の曲のスコアは真古都ちゃんが〈サード〉から持ってきた鞄の中に入ってて、鈴音のパートもちゃんと書いてあった。真古都ちゃんの赤い iPod にはデモも入ってて、電池が残っていたから音源でも確認できた。改めて聴きなおしてみたのだが、鈴音のパートもそんなに難しいことはしてなかった。でも、おなじように弾くのはなかなか大変だろう。鈴音のギターには独特のニュアンスがある。しかも歌付きだ。悠がコピーしていたが、なんだかぜんぜん違う感じだった。
「うーん、音が違うのかな……」
悠はぶつぶつ言いながらアンプとにらめっこしている。
そんなこんなで、俺たちはスタジオにここ三日ほど籠っているのだった。
俺と真古都ちゃんと由里香ちゃん(誠太郎のやつはずっと寝てやがる)で、とりあえず鈴音以外のパートはひととおりおさらいした。俺はテレキャスターより癖の強いジャズマスターにも慣れてきた。問題はメイで、予想どおり悪戦苦闘状態。メイはスタジオの隅っこでデモのコピーを聴きながら、難しい顔でひたすら練習していた。妹尾ブランドのギターは実は魔法の演奏支援機能搭載で、音のイメージさえしっかり固まっていれば手の動きはギターがサポートしてくれるんだそうな。悠がやたら上手いのはそのおかげなのだった、卑怯者(とはいえ、それなしでも妹尾兄妹の演奏はかなりのハイレベルなんだけど)。そんなギターを使っても、メイのギターはほんとの初心者みたいなままだった。魔法に関してはいちばん適性があるはずなんだけど、ぜんぜんコツが掴めないみたいだ。
「ううう……ロックっていうの?ああいう音楽はぜんぜん聴かないから、ちっとも頭に入らないわ……」
メイは夕食の席でもぼやいていた。わかる。気持ちはよおっくわかるぞぅ。
「ぼくらもすぐマスターできた。大丈夫だよ」
悠の言葉に由里香ちゃんが頷く。って、すぐできたんかい、君らは。
「ありがと……がんばる……」
メイは力なく言った。
*
翌日、メイの姿はスタジオにはなかった。先に行くねっ、とどたばた出かけて行ったのは見かけたんだけど。みんなに居場所を聞いても首を傾げるだけだった。
午前中はスタジオでとりあえずメイ以外のみんなで練習。軽快に走る誠太郎とは対照的に重たいビートの由里香ちゃんのドラムや、なんだか耽美なサウンドになってきた悠のギターと、真古都ちゃんの荒っぽいベース、俺のへなちょこギターのアンサンブルは、オリジナルの〈スターライトミンツ〉とは違った世界観を作りはじめていた。
「なんだか、これはこれでいい感じね」
由里香ちゃんが言う。俺も同感だ。鈴音だったらどんなコメントをするだろうか?
「ごめんなさいっ、遅くなっちゃってっ」
昼時になって飯でも食うかって話になりかけたとき、ようやくメイがどたばたとやってきた。
「なにしてたんデス、メイさん?」
「うん、ちょっとね!」
メイはギターをバッグから取り出してスタンドに置き、次にスレートとゴーグルを取り出し、ケーブルで接続した。
「よし。じゃあ、一回合わせてみてくれるかしら」
メイはケーブルだらけになったジャズマスターを構えた。俺たちは呆気にとられつつ、とりあえずスタンバイ。
演奏がはじまる。メイは真剣な顔で弾いているが、やはり曲に合わせられるほどは上達していなかった。ちゃんと押さえきれてなくて音もきれいに出てないし、展開に運指が間に合ってない。だが、一曲弾き終えたメイは不適な笑みを浮かべていた。
「もう一曲、お願い」
やっぱりメイの演奏はもろに初心者って感じのつたないものだった。それでもやっぱりメイは不適な笑みを浮かべたまんま。
曲が終わると、メイはスレートにかじりついてなにやら打ち込んでいた。
「メイ、なにしてるんだ?」
「ゆうべ〈サード〉から持ってきた資料を調べてたら、いろんなミュージシャンのインタビュー記事があったの。ロックは自由だ、俺は俺のスタイルでやるんだって書いてあったわ。形式はぶっ壊すためにある、とも。だから、わたしも自分のやり方でやることにしたの」
メイはスレートのスロットからオレンジ色のカードを取り出した。こんどは透明なガラス瓶のようなものを取り出し、その中にカードを入れる。蓋をして、メイは息を整えた。メイの伸ばした手のひらの間に瓶が浮かぶ。メイは目を閉じて精神統一し、なにか呟いている。瓶の中が青い光で満たされ、渦を巻き、カードをかき混ぜてバラバラにする。青い光とカードの破片は混ざりあって白い渦になる。しばらくすると渦にオレンジ色の光が混ざりはじめ、白をどんどん置き換えていき、やがて完全にオレンジ一色になった。渦は発光を弱め、次第に円柱型になっていく。
「できたっ」
メイは瓶の中から今作ったばかりのオレンジ色のクリスタルを取り出した。ケーブルをジャズマスターから外し、シールドケーブルを接続するプラグにクリスタルを嵌め、その上からアンプに繋がっているシールドケーブルを差し込んだ。
「さてと……」
メイがコードを押さえ、じゃらんとストロークする。弦がオレンジの光を放ち、完璧なサウンドをアンプに送り出した。メイはまるで今までが嘘だったみたいに流暢にギターを奏でる。柔らかくて、なおかつダイナミック。俺たちはぽかんと見つめるばかり。
「えーと……これでいいのよね?」
メイは呆気にとられてる俺たちを見回して、きょとんとして言った。
*
そのあとは大騒ぎだった。みんなでメイを胴上げせんばかりの勢いで祝福し、俺たちはせーので演奏をはじめた。メイの歌がはじまったところで俺たちの楽器は色とりどりの閃光を発して部屋を揺らし、俺たちはひっくり返った。壁や床は青白く輝いた。
状況が落ち着いてくると、こんどは強烈なマナバーンを察知したウィザードたちがスタジオになだれ込んできて、データを取ろうとわいわい群がってきた。由里香ちゃんはドラムに取り残され、メイはギターを守るのに奮闘、悠はアンプの上に避難、俺と真古都ちゃんはモッシュに流されるままだった。大ウィザードのゾラさんとアマラさんがいなかったら、収拾がつかないことになってただろう。
「いや、お見苦しいところをお見せした。若いウィザードたちは好奇心が抑えられんやつが多いんだ」
アマラさんに怒鳴られたウィザードたちがしょんぼり後片付けをさせられてる中、豪華な青いローブを着たゾラさんは申しわけなさそうにそう言った。長髪の、背は低いが体格のいい紳士だった。
「私からきつく言っておく。君らには大切な任務があるからな、邪魔はさせんよ」
「すいません」
「いやいや。正直な話、私も君たちの音楽には興味がある。いちどそのクールなロックとやらを楽しませてもらいたいものだな」
変なイントネーションは、オヤジが無理して若者の言葉を使ってる、あの感じ。横でアマラさんが苦笑しているのを見ると、おなじことを考えているに違いない。
「こういう状況でなければゆっくり語らいところなんだがな。山吹鈴音の件が解決しても、いつでも〈ファースト〉を訪問してくれ。歓迎するよ」
「ありがとうございます」
俺はゾラさんと握手を交わす。
「ふわぁ」
誠太郎がもそもそやってきた。
「誠太郎、まだ寝てたのか」
「ああ、こっちに来てから眠くてな」
誠太郎はぼりぼり体を掻く。
「アキ、真古都、お前らのクリスタルを使ってみろ、黒いやつな」
俺と真古都ちゃんは顔を見合わせて、黒騎士のクリスタルをプラグに差し込んでみた。起動コードを鳴らす。クリスタルは起動し、俺と真古都ちゃんの体は黒い鎧に包まれた。
「鎧の実体化にはいちども成功しなかったんだけど……」
「ほえぇ、これ、こんな風になるんだ……」
俺と真古都ちゃんはまじまじと青い光を放つ鎧を見つめた。
「準備OK、だな」
20 繭
「ここ、学校の近くですよ……ネ?」
真古都ちゃんが呟く。
「そうみたい……だな」
メイルストロームに飛び込んで、着いた先は俺の住んでる町だった。だが、人の気配がまるでしない。空気は青くよどんでいて、朝靄のよう。そこら中に霜が降りているように見えるが、近寄ってみるとそれはピンクの結晶だった。
「アタシ、この辺は来たことないなぁ」
真古都ちゃんは立ち上がって、近くをうろうろしている。メイはゴーグルと小型スレートでなにやら調べていた。
「ここは鈴音と来たことあるぞ」
あのオープンカフェだった。あのウェイターも客もいないけど、個性的な外装ですぐわかった。
「……アキさん」
真古都ちゃんが耳打ちしてくる。
「どうかわからないとか言っといて、そーゆー仲だったわけデスネ?」
うっ。
「う……鈴音にむりやり付き合わされたんだ……」
「ほほぅ」
真古都ちゃんの視線が刺さる。改めて冷静に考えると、あれはデート以外の何物でもないのだった。でも、ちっともそんな意識はなかったんだってば。
「行くぞ、ついてこい。繭の周辺だけ俺の力で流動化させてるんだ、急がないとまた時空が閉じる」
誠太郎が遠くを見つめたまま言う。
「ここに導かれたってことは、鈴音の記憶が濃いところだからなのかもな」
「えっ?」
真古都ちゃんの視線がさらに突き刺さる。ざくざく。
「だから一回だけお茶に付き合っただけだってば」
「ほほぅ」
誠太郎はすたすた歩き出した。俺たちは慌てて追いかける。
メイがいきなりギターをマスターし、俺と真古都ちゃんが黒騎士のクリスタルの起動に成功した翌日。誠太郎はいきなり〈サード〉への出発を言い出した。あんまりにも急じゃないかって言ったら、誠太郎は、とにかく時間がない細かいことは俺がなんとかする、とか言いながら俺たちをメイルストロームへ放り込んだ。メイルストロームからマナストリームを抜けて〈サード〉に来るのは最低の経験で、あやうく胃の中のものをぶちまけるところだった。うう、しかしこんなぶっつけ本番状態でいいんだろうか。
「あっ、あれ」
真古都ちゃんが指差す先に巨大な繭のようなものが、靄に隠れてぼんやりとながら見えている。あれが詩音の繭か。
辺りのものにピンク色に輝く鋭い霜のようなものがついてるのが目立ってきた。
「これが結晶?」
「そうよ……」
メイが硬い表情で見つめる。
虹色の結晶は繭に近づくにつれて増え、町の風景を完全に覆ってしまっていた。裸眼では反射が眩しすぎるので、ゴーグルをかけておかないとなにも見えない。誠太郎はぜんぜん平気みたいだけど。
繭は十メートルくらいの高さがあって、表面を結晶がびっしり覆っていた。上のほうに俺の身長くらいありそうな黒い槍状の物が何本か突き刺さっているのが見える。
誠太郎はつかつか近づいていって手を差し出す。バシッ!と衝撃が走って誠太郎がひっくり返った。
「セイタロさん!」
「……まったく」
誠太郎は立ち上がると繭に向かって叫んだ。
「おいっ、いいかげん機嫌直せ!どのくらい経ったと思ってるんだ!」
返事はない。誠太郎は頭を抱える。
「誠太郎、どうなってるんだよ」
「……詩音が俺を拒否してる。なんて意固地だ」
誠太郎は難しい顔で腕組みする。
「あまり時間がないぞ……参ったな」
誠太郎は意を決してもういちど繭に触れようとして、また弾かれた。
「〜〜!」
誠太郎の動揺具合が嫌な感じだ。頼む、しっかりしてくれ。お前がなんとかするんじゃなかったのか。
「ファントムの反応よ!」
メイが言う。イヤフォンからも警告音。
「誠太郎!」
「ちっ」
俺たちは楽器を出してクリスタルを起動させ、黒い鎧を身に纏う。俺と真古都ちゃんの鎧はメイのより軽装で、兜の替わりにゴーグルになっている。鎧はかなり複雑な構造をしていて、間接なんかの接合部分は細かいプレートが複雑に組み合わさっている。体型にぴったりフィットしたライン、思ったよりずっと軽い重量で、激しい体の動きを制限しないようになっていた。メイのはクラシックで可憐な装飾が多く、真古都ちゃんのはスポーティでシンプルなデザイン。術者のキャラクターが反映されるってメイが説明してくれたっけ。
現れたファントムはひとつ眼が三体。誠太郎が手のひらを向けると、ファントムたちは昔のアニメみたいに遥か遠くのほうまで吹っ飛ばされていった。
「すまんが少し時間を稼いでくれ。詩音を説き伏せなきゃ、どうにもならん」
「ええっ?」
誠太郎はこんどは繭に両方の手のひらを向ける。虹色の閃光が走り、繭の表面に穴が空いた。誠太郎がそこに飛び込むと穴はみるみる塞がってしまった。えっ、ちょっと?
しかたがない、やるしかない。俺たちは武器を手に取る。メイはいつものレイピア、真古都ちゃんはハルバート(柄の長い斧、ゲームでしか知らなかった)、俺のはアマラさんみたいな両手の幅広の剣とピックの編隊。俺と真古都ちゃんの武器は楽器を変形させたものだ。武器に嵌ったクリスタルが青く光る。
「真古都、大丈夫?」
「ハッ、ハイッ」
真古都ちゃんは青い顔でうつむいていたが、よしっと気合いを入れてハルバートを下段に構えた。
ファントムがすごい勢いで戻ってきて、戦闘開始。
「たぁ!」
接近してきたファントムに真古都ちゃんが突きを繰り出す。いまひとつ勢いに欠けた突きはあっさりかわされてしまった。俺はピックを飛ばして、反撃しようとしたファントムを牽制する。真古都ちゃんは呆然としている。
「真古都!」
メイの叱咤で、はっ、と我に返った真古都ちゃんはハルバートを横に払い、ファントムをまっぷたつにした。
「ごめんなさい!」
よくよく考えたら、俺は自分でファントムを倒したことがないんだった。鎧を着て戦うのもはじめて。う、やめろ、不安要素は考えるな。俺はファントムに斬りかかった。クリスタルの神経加速でファントムの動きはゆっくりに感じられる。俺は両手の剣でファントムの脇腹のあたりを切り裂いた。驚くほど手応えがない。熱したナイフでバターを切るみたいだった。
もう一体はメイが簡単に切り倒していた。ファントムの残骸は崩れて消えていく。
「まだまだ来るわ、離れないようにして!」
俺たちは次々に現れるファントムを切り裂いていく。落ち着いた真古都ちゃんはうって変わってものすごいパワーで、メイと一緒に次々にファントムを倒していった。俺はピックでサポート担当。
突然、鋭い槍が高速で飛んできて繭に突き刺さった。結晶の破片がバラバラと飛び散る。
「なんだっ!」
地面から生えてきたのはひときわ背の高いファントムで、戦士の四つ眼。両肩から背中にかけてびっしりと黒い槍が生えている。後ろから次の槍が押し出され、こっちに向けて放たれた。
「させるかっ」
俺はピックの編隊を集合させ、盾を作った。槍は盾に当たって弾かれる。それでも四つ眼はお構いなしにどんどん槍を放ってくる。
「くそっ、きりがない!」
「こっちもまずいかも!」
メイと真古都ちゃんはわらわらたかってくるひとつ眼を捌くので精一杯だった。真古都ちゃんは疲れてきてるのか目に見えて動きが鈍ってきてて、俺たちは押されはじめている。むう、これじゃ近づくどころじゃない。
「真古都!」
メイが叫ぶ。
「なんですかっ!」
「その斧をあいつに投げるのよ!」
「ええっ?」
「あなたがいちばんパワーがあるわ!だいじょうぶ、あなたならできる」
「ハッ、ハイッ!」
「アキ、真古都をサポートして!」
メイは剣を弓に変え、素早くファントムの集団に向けて矢を射かける。矢は空中で閃光を放ち、ファントムは眼が眩んだようにでたらめな動きになった。俺は剣を盾に変化させ、真古都ちゃんの前に立つ。盾から衝撃波が放たれ、周りのファントムを吹き飛ばす。
「真古都ちゃん!」
「うおおぉぉっ!」
真古都ちゃんは男らしい雄叫びを上げてハルバートを投擲する。戦斧は鋭いかたちの槍になって青い軌跡を描きながら高速で飛行し、四つ眼のファントムの顔面を貫いた。ファントムはぐらりと揺れる。槍は向きを変えてこんどは後ろからファントムの胸を貫き、真古都ちゃんの手元に戻ってきた。ファントムは赤黒い体液を噴き出し、崩れて倒れた。
「やっ、やったぁ」
真古都ちゃんは力を使い果たしたのか、へなへなとへたり込んだ。
「やったわね、真古都!」
だけど、まだまだファントムはわらわらと沸いてくる。メイは鎧を軽装に変え、チェーンソーを振り回しはじめた。俺は真古都ちゃんを守る軌道をピック編隊にとらせる。
「アキさん……アタシ……」
「俺が守る、心配しないで」
「ごめんなさい……」
真古都ちゃんは青い顔で呼吸が速く、汗だくだった。ハルバートで体を支えるのがやっと。もう戦える状態じゃない。俺も大口叩いたものの、いつまで耐えられる?早くしろっ、誠太郎。
「すまん、待たせたな」
誠太郎の声がして、俺は後ろへ引っ張られた。視界が虹色に染まる。
21 詩音
「ここは?」
メイがきょろきょろしながら言った。虹色の光を抜けた先はあの白い教室だった。
教室では誠太郎が困ったなという表情で頭をかき、誰かと向きあっている。
「……これでいいんでしょ?」
そっぽを向いたまま不機嫌そうにそう言ったのは、鈴……
「鈴音じゃないわよ、わたしは詩音」
考えを読まれた俺はびくっとした。鋭い金色の瞳がこちらを睨んでいる。うちの学校の夏服姿の詩音は、鈴音に似てるけどもっとキツいイメージだった。声も落ち着いた鈴音と違って、おてんばそうな甲高いトーン。髪は鈴音より長く、普通は絶対ありえないソフトなピンク色。
「その物騒な格好、やめたらどう?」
俺たちは顔を見合わせ、武装を解除した。鎧がほどけて消える。
「あなたはこれを飲んで。回復するわ」
詩音は真古都ちゃんに謎のドリンクの小瓶を投げた。
「あっ、ありがとゴザイマス……」
詩音はまた腕組みしてそっぽを向いてしまう。なーんか、気まずい現場に居合わせてるようなこの感じ。
「誠太郎、どうなってるんだ?」
俺は沈黙に耐えられなくなった。
「うーん……」
誠太郎は言葉を濁す。
「……セイタロさん、これは男女の問題ってやつですネ?」
瓶をくわえた真古都ちゃんがぼそっと言う。誠太郎はぎくっとし、詩音はぽっと頬が赤くなった。
「なっ、なによ、誠太郎がいけないんだからねっ」
「悪かった。ほんとに悪かった。だからこうして頭を下げてるじゃないか」
図星だった。真古都ちゃん恐るべし。
「なにがあったのか説明してくれよ……」
俺はちょっと呆れて聞いた。
「……ファントムの襲撃から俺たちゴーレムが脱出した話はしただろ」
「うん」
「そのとき、最後までファントムを食い止めてたのが詩音なんだ。彼女は六人のゴーレムのうち、いちばん胎児の状態での力が強力だった。彼女がファントムを遠ざけてる間にほかの五人が覚醒し、繭の状態の詩音を回収、そして安全なところで詩音が覚醒する段取りだった」
詩音は黙って誠太郎の話を聞いている。そっぽは向いたままだけど。
「ところが、だ。不完全に覚醒した俺たちはすっかり記憶が曖昧になってた。夢のことってすぐ忘れるだろ?あんな感じだったんだ。お互いのこともわかんなくなって、俺たちは散り散り。ランデブーポイントでは詩音の繭がひとり待ちぼうけ」
詩音からものすごい不機嫌オーラが感じられる。圧力を感じるくらい、さすが魔法人間。って感心してる場合じゃない。
「なにか忘れてるような気がしてずっと引っ掛かってた俺が、詩音のことを思い出したのは千年ほど経ってからだった。慌てて俺は詩音を探したんだが、すっかり機嫌を損ねちまったみたいで……」
「あったりまえじゃない」
「……姿を消しちまった。たまたま〈サード〉にいた俺は鈴音が誕生するときの波動を感じとって、それで隠れてた詩音を見つけることができたんだ。あれだけ派手にやればファントムも気づくだろ?それで俺はなんとか詩音を守ろうとしてたんだが、こいつ勝手にいろいろはじめちまって……」
「……」
詩音はふくれっ面。
「〈サード〉の時空間が歪むほどマナをむりやり吸収しちまったうえ、拘束具を撃ち込まれるって散々な始末でな。これは大いに予定が狂った」
拘束具っていうのは、あの刺さってた黒い槍のことだろう。
「ふんだ。あなたの約束なんかあてにできないじゃない」
「だから、こうやってなんとかして会いにきてるだろ。いいかげん機嫌直せって」
「い・や・よ」
あーあ。誠太郎も苦労してるんだな……
「あの槍を引っこ抜いたら詩音は覚醒できるんだよな?」
「そうだ」
「そうしたら、〈サード〉はどうなる?」
「詩音が覚醒するなら、このまま時空間が崩壊してしまう」
「それじゃダメじゃないか」
「だから詩音が貯め込んでるマナを解放しないといけないんだが……」
「ちっぽけなマテリアルワールドのことなんか知らないわ」
詩音は不機嫌に言い放つ。
「わたしよりそっちの宇宙のほうが大事なんて」
「詩音、俺はな、長いこと人間として〈マテリアルワールド〉で暮らしてきたんだ。人間たちには愛着があるんだよ」
「そんなの勝手でしょ」
「勝手なのはおまえだ。アキや真古都やメイは危険を冒しておまえを守ろうとした。鈴音や家族や友人を取りあげちまおうっておまえを、だ」
「……」
「少しは恩ってものを感じてくれよ!」
「……わかってるわよ。だからみんなをここに入れたんじゃない」
詩音は憮然としている。
「詩音さん、お願いデス。アタシ、うちに帰りたい。鈴音さんにもまた会って、バンドしたいです」
真古都ちゃんはベースを抱きかかえた。
「お父様は命をかけて世界を守ろうとした。鈴音さんもそうだって聞いてる。わたしもおなじ気持ちよ」
メイはいつになく厳しい調子だった。詩音はちょっと気圧されて、唇を強く噛んだ。
「……あなたは?」
詩音は俺を横目で睨む。
「俺は……鈴音と約束があるんだ」
詩音はじっと俺の目を見つめてくる。そして、ふうとため息。
「まったく。みんな鈴音、鈴音って。あの子、わたしの情報に早死にした手近な女の子の情報を捕まえて適当にくっつけただけなのよ。人間としても中途半端な出来損ないなんだから。わかってるの?」
「それでも……鈴音は大切な存在なんだ」
「もう……あなたは鈴音の特にお気に入りだったわね……まあ、煮え切らない返事だけど、いいわ」
詩音はしょうがない、って顔で溜息をついた。
「誠太郎!」
「なっ、なんだ」
詩音はつかつかと誠太郎に歩み寄る。
「……もうどっか行っちゃったりしないよね?」
詩音は後ろで手を組んで、誠太郎と目を合わさないで話す。
「ああ」
「……約束だからねっ」
詩音はさっと誠太郎の首に手をまわすと、背伸びしてキスをした。
「〜!」
誠太郎は一瞬驚いた様子だったが、しっかりと詩音を抱きしめる。俺はとてもじゃないが直視できない。真古都ちゃんとメイは唇に手を添えて真っ赤になっている。
詩音がぱっと誠太郎から体を離した。頬がほんのり赤く染まっている。
「……うん、よろしい……」
詩音は感触を確かめるように唇をなめて、俺たちのほうに向き直った。
「アキと真古都だったわね。あなたたちの宇宙は元に戻すわ」
「ホントですか?」
真古都ちゃんの顔が明るくなる。詩音は頷いた。
「それでいいんでしょ、メイ?」
「もちろんよ、感謝するわ」
メイは頷いた。
「ただし、条件がひとつ」
「なんだ?」
「外の邪魔くさいファントムと拘束具をなんとかするには、あなたたちの協力が必要なの。鈴音を呼び戻すためにも」
22 スターライトミンツ
また超空間の移動。
「来たか」
「ここは?」
もみくちゃになって、落っこちた先は学校の体育館だった。誠太郎はひとりで待っていた。メイと真古都ちゃんは楽器のバッグを抱えてあたりを見回している。ひっくり返ってるのは俺だけだった。
体育館にはシートが敷かれ、折りたたみ椅子が並べられている。学園祭前日の状態だ。ステージにはどこから持ってきたのか、アンプとドラムが並んでいる。
「ここは新しい詩音の心象世界だ。俺たちの演奏でマナを供給し、詩音の繭をここに再構成する。ファントムたちが元の繭をこじ開けてももぬけの殻って段取りだ」
ステージ置いてある機材は、実際の学園祭で使ったものじゃなくて〈ファースト〉で作ったレプリカのものとおなじだった。鮮やかなオレンジ色のアンプが目に留まる。Orange のコンボアンプ。
「このアンプ、鈴音の?」
「そうだ」
パネルには、かわいいのかよくわからないキャラクターのステッカーが貼られている。鈴音はこのオレンジ色のアンプを「みかん」と呼んでいた。俺ははじめて見る。もちろん、弾いているところは見たことがない。
「アキ、おまえのクリスタルをそこに置け」
誠太郎が最前列の椅子を指差した。
「これを?」
「そうだ、それをベースにするんだ。それに入ってる鈴音の情報を辿って詩音が移動する」
「鈴音の……」
俺のクリスタルは鈴音が直してくれたんだったな。
「とにかくやるぞ。準備しろ」
誠太郎に急かされて、俺たちはステージに上がった。
機材のセッティングとチューニングを終え、客席のほうを向く。このシチュエーションは二回目だけど、今回は観客がひとりもいない。俺のクリスタルだけだ。
「メイ、いいか?」
誠太郎に聞かれて、メイは慌てて後ろを向いた。
「リラックスしろ。練習とおなじだ」
メイはこっくり頷いた。てか、俺たちろくに合わせてもいないぞ。ぶっつけ本番。
誠太郎がスティックでカウントをはじめる。セットリストは学園祭とおなじ『When You Sleep』からだ。イントロが終わり、メイの歌が入る。メイの歌はロリータボイス。ギターの柔らかい音と相まって、なんだか曲がかわいい感じだ。最初は緊張してるのかちょっと震え気味だった声は、一コーラス終わるころにはしっかりしたものになっていた。手探りぎみだったみんなの演奏にも、メイの歌の調子が上がるにつれてどんどんグルーヴが生まれてくる。俺のほうがぜんぜんヤバい。誠太郎のドラムはぜんぜん由里香さんとはタイプが違うのだが、こっちもすんなり馴染んでいた。
曲が終わると、メイは大きく深呼吸した。
「ふーむ。バンドって楽しい、かも」
そう言うと『ミントその一』のイントロをダイナミックなストロークで弾きはじめた。うひー、俺もがんばらなければ。
クリスタルに変化が現れる。ピンクの光がクリスタルを包み、クリルタルは宙に浮かんだ。みんな演奏しながら誠太郎のほうを見る。誠太郎は続けろというジェスチャーを返してきた。
曲が終わった。クリスタルはピンク色の光の紡錘形に膨らんでいる。
「もう一曲だ」
『ミントその二』。
「アキ、しっかりやれよ。おまえ次第なんだからな」
「えっ?」
意味深な台詞になんのフォローもなく誠太郎がカウントをはじめる。ちょ、ちょっと。
メイのギターが唸る。思いきり歪んだサウンドにフィードバック。メイのプレイは鈴音とよく似ている。メイは鈴音のギターを厳密にコピーしてるわけじゃないし音もかなり違うけど、悠の完コピよりも近い印象があった。誠太郎はマナパターンが似てるとか言ってた。センスに共通するものがあるんだろうか。
俺は、だんだんギターを弾いて歌っているのがメイか鈴音かわからなくなってきた。というか、どうでもよかった。俺が今演奏してるのは間違いなくこの世でいちばんかっこいい音楽のひとつで、俺はそれをやってる快感に浸ってる。俺の気持ちにギターがシンクロしてる。イエイ。こんなにいい気分なのははじめてだ。曲が終わらなければいいのに。
鈴音のギターのフィードバックが止まった。ああ。終わってしまった。
って、ちょっと待った。ギターを弾いてたのは鈴音じゃなくてメイだ。俺はメイが立ってた場所に振り向く。世界が青い。うつむいてジャズマスターを抱えているのは、メイじゃなかった。夏服の白いブラウスとプリーツスカート。大きくはねさせたショートカット。ずいぶん年季の入った赤茶色のブーツ。
「鈴音!」
鈴音は少し放心したようすで、ゆっくりこちらを振り返る。
「……あれ、アキ?みんなは?」
ステージには俺と鈴音だけだった。この青白い空間はもう慣れっこだった。鈴音の心象世界。また俺だけ飛ばされてきたのか。誠太郎のやつ、こうなることを知ってやがったな。
鈴音の背後に黒い影がちらついた。俺は悪寒を感じ、慌てて鈴音の手を引っ張った。
「ちょっと!いきなりなにっ」
俺は後ろに鈴音を庇う。こんなところにも出てくるのかっ。
黒い影は手足の短い、アンバランスに太ったファントムに成長した。四つ眼のでっかい頭を持つそいつは、大きく口を開けて咆哮する。いったいファントムにはどれだけ種類がいるんだろう。いやっ、それよりどうやってここへ?
デカ頭は俺と鈴音目がけて大きな口をがばっと開いて襲いかかってきた。食べる気かよ!
俺は驚いてる鈴音を引っ張ってステージの反対へ走った。デカ頭はそのまま床に噛みつき、ステージを齧りとってしまった。バリバリと床の砕ける音がする。
俺は鎧を出そうとしたがクリスタルがない。そうだ、椅子の上で繭になってるんだった。俺はギターを棍棒みたいに構えた。こうやって持つと結構重い。悠に棒術を習っときゃよかった。
デカ頭がゆらりとこちらに振り向いた。また俺たち目がけて食らいついてくる。俺は鈴音の手をとって走る。このままいつまで逃げ切れる?この状況を乗り切るにはどうしたらいい?俺はデカ頭から鈴音をかばいながら、必死で考えを巡らせる。思いつけ、思いつくんだっ。
「アキ、もうやめて」
え?
「またアキが傷つくのなんか、見たくない。お願い」
「全部覚えてるのか?」
「うん。アキが前に〈ここ〉へ来たときのことも」
鈴音の手が俺の肩にやさしく置かれる。それまでの厳しい口調とのギャップに俺ははっとした。
「わたしはお姫様なんかじゃないって言ったよね。でも、こういうのってちょっと嬉しいかも」
振り返ると、鈴音はにっこり微笑んでいた。
鈴音はつかつかと俺の前に歩み出る。
「出来損ないのつぎはぎ少女よ、お前になにができるというのだ」
デカ頭は、黒い暗黒卿みたいな低い声で喋った。
「そう?」
鈴音はジャズマスターのネックを片手で持ち、ボディをデカ頭にまっすぐ向ける。ジャズマスターはするすると大きなハンドガンに変形した。銃口はぴったりデカ頭に向けられている。
「ここはわたしの世界よ。勝手な言い草で勝手な真似は許さないわ」
デカ頭はゆっくりと大きく口を開く。中は漆黒の闇。
「わたしを食べたいんでしょ?そうすればあなたの渇きもちょっとだけ癒えるってわけ。不完全な自分の存在を癒すためにこんなところまで追っかけて来て。つぎはぎなのはお互いさまじゃない」
デカ頭がまた飛びかかろうとしたところに、鈴音の銃が盛大に火を吹く。でっかい虹色の弾丸がデカ頭の眉間に命中して跳弾し、デカ頭はもんどりうって倒れた。ステージが崩れ、粉塵が舞い上がる。
デカ頭はすぐにむっくりと起き上がった。なにかに似てると思ったら大山椒魚かってそんな場合ではない。
「やっぱり頑丈ね。アキ、合図したら横に跳んで」
「えっ」
デカ頭はむっと口を閉じる。
「跳んでっ!」
俺は言われたとおりステージの脇へジャンプした。デカ頭の大きく開いた口から、カメレオンみたいに黒い舌が勢いよく突き出される。鈴音は跳躍して舌の攻撃をかわす。長い舌は床に突き刺さった。鈴音は舌の上を曲芸師みたいに軽やかに跳んでいく。
「えええぃっ!」
鈴音は銃をギターに戻し、それを大上段から思いっきりデカ頭に振り下ろす。デカ頭は思いきり前につんのめって、下顎を床に叩きつけられた。飛び散る木片、その他。勢いで鞭のようにしなった黒い舌が鈴音に当たり、体が弾かれて宙に舞う。
「鈴音っ!」
鈴音は空中で姿勢を立て直すとギターを銃に変え、回転しながら虹色の弾丸を二発、デカ頭の山椒魚に撃ち込んだ。俺は必死で鈴音の落下地点に走る。
「だあぁぁぁっ?」
俺は瓦礫に思いきり躓いたらしい。
「ぐえっ!」
地面に突っ伏した俺の背中に鈴音が落ちてきた。
「アっ、アキ、ごめん!大丈夫?」
「うん……なんとか」
鈴音は俺の手をぐいっと引っ張って起こすと、そのままステージを小走りに降りていく。俺は鈴音に引っ張られるままに走る。
「いつのまにそんな力が使えるようになったんだ!」
「アキのクリスタル!」
「なるほど!」
鈴音は起き上がりかけたデカ頭に二発、立て続けに撃ち込んだ。デカ頭がまた吹っ飛び、さらにステージを破壊する。天井は落ち、床は完全に崩れてしまった。
「わたしもここんとこずっとひとりだったから、いろいろ考えたのよ。自分の存在意義とか、ほんとうの自分とか、そんなこと」
鈴音は粉塵の中のファントムから目を逸らさずに言う。
「でも、わかんなくなっちゃった。きっと意味のない問いかけだったんだと思う。わたしは存在してしまっているんだもん。ただの寄せ集めなのかもしれない。でも、わたしにだっていろんな想いがあるのよ」
鈴音は銃口をまっすぐ天井に向けた。
「自分の想いを無視することなんかできないわ。そうでしょ、詩音!」
ひときわ大きな虹色の弾が眩しい軌跡を描いて天井を撃ち抜く。体育館の鉄骨フレームでできた天井は、崩れ落ちてくることなくCGのポリゴンみたいに細かい破片になって消えていった。ぽっかり空いた天井の穴の上には青い渦巻き。メイルストローム?青いマナの粒が雪のように降ってくる。
鈴音は銃口をデカ頭に向けて下ろす。銃のパーツがガシャガシャと展開し、青いマナの粒が銃口に集まってくる。
「わたしの運命はわたしが切り拓くんだからっ」
銃がかなり重いのだろうか、支える鈴音の腕が震えている。荒い呼吸で肩は上下し、頬や首筋には汗が滲んでいた。
俺は銃を握った鈴音の手を、そっと後ろから支えた。
「え……?」
「うん、鈴音の言うとおりだ。自分のことは自分がなんとかしなきゃ。でも、たまには俺に手伝わせてくれてもいいんじゃないかな……」
鈴音はこっちを振り向いた、らしい。俺は自分の台詞に悶絶しかけてそっぽを向いているしかなかったので、どんな顔だったかはわからない。鈴音を支える俺の手も緊張で震えてる。腕の中の鈴音の、想像よりずっと細い肩とあったかさが、俺の心臓の鼓動を急加速。
「えへっ……ありがとう」
俺のジャズマスターが反応して、ピックアップや弦が青く輝きはじめた。ギターはばしばしと黒い帯にほどけて、鈴音の白い銃に黒いパーツを付け足し、俺と鈴音の腕をサポートした。
銃口にはどんどん青いマナの粒が集まってきて、青白く眩しい光の弾を形作っている。パーツの隙間は青い光で満たされた。
デカ頭が大きな漆黒の口を開けて吼える。
「鈴音……!」
鈴音は頷き、引き金を引く。
デカ頭の口から真っ黒の舌が飛び出した。と、同時に銃からは虹色の弾丸がものすごい勢いで発射された。反動で俺と鈴音は後ろへ吹っ飛ばされる。俺は必死で鈴音の体を捕まえていた。
虹色の弾丸は黒い舌を切り裂き、デカ頭の口から後頭部へ貫通した。デカ頭はぐらりとよろめく。次の瞬間、頭の後ろ半分がぼんっと破裂して赤黒い体液を盛大にまき散らす。デカ頭は前のめりに倒れていちど激しく痙攣し、それっきり動かなくなった。
「あいてて……鈴音、大丈夫か」
俺は崩れたパイプ椅子の山の中で、鈴音を抱きかかえていた。鈴音の両手にはハンドガンがまだしっかり握られている。
「……ふふ、まあ、あなたたちにしては上出来、かもね」
「え?」
俺の腕の中で振り返ったそいつは、もう鈴音じゃなかった。金色の瞳、ピンクの髪。
「うわっ!なんでお前なんだ詩音!」
「ちょっと見直しちゃったわよ〜、ただの鈍感じゃなかったわねっ」
詩音は怪しい目つきで、思いっきり体をくっつけてくる。息がかかるほど急接近。
「うわわわわっ、やめろやめろぉ!」
俺は全速力で後退。
「なによぉ、冗談に決まってるでしょ」
詩音は憮然と立ち上がると、スカートの埃を払った。そして、小悪魔の微笑み。
「鈴音とキスするくらい待ってあげたほうがよかったぁ?」
「おおおおおお前っ、なんつーことをっ」
「メイちゃんとはしてたじゃなぁい」
うっ。うううう。うううううううう。
「ちょっ、ちょっとからかっただけじゃない、そんなに深刻にならないでよねっ」
「知ってたなんて卑怯だぞ……」
「べっ、別に覗いてたわけじゃないわよっ、見えちゃったんだからしょうがないじゃない!」
詩音はえへん、と咳払いする。
「とにかくっ。わたしはまだ鈴音の体を借りなきゃ実体化できないの。決着をつけなきゃなんだから」
詩音は急に真剣になる。
「決着?」
「ここまで追っかけてきたヤツがいるのよ」
詩音は上のテラスの部分に銃を向け、発射した。なにもない空間に弾は命中し、球状に火花を散らす。フィールドが剥がれると、現れたのは緑のローブの人物。
「人間!」
緑のローブのウィザードはそのまま落下した。そいつはよろよろと立ち上がる。
「執念だけは褒めてあげるわ、イェリネク」
えっ、イェリネク?アマラさんの恋人?緑の塔の戦いで死んだんじゃ?
「……おのれ……どこまでも邪魔をする気か……」
赤紫色の目がフードの奥で光る。
「勝手なこと抜かしてんじゃないわ」
イェリネクは黒い槍を発生させると、詩音目がけて投げつける。詩音はグリップで槍を簡単にはたき落とした。
「その手はもう食わないわよ」
詩音の銃から放たれた弾丸はイェリネクの右腕を吹っ飛ばした。詩音は止めを刺すべく狙いを定める。
「ちょっ、待て!」
詩音は俺の制止に構わず連射し、イェリネクの体を粉砕した。赤黒い体液と組織が飛び散り、緑のローブの切れ端が舞い、燃えて消えた。俺は呆然と見つめる。
「わたしが破壊したのは実体化した体だけ。いずれ復活するわ」
「どういうことだ?」
「ファントムや〈魂の座〉の情報体は破壊できない。あの爺さんは不死を手に入れるために自らファントムになったの」
詩音は、らしくない悲しそうな表情だった。
「あの爺さん、なるものを間違えたのね。不死の存在に記憶を残したままなれたのはいいけど、それが過酷な運命なんだってことには思いもよらなかった。永遠に飢えと渇きを感じ続けなきゃいけないのが連中の悲劇なのよ。だから、わたしたち〈ゴーレム〉を食べる−−つまり、自分の情報体に取り込むことで、もっと完全な存在に近づこうとしたの。覚醒する前ならそれも可能だもんね」
「そんな……」
「単なる永遠の存在なんて意味のないことよ。生きることがおもしろくないんじゃ台無しだわ。ま、わたしが言っても説得力がないかもしれないけどねっ」
詩音の笑顔が鈴音に見えて、俺はどきっとした。
「さてと、そろそろ戻らなきゃね。誠太郎がやきもきしてるわ」
詩音は銃を二本のギターに戻し、黒いジャズマスターを俺に手渡した。
「ありがとう、アキ。お礼に特別なこと教えてあげる」
「えっ?」
「自由に鈴音の心象世界にやって来れるのはあなただけなのよ」
詩音はにっこり微笑むと、パチンと指を鳴らす。俺はいきなり落下を感じた。どすん、いてっ。
「アキ!」
「アキさん!」
俺は体育館のフロア、ステージのすぐ下に尻餅をついていた。上からメイと真古都ちゃんが覗き込んでいる。
「いきなり消えるからびっくりしたわ。どこに行ってたの?」
ふたりとも心配そうな表情だ。
「いや、話すと長いんだけど……」
俺は立ち上がる。椅子の上で虹色に光る詩音の繭はすっかり大きくなっている。もう人がちょうど入りそうな大きさだなと思って繭に手を伸ばすと、目の前で表面がぴしっと裂けて、中から人が虹色の破片と一緒に滑り出てきた。ゆっくり落ちてくるそいつを、俺は慌てて受け止める。繭ははらはらと薄い紙のように砕けて散って、消えてしまった。
「うう〜ん……」
俺に抱きつく格好になってるそいつは、折れそうなくらい細くて、とてもあたたかかった。
「ん?……え?……ちょっと?……」
そいつは俺の腕から全速で逃れる。
「アっ、アキ!これはいったいどういうことなのっ」
そいつは真っ赤になって文句を言う。つんつんのショートカット、大きなピアス、黒目がちな瞳。
やっと帰ってきたんだ。
「お帰り、鈴音」
「え?」
夏服の鈴音は、きょとんとして俺の顔を見つめた。
「鈴音さん、おかえりっ!」
真古都ちゃんがステージから飛び降り、そのままの勢いで鈴音に飛びつく。
「ちょっ、ちょっとどうしたの、真古都?」
「だって、だって……」
真古都ちゃんは涙声で、言葉になってない。
「春原さんまで、どうして?」
鈴音はステージの上のメイに気づいた。
「それに、みんな楽器なんか持って……なにがどうなってるの?」
鈴音は事態が飲み込めず、ちょっと不安げな顔だ。メイがステージからふわりと降りてきた。すたすたと鈴音に歩み寄る。
「鈴音さん」
「なっ、なに?」
「ふふ、ちょっと名残惜しいんだけど……」
メイは弦を指でちょっと弾き、それからよいしょっとストラップを脱ぐと、ジャズマスターを鈴音に差し出した。
「はい、これ。鈴音さんのよ」
「えっ?あ、ありがと……」
鈴音は差し出されるままにジャズマスターを受け取った。
「それから。わたしのことはメイ、でいいわ」
「う、うん。わかったわ、メイ」
メイはにっこり微笑むと、そのままトコトコ歩いていって客席の椅子にすとんと座る。
「一曲、聴かせてくれる?」
メイは笑顔でそう言った。
「やろう、鈴音」
俺はまだ戸惑っている鈴音の腕をとって、ステージに引っ張っていった。誠太郎が短いフィルで歓迎する。スタトコトン。
「なんだかよくわかんないけど……」
鈴音は自分のアンプに気づいて笑顔を見せた。ギターにケーブルを繋ぐと、いつもの大きなストロークでさくっとリフを弾いた。鈴音のサウンドが体育館に反響する。俺と真古都ちゃんは笑顔で顔を見合わせた。
「で、なにやるの?」
鈴音が振り返る。俺は必死で記憶を辿りながらコピーした、鈴音がお別れに歌った曲−−そして、誠太郎を〈ファースト〉に導いた曲のイントロを弾いた。真古都ちゃんと誠太郎が俺のギターに合わせて入ってくる。
『ここじゃないところ』。鈴音が戻ってきたら、絶対やろうって思ってたんだ。鈴音は目を丸くして驚いていたが、マイクのほうに振り返ると、
「こういう歌詞の気分じゃないんだけど……」
と前置きしてから、轟音ギターをかき鳴らしはじめた。うん。それは、たしかに鈴音だった。
鈴音の歌。透明な声。夏の強い光。冬の澄んだ夜空。秋の冷たい風。
俺たちの時間は、また進みはじめた。
23 帰還
鈴音は一曲演奏すると大きく欠伸をしてそのまま眠り込んでしまい、俺たちを慌てさせた。誠太郎の話では〈サード〉に連れて行くと鈴音はまた目覚める。そして、それを合図に〈サード〉の時間はまた動き始めるそうだ。俺たちの不在を目立たなくするために詩音がそう細工したらしい。改めて考えると、そんな仕掛けを難なくやってのけるというのもすごい話だ。詩音の繭は「安全なところ」でまた覚醒を待っているらしい。
俺たちは眠ってる鈴音を連れて〈ファースト〉に帰還した。鈴音が死んだと勘違いした悠のうろたえっぷりは、悪いけど最高だった。
鈴音は露骨に人造人間状態なのに、青の塔の施設では普通の人間と変わったところはなにも見つからなかった−−その強力な潜在魔力を除いて。鈴音はすうすうと寝息を立てて、穏やかに眠っていた。
一日で境界領域の混乱はすっかり収まり、悠と由里香ちゃんは自分の宇宙と交信に成功し、ハイパーゲートのネットワークは完全に復帰した。俺たちは〈サード〉へ帰る。
制服を着てゲートの部屋に集合した俺たちには、未来世界へ学校ごと吹っ飛ばされたような、場違いな雰囲気があった。結局〈ファースト〉にはどのくらい滞在したんだろう。一週間ちょっと?もう学園祭は遠い記憶になりかけている。めちゃくちゃいろんなことがあった。姉ちゃんにはなんて話そうか。家に帰るのにこんなに緊張するのも変な話だけど。
真古都ちゃんはブリジットさんと涙のお別れ。ブリジットさんと真古都ちゃんはすっかり仲良しの料理仲間だった。
「ええ〜ん、さみしいデス〜」
「いつでもうちに来てちょうだい、お茶とお菓子を用意して待ってるわ」
悠はウィザードの女の子たちと涙のお別れ。かわいい子ばっかり五、六人詰めかけてきていた。由里香ちゃんはそれを見てやれやれと溜息をついていたが、こんどは自分がラボの男性スタッフたちに囲まれていた。小さな花束をもらって赤くなっている。
メイはこのまま〈ファースト〉に残るそうだ。〈サード〉へはほかのウィザードが派遣されることになる。
「たまってるデータの解析とか、仕事が山積みなの。正直言うと一緒に行きたいんだけど……」
「そっか……」
しばし無言。いろんな想いはあるが、言葉にならなかった。
「メイさぁ〜ん」
真古都ちゃんがメイとお別れのハグに飛んできた。メイと真古都ちゃんもすっかり姉妹のよう。メイは涙もろい真古都ちゃんをよしよし慰めている。
「あっ、そうだ、アキ」
メイはポケットから黒い巾着を取り出した。
「これ、持っていって」
中身は黒騎士のクリスタル。
「うん。だいじにする。ありがと」
俺は新しいクリスタルを首からぶらさげた。青い光が煌めく。
「おい、アキ」
誠太郎がやってきた。
「鈴音はお前が抱いていけ」
へ?
「お前が適任なんだよ、俺は速水たちのところに戻らないとおかしいだろ」
「ええっ、そりゃそうだけど……」
「それならぼくが……」
「悠、お前はこれだ」
誠太郎は悠に割り込む隙を与えず、鈴音のギターの入ったバッグを押しつけた。悠は思いきりがっくりうなだれ、女の子たちに慰められていた。由里香ちゃんはまた苦笑。
「世話になったな、アマラ」
誠太郎が珍しい笑顔を見せる。
「わたしたちもだ。感謝してる。また来い。いつでも歓迎するぞ」
俺たちは握手を交わした。リカルドさん、ゾラさん、その他大勢。
床に描かれた魔法陣が光り、青い扉が現れる。そういや俺はハイパーゲートの実物ははじめて見る。メイルストロームに飛び込むのはもうご免だな。
「アキ、鈴音を離すなよ。ゲートを抜けるときに見失うと厄介だぞ」
アマラさんは怪しい目つきでニヤニヤしてる。俺は慌てて鈴音を抱き上げた。クリスタルが反応して、黒いバンドで俺と鈴音を固定する。鈴音はちょっとだけうう〜んと唸り、また元通り静かな寝息を立てた。
「……イェリネクの件、すまなかったな」
「いえ……」
アマラさんは懐かしそうな悲しそうな、微妙な表情だった。
「彼はトラベラーという変わった能力を持つネイティブだったんだ。ゲートを使わずに特殊なクリスタルだけで長距離のテレポートができた。その才能をハイパーゲートのコード開発に活かしていた。だが、急激に肉体が衰える病にかかってな。それがなにもかも狂わせてしまった。イェリネクはハイパーゲートの改良にひたすらのめりこんでいったのだが、今思えばそれはどこかもっと別の世界への扉を開こうと焦っていたのかもしれないな」
アマラさんはふっと笑う。
「まあ、過ぎたことだが……戻れないとわかっていても、懐かしく思うことがある」
「そういうもんなんですか……」
「アキもあと二十年すればわかるぞ」
「そんなにかかるんだ……」
「ははは」
アマラさんは笑う。
「アキ」
アマラさんがいきなり真剣な調子になる。
「なっ、なんです?」
「君の人生は、もう元の平凡な、あたりまえのものに戻ることはない。わかってるな?」
「はい……」
「今後もいろんな厄介ごとが降りかかるだろう。君はそれを乗り越えなければいけない。覚悟はいいか?」
俺は腕の中で眠る鈴音を見つめた。こいつに会ってからなにもかも変わってしまった。
「わかりません……でも俺はこういうの、ちょっと気に入ってるかもしれません」
「あっはっは、アキらしい答えだ。やっぱりおもしろいやつだな、君は」
アマラさんは心から楽しそうに笑った。
ゲートが開き、みんなが次々と青い光に消えていく。最後に俺がゲートに入ろうとしたところでアマラさんに呼び止められた。
「ほらメイ、まだ言うことがあるだろう?」
「ちょっ、ちょっと、アマラ様っ」
アマラさんはメイを俺の前に突き出した。
「もう……アマラ様は趣味が悪いです」
アマラさんは笑いながらメイの背中をバシッと叩き、よろけたメイは苦笑い。
「えーっと」
メイは腰に手を当てたお説教スタイルで話しはじめた。
「アキ」
「なに?」
「鈴音さんをちゃんと守りなさい」
メイは人差し指をぐいっと俺の鼻先に突きつけた。
「だけど無茶はだめ。いい?アキがいなくなったら、みんな悲しむんだからね」
「う、うん、わかった……」
「よろしい」
メイは目を閉じ、腕組みして頷いた。
「……ふふ。アキに抱かれてるのが鈴音さんじゃなくてわたしだったらいいのに。やっぱり嫉妬しちゃう」
「えっ……」
「だめ。謝るのはナシよ。これはひとり言。アキはたまたま聞いただけ」
メイは笑顔だった。
「いろいろありがとね」
「俺もだ。いろいろ迷惑かけた」
「わたしたちはチームでしょ」
メイが拳を突き出し、俺はこつんと自分のと突き合わせた。
「アキが困ったときはいつでも駆けつけるわ」
「ありがと」
俺は青い扉をくぐった。
24 再会、出会い、変化
残りは後日談、ということになる。今のところは。
*
俺たちが到着した〈サード〉はかたちはそのままに、建物も植物も眩しいピンク色の結晶になっていた。誠太郎に言われてたとおり鈴音をそっと地面に降ろすと、鈴音に触れたところから世界は一気に幕を取り払うみたいに元の色彩に戻っていった。ブーンという唸りが駆け抜けていったあとには、もう忘れかけていた日常の雑音がやってきた。俺たちは学園祭の帰り、ファントムと戦ったその場所に立っていた。
目を覚ました鈴音は、具合が悪くなってからのことをなにも覚えていないみたいだった。俺は寂しいようなありがたいような複雑な心境。
「なんかね……すっごい長い夢を見てたような気がするんだけど……わたし、そんなに長いこと気を失ってた?」
鈴音は俺と目が合うと、少しの間首を傾げ、それからぼっと赤くなった。うっ。
「もっ、もう平気か?」
俺は必死で笑顔を作り、手を差し出した。
「う、うん。ありがと……」
鈴音は伏し目がちに目を逸らしつつ、俺の手を取って立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと、みんなどうしたの……」
周りの笑顔に鈴音はちょっと引き気味だった。
*
家に帰った俺は、姉ちゃんにあったことを全部話した。姉ちゃんは俺のへたくそな長い話を黙って聞いてくれた。俺が話し終わると、姉ちゃんは笑顔で
「お疲れさま。お腹空いたでしょ?」
と、パスタを出してくれた。姉ちゃんのパスタはこの世の中でいちばんうまいもののひとつだって、改めて思った。姉ちゃんは俺のお土産のペンダントをつけて喜んでいる。
「アキにしては趣味がいいわね、よろしいよろしい」
うん。それはよかった。俺は黙って食べ続ける。トマトの酸味、にんにくとバジル、そしてオリーブオイルの香り。歯ごたえのある、小麦の味。
*
再びはじまった俺の高校生活は元通りではなかった。メイはもう迎えに来ることはない。春原宅は無人だった。ひとりで登校する。あれ、これが元通りなんだっけ?
校門のところで真古都ちゃんに遭遇した。
「おはよ、真古都ちゃん……」
「あ、アキさんオハヨウゴザイマス……」
「眠そうだな……」
「アキさんだって……」
「なんかちっとも眠気が取れないんだよ……」
「アタシも……」
「アキさん、真古都、おはよう〜」
俺たちを見つけた由里香ちゃんがぱたぱた駆け寄ってくる。
「由里香ちゃん、元気だな」
「ええ、鍛えてるから」
「この眠気、なんとかならないの?」
「ふたりとも時空間の移動に慣れてないから、当分そんな感じ。時差ぼけみたいなもんですね」
そうなのか。うう、辛い。
教室に入り、いつもの面子と挨拶を交わす。俺にとっては半月ほどの大冒険から帰還したところなわけで、微妙な違和感を感じずにはいられなかった。必死に状況に適応しようとしている自分に気づいて、なんだかおかしかった。〈ファースト〉に行ったときはそんな違和感なんか感じてる余裕がなかったのに。どっちが俺の住んでる世界なのかわからないな。
いつもの窓際の席に鈴音はいた。
「鈴音、おはよう」
「おはよ……」
鈴音は机に突っ伏したまま言う。
「眠いんだろ?」
「うん……よくわかったわね」
鈴音には、なにが起こったか話していない。どうしようか決めかねている。悠は、知らないならそのままでいいんじゃない?とか気楽に言っていた。
「……どうしたの?」
「んっ、ああ、なんでもない」
俺は鈴音を見つめたままぼんやり考えごとをしていた。鈴音は肩をすくめ、また元通り机に突っ伏した。
「アキ」
立ち去りかけた俺を鈴音が呼び止める。
「学園祭、楽しかったね」
ここの時間では代休を挟んだほんの二日前のことだが、俺にはもう遠い過去のことのようだ。でも、俺はその日を一生忘れることはないだろう。
「うん。ほんとにおもしろかったな」
鈴音は少しうつらうつらしていた。
*
昼休み。いつものように唐沢と広和と一緒に昼飯をぱくついていると、唐沢が切り出した。
「なあアキ、山吹の姉さんって会ったことあるか?」
へ?鈴音の姉ちゃん?俺がなんのことかわからない、って顔をしてると、
「お願いだ、紹介してって、山吹に頼んでくれっ」
「いや……俺も会ったことないんだけど」
「ちっ、頼りにならないやつ」
唐沢は憮然として弁当に戻った。
「鈴音っ!」
教室のドアが勢いよく開く。そのけたたましい人物の登場で謎は解けた。そいつはすたたたと鈴音のところに小走りしていく。俺は自分の目を疑った。
「どうしたの、騒々しい」
「あのね、お弁当忘れてきちゃったのよ、ふたつ持ってきたりなんかはしてないよね?ね?」
「また?」
あの派手なピンク色の髪と金色の瞳は忘れもしない。
「詩音!」
俺は思わず立ち上がっていた。
「あら、アキがなんかご馳走してくれるの?」
詩音は鈴音そっくりな小悪魔の微笑みでこちらを見る。
「いや、そうじゃなくてさ……」
「これで足りる?」
鈴音は鞄から紙袋を取り出した。
「パイねっ、さすが用意がいいわ、ありがとっ」
詩音は鈴音から袋をぱっと奪っていくと、またすたたたと去っていった。
「……どういうこと?」
俺は呟く。
「それはこっちの台詞だっ」
唐沢はますますいじけて弁当に屈みこんだ。広和も同意して頷いている。う、俺が悪者かい!
どうにかして集めた情報によると、詩音は鈴音の双子の姉ちゃんで一緒に転校してきた、ってことになっていた。俺は放課後に誠太郎を捕まえた。問いただすと誠太郎は、そうなんだと力なく頷いた。
「自分もマテリアルワールドで生活するってさ」
それで、もともと自分がここに存在してたことにしたんだ。とんでもないやつだ。
「あっ、誠太郎、探したわよ」
俺たちを見つけて詩音が駆け寄ってくる。誠太郎は溜息をついた。詩音は笑顔で誠太郎の腕に自分の腕を絡めた。
「詩音、いるならそう言ってくれよ。マジで焦ったじゃないか」
「あら、ちょっとおもしろかったでしょ?」
「そうだけどさ……」
「新しい隠れ場所も見つかっちゃったし、ひとりぼっちもつまんないから人間になってみることにしたのよ。そのほうが楽しそうだもん」
詩音は真剣な顔になった。
「ファントムの件はまだ片づいたわけじゃない。わかってるわよね」
俺は頷いた。
「よろしい。マナは解放しちゃったし、わたし、当分のあいだ力はぜんっぜん使えないの。頑張って守ってよね、王子様たち〜」
詩音は俺と誠太郎の腕をとって、いたずらっぽく笑う。見れば見るほど鈴音の小悪魔の微笑みと瓜二つ。なるほど、双子ね……
*
三日後、俺はまたひっくり返ることになった。昼休みになって遅い登校をしてきたのは、メイだった。それだけでも椅子から転げ落ちるくらい驚いたのだが、一緒に連れてきた「転校生」はもっと強烈だった。
「アっ、アっ……」
俺は名前を呼んでしまいそうになるのを必死で我慢した。
「ふーん、ここがメイの教室なんだね」
褐色の肌と金髪のトップノットは嫌でも激しく目立っていた。隣に立ってるメイの白い肌と黒い髪との対比があるからなおさらだった。まるで制服が違うものに見える。クラスの視線が集中して、物珍しそうな女子が集まりだしていた。メイはちょっと困った笑顔で、連れの転校生を紹介していた。
「えっと、こちらは親戚のアマラ」
「みなさん、よろしくお願いします」
アマラさんはにっこり微笑んだ。俺が放課後に春原宅へ直行したのは言うまでもない。
「ひさしぶりだな、アキ」
「ちょっと前にお別れしたところじゃないですか、いったいどういうことですか!」
「なんだ、わたしと再会するのが嫌だったのか?」
「そーいうわけじゃないですけど……」
アマラさんは平然とお茶を飲んでいる。メイは苦笑い。
「メイ、どうなってるんだよ……」
「アマラ様ったら、新しく〈サード〉へ派遣するウィザードに自分を任命してたのよ」
「重要案件だからな。個人的にも因縁があるわけだし」
「そうですけど、高校生はないでしょう?」
「見た目じゃわからないだろう?」
「いや、そうですけど……」
だんだんどうでもよくなってきた。
「楽しみだな、学校なんか何年振りだ。この服も趣味は悪くない」
アマラさんはステップを踏んでくるくる回転した。制服のスカートがひらひらする。
「うふふ、アキ、似合う?」
アマラさんは翻訳クリスタルを調整して、少女っぽい喋りかたにして言う。
「明日からクラスメートだよ。よろしくね」
はい。もう好きにしてください。
*
十二月。空気は冷たく、日差しは憂鬱な黄色を早い時間から投げかけている。最近は急に冷え込むようになった。
そんな季節とは対照的に、俺の学園生活にはエキセントリックな登場人物が追加され、今まで以上に賑やかだ。我らが〈スターライトミンツ〉はクリスマスのライブに向けて練習を続けている。新曲も増えた。
真古都ちゃんのベースの師匠、未歩さんは神秘的な感じのするパンク少女だった。人なつこいのだが、ちょっと近寄りがたい雰囲気を持ってるところは鈴音そっくり。似たもの同士ってやつなのか、鈴音とはあっという間に打ち解けて、真古都ちゃんを交えて楽しそうに談笑していた。きっといい雰囲気でやれるだろう。楽しみだ。
うん。今は心からそう思える。楽しみだ。
*
スタジオへのいつもの道を鈴音と歩く。鈴音はマフラーに顔を埋めて寒そうにしている。最近気がついたのだが、鈴音は俺と並んで歩くようになった。あいかわらず口数は少ないけど。
〈ファースト〉で俺はお土産にバングルを買っていた。渡すタイミングをどうしようか悩んでいるところだ。無難にクリスマスプレゼントってことにしよう、と思っている。
[おわり]
あとがき
『break the code』は二作目の長編小説です。思ったより長くかかったような早かったような。途中、名前のセンスってわりと被るのねと落ち込んでみたり、泥縄でゴスロリファッションの勉強をしたり。
前作の『a life in orbit』が結構重たいテーマだったので、今回はライトノベル、いわゆるラノベを書こう!と思っていました。と言ってもラノベはろくに読んだことないんですが。とにかく明るい雰囲気の学園ファンタジーラブコメ冒険活劇にしたかったわけです。ついでに自分の趣味もいっぱい投入して。結果『ちまみれ』のコンセプトとは離れてしまいましたが、まあそれはそれ。
今回も途中で大幅な変更を加えまくったので、続けて読んでくれてる方はさぞかし混乱してるだろうと思います。すいません。
とにもかくにも書き終えてしまうとやっぱりキャラクターたちとの別れが寂しく感じます。今回はストーリー上盛り込めなかったネタもたくさんあり、続編をやりたい気持ちがよーっくわかりました。
ちょっとだけ解説を。
作中に登場するミュージシャン、曲名、楽器はほぼ実名です。基本的に UK を中心としたインディ/オルタナ系 80's - 90's ロックと、弾き語り系のボサノヴァがテーマになってます。権利の問題とかややこしいかなと思いつつ、世界観を重視してあえて入れました。ぼくの趣味全開のラインナップですが、興味があったら音源を手に取っていただけるとアキや鈴音たちがどんな音楽をやってるのかイメージしやすいかと。そして好きになってもらえたらこれ幸い。特に〈スターライトミンツ〉(昔からあるミントキャンディが元ネタです)のレパートリーにもなっている『When You Sleep』が収録されている My Bloody Valentine のアルバム『Loveless』、ジョアン・ジルベルト(João Gilberto)の『João Voz E Violão』(邦題は『ジョアン 声とギター』)、ナラ・レオン(Nara Leão)の『Des Anos Depois』(邦題は『美しきボサ・ノヴァのミューズ』)の三枚は、作品のイメージを作る上でとても重要でした。『Loveless』はシューゲイザーと呼ばれるノイジーでサイケデリックなサウンドでロック史に残る名盤。『João Voz E Violão』はボサノヴァのオリジネーター、ジョアンのギターによる弾き語りのみの素敵なアルバム。『Des Anos Depois』は、ボサノヴァのスタンダードナンバーをシンプルに歌とギター、時にアンサンブルで聴かせてくれます。
余談ですが、書いてる最中に BGM でいちばん聴いたのは Copeland の『Beneath Medicine Tree』というアルバムです。この人たちはわりと最近のバンドですね。センチメンタルなエモサウンドがとてもいいです。
次はもうちょっと短いのを書くつもりです、どうなるかわかりませんけど。月並みですが、最後まで読んでくれた方、ありがとう。